思い込みは良薬?

こんばんは、ゴトー日。10日の更新です。

週の初めに外出することがあったんですが、その時になんかまあいろんな人がいるなあと思う出来事に見舞われたんですね。
その日の翌日にちょうど内容を書こうとして、結構な文字量になりつつあったのだけれどもそれ以前になんかちょっと冷静さを欠いているような気がする自分に気付いて、そうなってしまうと途端に進んでいたタイピングスピードもがっくりと落ちてしまって、この文章を書き上げるの結構時間がかかってしまいそうだなと思い、いいや今日(10日)まで書き終われば問題ないかと下書き保存をしたけれども…という現状。

鮮度が落ちたとは言わないまでもなんとなく気持ちが落ち着いてしまったというか、そんな感じで途中まで書いた先日の記事はきっとこのままお蔵入りになってしまうのかもしれませんね。そんなこともあるある。

なんだか気持ちが最近滅入っている気がしてならないんですよね、どうしたものか。
何が原因なのかはっきりとしないところがまた気持ち悪くて、食欲がないとか寝れないとかそういう鬱っぽい初期症状みたいなものは特になくて、ただ気分がずっと低迷気味なだけなんです。
冬季うつというものがあるってのも知ってますが、別に太陽光にあたってないわけでもないしそれではないと思うと、じゃあ一体なんなのよと。
前回の記事で○○だからというものに自分を落とし込めすぎるのもどうかというのを言っておいて何なんだという話ですが、それでも不調の原因はやはり明確になっていないと気持ちが悪い。
もしかしてこれが原因?いやいやもしやこれ?と言ったように、やる事なす事疑念を持ちながら生活するのも少々、いやかなり面倒くさいので私の不調の原因はこれですともうある意味適当に決めつけてもらえた方がいいんですけど、それも変な話なのかな。

あ、でもそれで考えるのであれば思い込みというかプラシーボでラムネのようなお菓子がお薬になってしまえるのが人間という生き物なのだから、逆にこの気持ちの低迷はいいことが起こる前兆の症状って思っているといいのかもしれないんですかね?それって結構幸せな事じゃないですか?

というか、言葉が通じるからお薬ですよと言われて処方されたお薬が実はただのブドウ糖であっても、その不調を訴えて診察をしてもらった人は「これを飲めば良くなるのだ」と信じて飲んで症状が改善するのがプラシーボだというのであれば、言葉の通じない動物達が人間に対してものすごい不信感を持っている場合に強制的に正しい薬を飲まされたら、その前提条件がマイナスなばかりに不調の改善は通常よりも遅かったりするんだろうか?
家族として一緒に過ごしている動物達は完全に言葉が理解出来なくてもそれなりにはコミュニケーションは取れるわけだし、信頼関係だって多少はあるのだからお薬を飲ませる行為がその動物にとって少々嫌な事に分類されるものだったとしても、飼い主である人間が自分(動物)に嫌なことはしないはずだ、と思ってくれているから効きがいいみたいなのはあるのかな?

なんかそんな事を不意に思ったら少し元気になれそうな気がしました。

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