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社会科学系(2)--ぼくのかんがえた さいきょうの大学

おはこんばんちは、ニノ水です。
今回はタイトルの題から、長文語りをします。マニアックなお話+個人の感想です。
ある意味、雑談?


要旨

大学は高等教育機関機関ですが、今となってはその恩恵が失われつつあるかもしれません。
そのため、新しい大学のあり方を考えることが大切だと思います。

私の立場

要旨では、
現在の大学における欠点と、大学の新しいあり方の一例を説明する
といった内容を述べました。

しかし、大学だけでなく個人的に大学生の生活にも、(全員が全員とは言いませんが)少なからず問題があると考えています。
そのため、問題があると考える大学生の行動について、批判的な箇所があります。

また、消極的な学生は否定されるべきではないと理解はしていますが、褒められたことではないと個人的には考えてしまっています。
そのため、彼彼女らへの当たりがやや強いです。

ご理解いただいた上でご覧ください。

「大学」の定義

大学は、文部科学省の定める学校基準法・第9章83条にて、次のように定義されます。

大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。
2 大学は、その目的を実現するための教育研究を行い、その成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/061/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2014/12/17/1354065_4.pdf

すなわち、大学とは

  1. 最高等教育機関かつ研究機関

  2. 研究を社会へ還元する役割を持つ機関

ということです。

私が今回着目したいのは、1の「最高等教育機関」という文面と、現代におけるその意義です。
ただし、意義は「恩恵」と言い換えられることにします。

つまり、今回は
「最高等教育機関」からの意義
をテーマにお話しします。

大学の意義と問題点

ここからは思考実験です。大学の意義とは何でしょうか。大きく分けてみると、

  1. 一定以上の技能を持つことを証明できる

  2. 高度な専門科目を学ぶことができる

  3. 将来に対する視野が広がる

の3つです(他にもあるかもしれません)。その中には、現在うまく機能していない問題点があると思っています。

ここでは、大学の恩恵に隠された問題点について、ひとつずつ説明していきます。

1. 一定以上の技能を持つことを証明できる

大学を卒業するためには、各大学の定める数以上、卒業要件単位が必要となります。この単位を超えると卒業ができます。
逆に言えば、この単位を取得しない限り、卒業できないということです。

そのため、学生は積極的にしろ消極的にしろ、勉学に励むことを迫られるわけです。そして、その成績を使って就職していくと言っても過言ではありません。

私はここに問題があると考えています。


・勉学についての問題

大学は就業年数が規定されており、4年間となっています(学校教育法・第87条より)。

ぶっちゃけた話、
高校3年間で勉強したりしなかったりするのに、大学の長期間でずっと勉強し続けるのは無理がある
って話です。

  • バイトやサークル活動でろくに勉強をしない

  • 高校の延長線だと思って生活する

そんな学生さん、多くありませんか。

まず前者
バイトやサークル活動でろくに勉強をしない
は、お金のためもあるのでしょうが、衣食住を削っていく活動はいかがなものでしょうか。払う学費も、ドブに捨てるようなものでは……

身体はひとつしかなく、壊したら戻せません。
それでも楽しいと思うのならば止めませんし、私にその権利もありません。

しかし、これを読んでいるのがもし学生であれば、いま一度立ち返ってみてください。
大学のバイトもサークル活動も、学費を払う必要がある人などを除けば義務ではありません。

なお、「バイトやサークル活動」も「ろくに勉強をしない」というのも、個人の問題と言えます(が、何かしらの事情があり、ひとりで抱えきれない場合は周囲を巻き込んでみましょう。大学の事務などでも相談できます)。

次に後者
高校の延長線だと思って生活する
は、
高校時代の生活を何となく繰り返す
ということです。

ただ何となく(目的はあるものの)学校に行って、何となく講義を受けて、
「授業疲れたね」と、友人と他愛もない話で談笑しながら、何となく生活する。
そういうことです。やっていませんか、そういう生活。

テキトーに生きることは悪いことではない、と言いたいです。
頑張る人は頑張る。
のんびり行きたい人は、必要最低限(教育、勤労、納税)の義務を果たしていれば良し。
賛否両論あるでしょうが、それが私の考える多様性です。

そして、世の中の風潮として、
多様性は尊重されるべき
という考えが主流となっています。

一方で、
勉学には一律に励むべきだ
という考えも、同時に存在しています。

現在の大学では、どうしてもこの2つは相反する考え方です。
そのため、この2つの意見を両立させるためには、
大学の制度自体を変えるべきだ
と言ってみたいのです。


・就職についての問題
「大卒」というのは、ひとつのステータスとなっています。今でも、有名大学であれば就職に多少(かそれ以上に)有利でしょう。

でも、それっておかしくないですか?
高校のときの成績で、進路が決まっているじゃないですか。

有名大にもギャンブル狂はいるでしょうし、いわゆるFラン大にも努力家はいるでしょう。
(どちらも一部の可能性はありますが)

義務教育の終了直後から徐々に格付けが始まり、さまざまなことが学べるはずの大学で、
スタートダッシュに大きな差がある
って、変な話ではありませんか?

確かに大学は、内部では皆成績が近いです。
しかし、就職活動は基本的に全国区ですから、就活において内部皆で閉じこもるわけにもいきません。

また、義務教育では、文字通り教育が義務となっています。
教科書の内容をどれだけ覚えたかでレベル分けされるのは、
効率的ではあっても合理的ではない
のでは、と思います。

この格差があるから、講義以外でのサークル活動やバイト、その他の活動が就活で評価されるのだと思います。

そして、就活の評価方法のために、
大学ですべき勉学を疎かにする
という負の側面が生じるのでは、と思います。

2. 高度な専門科目を学ぶことができる

これに対しては、本当に思うことが多いです。
私は編入学に挑戦しました、そして落ちました。ので、独学の良さを伝えるには説得力に欠けます。

しかし、少なくとも大学2年までの内容は、
シラバスやカリキュラムを理解しておけば(ある程度は)独学できるんじゃないか
と、未だに考えています。

  • 指定教科書や入門書を漁る

  • YouTubeで講義動画を観る

などによって、講義の内容をほぼさらえたかなと思います。これは私の2年次までの経験ですね。

大学に入って受験終わりに燃え尽き症候群にでもならない限りは、やってみても良いかなと思います。

現に、2024年3月にマイナビが実施した「高校生の進路意識と進路選択に関するアンケート」では、
高校生が志望校を選ぶときに重視するポイントは学びの内容だそうです。

https://souken.shingaku.mynavi.jp/home/wp-content/uploads/2024/09/202405_高校生の進路意識と進路選択に関するアンケート調査_調査レポート.pdf

大学1年目となると、学びたいことも多いのではないでしょうか。

かといって学びすぎると、残りの講義の内容を知っているから真新しさが足りない。それはつまらない。
そうなるくらいなら、学ばない方がマシ。
……なんて考えの人も、もしかしたらいるかもしれません。いや、妄想ですが。

やる気がなくなっていってしまうのは、せっかく元々意欲があるのに勿体ない、と思ってしまうのです。

もちろん、そうでない人もいると思います。
何となく大学に入ってきて、何をすれば良いのか分からない、と考える人です。

誰も取りこぼすことがないように、制度を作っていく必要があります。
あれ、SDGsかな?

3. 将来に対する視野が広がる

これは一理あると思います。
私自身も、大学に入学して実感しました。

例えば、私は第二外国語の講義から、日本語と英語以外の言語にも興味を持ちました。
それから、言語学や論理学をはじめ、現在は言語による文構造の違いに注目しています。

第二外国語なんて、言ってしまえば所詮は教養科目です。メインとなる専門科目に比べ、魅力としては見劣りかもしれません。

それでも、学習を重ねたり質問を通じて担当教員の先生に質問をしたりするにつれて、言語以外(その言葉が使われる国の地理や文化など)も学ぶことができました。
その経験は非常に貴重で、今も私の中に生きています。

また、私は海洋を学びたくて入学しましたが、2年次以降は研究職を目指すようになりました。
これは、学校附属のキャリアセンターが主催するイベントに参加したことがきっかけのひとつです。

このように、学校が提供する講義やサービスから、新たな知見を得る機会も多々あります。

しかし、問題は、
大学の中で与えられるチャンスだけでは限界がある
ということです。

だからこそ、世の大学生はサークルに参加したり、バイトをしたりするわけです。
ときには、ボランティアや社会参画活動を積極的に取り組む学生もいます。

もちろん、大学からそのような活動の機会は提供されることもありますが、自分で調べてその界隈に触れることもあると思います。
その際、何を得て何を学ぶかは、すべて各個人に委ねられます。

大学が持つ、
将来に対する視野が広がる

という側面については、特に問題がない、と私は思います。

本題--ぼくのかんがえた さいきょうの大学

さて、本題です。前置きが長いですね!

今まで話してきた「最高等教育機関」としての大学の意義と問題点を、軽くおさらいしておきましょう。

大学の意義には、問題点が隠れていました。それは、

  1. 多様性が尊重されない

  2. 各大学でのスタートダッシュに格差がある

  3. 大学内で与えることができる機会に限界がある

この3点です。

しかし、大学の持つメリットが最大限に生かされている側面もありました。
それは、
将来に対する視野が広がる
ということです。

そこで、この利点は変わりづらいと判断し、大学からの最大の恩恵とします。
つまり、大学の主軸を「将来に対する学生の視野を広げる」とします。

以下ではこのテーマを軸にして、3つの問題点への解決策を提示します。
(実際にできるかどうかは別です)

その解決策は、

  1. 大学の内部コースを細分化する

  2. 大学に優劣をつけない

  3. 全国規模で大学同士のネットワークをつくる

の3点です。それぞれ、問題点と対応しています。

1. 大学の内部コースを細分化する

多様性が認められないなら、認められるようにすれば良いじゃない?
(ニノー・ゴリオシネットの迷言です(笑))

……という発想の下、(頭の中で)大学のコース改革を行います。
できるかどうかは別です。

まず、学生の希望を募り、

  • 博士課程進学コース

  • 就職準備コース

  • 課外活動応援コース

などにコース分けします。
このコース選択は、学部・学科とはことなるものであり、半年あるいは1年ごとに変えられるとします。

それから、各コースの特別単位を設定します。特別単位を取得する条件として、例えば、

・進学コース: 
自習時間の総量+専門科目の試験で基準以上の点数維持
・就職コース: 
インターンや説明会の参加回数+出席した際のレポート点数
・活動応援コース:
参加した活動+課外活動についての報告書

などが考えられます。
が、どうしても数字で判断しなければならないのが痛いところです。
(職員の負担が計り知れないですね……)

ともかく、条件を満たして取得した特別単位は、卒業に優位はたらくとします。例えば、卒業単位に換算される場合がある、などです。

すると、一定の多様性が担保されます。
(職員の労働状況悪化と引き換えに)

2. 大学に優劣をつけない

突然ですが、以下の言葉は、ONE PIECEに登場する人物・コビーの台詞です。

「もうやめましょうよ!!!」
「もうこれ以上戦うの!!! やめましょうよ!!!」

https://dic.pixiv.net/a/もうやめましょうよ%21%21%21

苛烈な受験戦争を経験してきた戦士たちにとっては、生ぬるいと聞こえる言葉かもしれません。
しかし、よく考えてみてください。

受験戦争は必要ですか?
格差をつける必要はありますか?

ゆとり教育に戻せと主張しているわけではありません。
各大学機関が、
成績のみで差をつけるのはいかがなものか
と言っているのです。

その代替案のひとつとして、大学入学の条件に
「バカロレア」の取得を義務
とすることを挙げてみようと思います。

Wikipediaによると、バカロレアとは、

フランスの国民教育省が管理する、高等学校教育の修了を認証する国家試験である。「バック」(Bac)とも通称され、1808年にナポレオン・ボナパルトによって導入された。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/バカロレア_(フランス)

とのことです。
日本でいえば、高等学校卒業程度認定試験(旧大学入学資格検定)が最も近いと思います。

私の述べた「バカロレア」は、これよりも少し難易度が高いです。
理由としては、次の2点

  • 教育水準が下がることは避けたい

  • 大学受験の代替として機能させたい

ことが挙げられます。では、どのように導入するのが最適でしょうか。

考えられる案として、
国際バカロレアを参考にする
あるいは
国際バカロレアの認定校を増やす
というのがあります。

国際バカロレアとは、フランスのバカロレアとは異なります。文部科学省によると、

世界の複雑さを理解して、そのことに対処できる生徒を育成し、生徒に対し、未来へ責任ある行動をとるための態度とスキルを身に付けさせる

https://ibconsortium.mext.go.jp/about-ib/

ことをひとつの目的とした制度です。

この制度を用いて、
日本独自の「バカロレア」をつくる
ことを、
「ぼくのかんがえたさいきょうの大学」
実現のための、ひとつの手段としたいですね。

思い出してもみてください。
大学機関には「最高等教育機関」という側面とともに、「研究機関」という役割もありました。

大学の研究の特色に興味を持った生徒や、その大学が行う独自の取り組みに魅力を感じた人たちを入学させることで、ミスマッチやドロップアウトを防げるのではないでしょうか。
(学んだことがそのまま職業に繋がる学部は話が別かも……)

あるいは、
国際バカロレア認定校を増やす
という手もあります。
国際バカロレア認定校は高等学校で、国際バカロレアを取得するための教育をします。

こちらは制度をつくる側の負担が、多少なりとも軽減(または分散)できそうですね。
そのため、こちらの方はどちらかといえば現実味が強いプランと言えます。

3. 全国規模で大学同士のネットワークをつくる

大学のネットワークの種類は、あまり多くありません。
考えうる結びつきとして、

  • 地方での結びつき

  • 共同研究での結びつき

  • 大学の名前による結びつき

があります。すべて造語です。

地方での結びつきは、地理的に近くにある大学同士による交流を指します。関関同立などですね。

共同研究での結びつきは、大学が共同で研究しているプロジェクトでの交流を指します。例えば、以下のようなもの↓です。

大学の名前による結びつきは、いわゆる旧帝大などです。学生のイベントではありますが、「七大祭」などがあります。


大学の名前
地方の結びつきは、それぞれ狭いネットワークであり、広げるのは難しいです。
そのため、共同研究での結びつきを強くしていくことが必要だと考えます。

共同研究での結びつきは、昨今、特に必要性が高まっている印象を受けます。
大規模な研究になるほど、ひとつの研究室では、研究が(資金やマンパワーなどの関係で)難しくなる傾向があるためです。

また、研究結果を他の大学と共有することは、リアルタイムで他大と研究が共有できるということであり、研究の透明性を高める(=偽造などを防ぐ)ことにもつながります。

こうすると、「ぼくのかんがえるさいきょうの大学」像が、明確になってきた気がします。


本題のまとめ

何となくの方針が決まってきたので、改善案のまとめをします。

大学の現状についての問題点は3つあり、それぞれを解決する方法として、

1. 大学の内部コースを細分化する
学部・学科とは異なるコースを設定し、コース内で取得した特別単位を卒業要件に加えることができる。
=多様性を尊重する

2. 大学に優劣をつけない
入学試験をバカロレアで代替する。あるいは、国際バカロレア認定校を増やす。
=大学始めの格差をなくす

3. 全国規模で大学同士のネットワークをつくる
共同研究での結びつきを強めることにより、大学同士の交流が盛んになる。この制度で、研究結果をリアルタイムで共有したり、研究の透明性を高めることができる。
=各大学が学生へ与える機会(=情報)を増やす

というものを提示しました。これらを備えた大学が、
ぼくのかんがえるさいきょうの大学
です。

全体の総括


「最高等教育機関」としての大学の意義と問題点、および問題点への解決策をまとめると、次のようになります。

・「一定以上の技能を持つことを証明できる」ときの問題点と解決策
1. 多様性が尊重されない
→大学の内部コースを細分化する
2. 各大学でのスタートダッシュに差がある
→大学に優劣をつけない

・大学内で与えることができる機会に限界がある
→全国規模で大学同士のネットワークをつくる

将来に対する学生の視野を広げることを大学の主軸として、以上の解決策を満たす大学が、
ぼくのかんがえる さいきょうの大学
です。
これにて、終幕。

長々しくとっ散らかった文章だったかもしれませんが、ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

余談

(2024.09.25追記)
以下、順次追加する(かもしれない)余談です。

・忘れられた問題点

大学の意義のひとつ「2. 高度な専門科目を学ぶことができる」について、
正直なところ、専門科目になるまでは独学でもイケる
と書きました。

ですが、具体的な大学改革案を全く出していなかったことに気づき、もうちょっと補足しておきたいと思います。

実習科目以外の講義(=座学)をオンデマンド(映像授業)にして、講義では議論や質疑応答をメインにする
……のはいかがでしょうか。

これにプラスして、出席義務も課します。ただし、学生や教員に特殊な事情がある場合は考慮することにします。

こうすると、教員→学生の一方的な講義を避けることができ、熱意のある学生の学びが深まります。
また、意欲のない人たち(あるいは進学コース以外の学生)も、ある一定以上の基準は維持できます。


・負担の対策案

改善策を出したは良いが、じゃあ教員の給与や事務の負担はどうするんだ

……という問題が発生しかねませんが、本文では全スルーしてましたね(お恥ずかしいことに)。

金銭面について、今まで払っていた一律学費制度は廃止したいと考えています。

単位を取り終えた学生が虚無を過ごすのは時間の無駄になる
ことが最大の理由です。
(異論は大いに認めます)

その代わりに、
授業料を各講義と各コースにそれぞれ課す
というのはいかがでしょうか。

すなわち、
履修する学生が多いほど儲かる
という制度にするということです。

これは、教員にとってはシビアな世界になることが予想されます。
人気のない教員は食っていけないという……

また、
単位を簡単にくれる教授に人気が集まる
ことが、最も大きな課題となるでしょう。
それを防ぐために、
成績評価のためのガイドラインをつくる
のは一手かもしれません。


事務の負担、凄そうだな……
これが改革にあたり、一番大きな問題かも、と思います。
正直、事務の事情は分からないので、この部分については下手なことが言えないのが現状です。

もし今後分かったことがあれば、改めて書いていきます。
よろしくお願いします。

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