あなたは、「愛を失う」とはどういう事か分かっていますか 〜”失恋”と”失愛”は違う〜
「失恋」の意味は、相手が自分を思ってくれず、恋をあきらめなければならない状態になること。
「失愛」という一般用語はありませんが、「愛を失う」ことです。
「失愛」を考えるには、「愛とは何か」の知識が必要です。
「愛してる」状態とは、3つのかたちがあります。
①相手を幸福にすること
②相手の望むことを想像すること
③相手の全てが許せること
この場合の相手というのは、ほとんどの場合「結婚相手」つまり妻か夫のことです。
形式は事実婚でも構いませんが。
つまり、人生をお互いに共有し、どんな辛いことや困難な事が起きても2人で乗り越えていく状態のことを意味します。
そうすると、一般的な「婚姻」というかたちを取っていることになります。
この3つのことを成し遂げることは、とても難しいことで、人生(生涯)を共にする覚悟が必要で、とても長い年月を必要とします。
逆の言い方をすると、愛してなければ、他人の人生の苦楽を共にできないということ。
「相手の幸福のために結婚する」という高尚なことなど、無理だと思われる事を成し遂げる努力を積み重ねるから、人は大きく成長出来るのです。
私 にのまえの云う、「恋愛で成長して、運命を変える」という独自の言葉の意味は、まさに、このような「究極の愛」「本物の愛」を探し求める事であり、それこそが人の心を真に豊かにしてくれるのです。
つまり、「失愛」と云うのは、この3つを失う事です。
相手の幸福のために生きていけなくなった、相手の望む事を想像出来なくなった、相手の全てを許せなくなった、と言う気持ちや心のあり方です。
その原因は、何でしょうか。
禅問答のようになりますが・・・「愛してなかった」からです。
愛の究極のかたちが、「相手の全てを許せる」ことならば、最期まで添い遂げられるはずです。
そうならないのは、「愛していない」からです。
と、ここまでは理想論です。
現実には、どうしても許せない事があります。
それは、相手がいるから仕方ない事です。
つまり、「愛してる」というのは、「愛し合っている」状態がないと成立しません。
例えば、昨日まで「愛してる」と深く信じていたのに、今日になると、愛し合えなくなっていることに気づく。
その原因が、「気に入らない事があった」「腹の立つ事があった」のならば、昨日までの「愛」はそもそも幻だった。
気に入らないとか腹がたつというのは、自分中心の考えや気持ちを相手に押し付けるだけの行為です。
こうした自分本位の気持ちがある限りにおいて、相手の幸福など考えていないのですから、「愛を知らない」人なのです。
うまくいっている時には、「愛してる」という言葉を連発していても、「愛とは何か」を知らないのですから、いつかは2人の関係が終わります。
これは、モテモテの人には、よく見られる現象です。
若い頃からチヤホヤされて、自分の思い通りになるのが「愛」だと錯覚しているからです。
心から「相手の幸福」を求められない人です。
「美人は結婚したら3日で飽きる」というのは、外見を見飽きてしまうなどという解釈では間違ってます。
美人は「愛してる」という本当の意味を知らないから、パートナーは「この人では、愛が深まらない」と早い段階で気づく事を言います。
では、「浮気で愛を失う」ことはどのように考えたらいいのか。
ここからは非常に複雑です。
「浮気」というのは、婚姻関係でないのですから、そもそも”恋”ではあっても”愛”ではありません。
人生を共にしてないのですから。
例えば、稀に自分の「”浮気”に強い愛がある」と勘違いする人がいます。
そうした勘違いをしてしまうと、夫や妻への愛はなかったことになります。
愛というのは、現代のような一夫多妻制が認められない社会では、ひとつしか存在しない。
一方、浮気は「恋」のゲーム(=肉体の恋)だと思える人にとっては、夫や妻への「愛」は微動だにしません。
万一、浮気がバレても一生懸命に謝罪し修復するはずです。
世の中の現実社会に、浮気は多発している。
その浮気がバレても修復出来るのは、唯一、浮気相手に対して「愛は存在していない」、妻や夫への「愛はある」と自覚出来る時だけです。
浮気をすぐに離婚と考えるのは、本当の愛が何かわかっていないからです。
「失愛」というのは、「失恋」などの軽いものとは全く違う。
愛は「相手の幸福を願う」という”深い絆”のことであり、恋は「自分のドキドキ・ワクワクを楽しむ」という”一時の欲”だからです。
このような恋愛話は、寿命が30年、40年、50年の時代(江戸時代ぐらいまで)には真剣に考える必要はなかった。
結婚して子供を育てると寿命が訪れていたのですから、愛とは「家庭を作り子供を育てることが全て」の時代が、5万年ぐらい続いていたと考えるべきでしょう。
しかしながら、現代のように100年寿命の時代では、50歳は折り返し地点に過ぎません。
人類の経験したことのない長い人生を過ごす時に、愛を知り、愛を育てることを真摯に考えなくてはいけなくなった。
私 にのまえが、SNS投稿で、こうして愛を語り続けるのは、人生が100年になり、人生の真の”幸福”・”喜び”・”楽しみ”が、『本当の愛』なくしては得られなくなったからです。
【一 遼(にのまえ りょう)の毎日投稿のSNS】
・ノート:https://note.com/ninomaeryou
・X(エックス・旧ツイッター):https://twitter.com/ninomaeryou/
・インスタグラム:https://www.instagram.com/ninomae_ryou
・フェースブック:https://www.facebook.com/ninomaeryou/
・リンクドイン:https://www.linkedin.com/in/ninomaeryou/