”情報”と”知識”の違い 〜科学的健康知識とは〜
私が「知識」と言っているものは何かを具体的に考えてみます。
一般的には「データ → 情報 → 知識 → 知恵 の順に実際的な価値が昇華していく」という考え方です。
本日は”健康の知識について”焦点を当てます。
情報は、「どのように価値のある知識となるのか」を表現した事例です。
① 情報「イチゴの美味しそうなケーキが売られている」
知識「甘いものを頻繁に食べると鬱になる。だから食べてはいけない」
② 情報「米国産の大豆で作った豆腐がある」
知識「遺伝子組み換えだから、食べてはいけない」
③ 情報「小麦で作った有名なお店のパスタがある」
知識「日本人は歴史的に小麦を食べたことがないので食べない」
④ 情報「とても良く綺麗になるシャンプーがある」
知識「化学物質で猛毒だから使わない」
⑤ 情報「〇〇産のホルスタインの牛乳がある」
知識「乳がんになる事が分かっているから飲まない」
⑥ 情報「高価なオーガニックのオリーブオイルがある」
知識「オーガニックでも精製植物油は健康害があるから摂らない」
⑦ 情報「月1万円の高額サプリを勧められた」
知識「臨床試験データもないし、食生活を変えた方がコスパが良い」
などなど・・・数えきれないほどの事例のうちの、ほんの一握りだけです。
この知識の次の段階の「知恵」になるのは、それぞれの個人の価値観や遺伝的体質によって健康知識の活用の仕方が違うということです。
つまり、知識とは、普遍的で「科学的な知識」でなくては価値がありません。
私の1,000日以上休まず続けてきた投稿において、「私はこう考える」「私の価値観では・・・」「私の信念では・・・」といった表現が、ほとんどないのはそのためです。
科学的な知識は、(個人的に)誰がどう考えるかとは無関係です。
科学的知識を提供する事が、「知識源」としての最大の価値です。
例えば、健康分野では、非科学的な知識、つまり、大手メディアのスポンサーに忖度した知識、利権による医者の知識、グローバリズムによる政治的知識は、価値がないどころか、それを信じれば、病気になるか、最悪、死に至ります。
50年人生なら非科学的でも「何とかなった」でしょう。
100年人生では、本気で科学的知識を学ばなくては、必ず惨めな人生になってしまいます。