ら抜き言葉とおねショタ原理主義~This is an outrage up with which I shall not put~
1.私を苛立たせる方法
私を苛立たせる方法が3つある。
1つ目は、「凄い」の副詞的用法。
「私…今…凄い幸せ…♥」
こんな文字列を見たら、「凄く」イライラする。この文字列を見る機会はないだろうけど。
2つ目は、おねショタとショタおねの混同。
たしか、日本国憲法でこの混同は禁止されているはずなので、イライラしても仕方ないだろう。
3つ目は、ら抜き言葉。
る、らる、す、さす、しむ、む、むず、ず、じ、まし、まほし、と呪文のように未然形接続の助動詞を覚え、え~とこの動詞は未然形だから〜、と古文を品詞分解した高校時代を忘れてしまったのだろうか。
しかし、これらは文法的進化の過程で必要なものである。我々は、こうした狭量を是正しならなければならないのかもしれない。
2.海外の文法規範主義者(余談)
余談となるが、ら抜き言葉にイライラするような文法規範主義(prescriptivism)は、海外にも存在する。
特によく話題に挙がるのが、whomと前置詞の話である。
例えば、
Who are you talking to?(誰と話しているの。)
という文章において、
・whoはこの文章の目的格なので、Whomにする必要がある。
・toは前置詞であり、直後に名詞を置く必要がある。
と主張する文法規範主義者は、
To whom are you talking?
と言うべきであると推奨する。
(掲載の動画の人は、文法規範主義者ではないが、今回の話の参考にさせていただいたので載せておく。)
いかにもアホくさい話であるが、ら抜き言葉言葉を馬鹿にする私も同じ穴の狢である。
そんな文法規範主義者を皮肉ったのが、副題の元英首相チャーチルの英文である。(解説については後述)
3.ら抜き言葉は進化である
そもそもら抜き言葉とは何か。
定義としては以下のサイトから引用する。
こうして定めてみると、いかにも面倒くさいが、例を挙げればわかりやすくなる。
例えば、「見る」は、活用語尾が見(mi)でア音ではない。
そのため、「見ることができる」ことを表すために、「見られる」と表現するべきであるが、「見れる」と言ってしまうのが、ら抜き言葉である。
ら抜き言葉は、このように文法としては間違っている。
しかし、ら抜き言葉が優れている点も存在するのである。
例えば、「見られる」という言葉は、この「られる」が受身か可能かわからない。
つまり、誰かに見られているのか、見ることができるのかを判断できないのである。
ここで、「見れる」と可能の意味でのみ、ら抜き言葉で表現することで、文脈がなくても助動詞の意味を判断できるようになるのである。
これは間違いなく、言葉の進化であると言えるであろう。
4.進化を許容する
私がここで言いたいことは、我々の狭量は進化を妨害しているかもしれないということである。
つまり、おねショタとショタおねを混同することで、新しい嗜癖の扉を開く可能性を創出することが、適切な判断であるということである。
我々は、蒙昧になってはならない。
常に進化する可能性を、探して行かなければならないのだ。
ちなみに先述した日本国憲法で禁止されているという文言は、私の思い違いであった。
「凄く」勉強になった。
5.英語の参考書について(余談の余談)
This is an outrage up with which I shall not put
について解説する。
put up with〜が「我慢する」という熟語であるということを知っていれば、読めるであろう。
この前置詞であるup withを、関係代名詞whichの前に持ってきている文章であり、文法規範主義者の言う通りにすると、こんな不自然な文章が作れてしまうと皮肉ったものである。
このニュアンスを訳すのは無理だが、無理やり訳すのであれば、
これは私にとって耐え「ら」れない怒りである。
という感じだろうか。
ちなみに、この話は以下の英語の問題集に掲載されていたものである。
この話を読んで、チャーチルの返答があまりにもウィットに富んでいたので、引用しようとしたときに気付いた。
この問題集には、○○大学の過去問としか書かれておらず、どこで書かれた文章かの記載がなかったのである。
国語の問題集の場合は、どれもしっかりと出典が書かれているので、問題集で見ただけで本文を読んでいないにも関わらず、難しい本文を全部読みましたヅラして、出典はこれですとドヤ顔できる。
しかし、このように英語の問題集は出典が書かれていないことが多いので、英語の本をいかにも読みましたヅラして、出典をドヤ顔で掲載することができないのである。
高校生も、原文を読んでもないにも関わらず、Natureの論文にこう書かれていて〜(ドヤァ)ということをやりたいと思うので、ぜひとも出典を掲載してほしい。
…というのは冗談としても、英語が好きな高校生が、原文を見たい!と思う可能性も0ではないので、こういうところは省かない方が良いと思う。
問題集は、大学受験だけのために存在すると言うのであれば、それで良いかもしれないが、そうではないだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?