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あなたは、「本物の愛」にたどり着くことは出来るのか・・・。
本物の愛とは何か。
私が、今まで「本物の愛とはなんですか?」と質問すると、ほとんどの人の答えは。
無償の愛や、見返りを求めない愛が本物の愛だと言います。
それは、間違っています。
間違っている考え方では、生涯かけても本物の愛にはたどり着けません。
といっても、坐禅の悟りと同じようなもので、本物の愛にたどり着かなくても人生は、特別に困ることはありません。
むしろ、恋を楽しむだけの人生も、捨てたものではありません。
十分に成長出来ますから。
深い話に興味無い方は、これより先を読まなくてもいいかと思います。
私は、無償の愛や、見返りを求めない愛というような聖人君子のような考え方はしっくりきません。
無償の愛は、むしろ押し付けがましい感じさえします。
見返りを求めないとは、そうしている自分に酔っているようです。
しかし、本当の意味で、無償であり見返りを求めないのは、親子の関係だけにはあるように思います。
あるいは、マザーテレサやガンジーなどの偉人には、そういう愛があると思えます。
生まれも育ちも違う他人同士に、本当の無償の愛があるのでしょうか?
本物の愛は、偉人になるようなこととは違います。
そもそも、私の周りで、そんな立派な人に出会ったことはありません。
嘆いているのではなく、それが当たり前だと思うからです。
本物の愛とは、「相手の望むことを想像出来ること、あるいは、想像する力がある」ことです。
最後に、「(相手の)全てのことを許す」境地に到達します。
それが、私がたどり着いた本物の愛の結論です。
他の誰よりも、その想像力があると思えた時に"本物の愛"にたどり着いたということです。
分かりやすく言うと、付き合っていた女性が、生涯にわたり、"本物の愛"を感じた男性以上の彼氏に巡り合わないようなものです。
あるいは、どんな他の男より、彼女が何を望んでいるかが想像出来ると言いきれることです。
もっと深く言えば、無償の愛で育てられた親よりも、よく彼女のことを理解できているということです。
愛は比較するものではないことですが、万人向けの理解しやすい表現ではそんな感じです。
悟りを開いた人に、どんなに深い話を聞いても、「分かる」ことはありません。
私は坐禅を始めて、悟りについて、とても沢山のことを書物から学びました。
しかし、学んでも学んでも、「分かる」ことはありません。
悟らない限り到達しないのです。
本物の愛も、同じように経験した人にしか分からない。
ただ一つ決定的に違うことは、本物の愛は相手が存在するが、"悟り"は自分自身にあることです。
相手がいるですから、その相手も本物の愛にたどり着いてなければ、ひとりよがりになってしまいます。
お互いがそう感じていなければ成立しません。
確信出来る時は、別れた後です。
別れとは、生き別れもあるし、死に別れもあります。
禅問答のようになってしまいます。
大切なことは、相手の望むことを想像出来ることにより、相手の深い心まで分かることです。
想像してどうなるの?!と言う声が、聞こえてきそうですが。
想像出来れば、相手の望むことが、自然に出来るようになる。
本気で想像し続ければ、相手の心を感じることが出来ます。
同時に、自分本意な強い自我が消えてゆきます。
そして、お互いが無意識のうちに、望むような形で、ふるまい行動出来るようになります。
恋で成長し、本物の愛にたどり着くことは、人生の一つの到達点です。
『永遠に生きると思って恋をし、明日死ぬと思って愛しなさい。』
この言葉は、本物の愛にたどり着いた時の私の心の詩です。
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