忙しい日々に好奇心を持つ

昨日、筋肉の電気信号を音に変換して演奏するという不思議な世界を目にしました。
基調講演というのか、事前の説明講習会がオールイングリッシュで行われたのはなかなかに堪えましたが、普通に生きていたら出会うことの無い世界に触れることができ、とても貴重な経験でした。

今日、大学のオープンキャンパスがありました。今時の高校ではどんどん「地域ブランド企画」っぽい授業が増えていることを知りました。生徒に学科のことを説明することは、自分としても再度、社会の中での「ソーシャルデザイン学科」や「地域ブランド企画専攻」の位置づけられ方を認識する機会になります。

入試の資料を見ていたら「女子特別枠入試」というものが設立されていることを知りました。それは男性差別ではないか?と思いましたが、社会は知らないところで少しずつ変わっているようです。

オーキャンの休憩中、後輩に「先輩は今何されているんですか?」と聞かれました。改めて考えると自分は何をしているのだろうか、とちょっと分からなくなりました。
少し思案してみると、院に入ってから研究という研究は行っていないなと思いました。ただその代わり、色んなデザイナーの方の作品を見たり、本を読んだり、院の先輩とデザインについて語らったり。あとはプロジェクトを動かしたり、そのためにチームマネジメントについて学んだり。インプットしたもののアウトプット先を作るためにポートフォリオサイトを作ってたり。
やっぱ相も変わらず色んなことをしているなと思いました。成長していながらも成長していないというか。

大学院に入ったのに研究してないのは如何なものか。と思わないことも無いですが、今日言語化しながら気づいたのは、九大に行かずに九産大に残った意味はここにあるような気がしました。
研究を突き詰めるならば、九大とか、もっと研究機関として成熟しているところに行くべきでした。だからといって九産大が良くないなんてことはなく、ここじゃないとできない事が数多くあります。
なので、僕は今の僕のやり方は間違いではないんじゃないかなと思います。まあ、研究もしなければならないのですけど。

高校生には「先輩はどういう就職先を目指されていますか?」と聞かれました。チクリと痛いところを刺されたような気になって、答えに困りました。
こちらも少し思案してみると、自分は事業形態にそこまでのこだわりは無いことに気づきました。その代わり、自分は人を巻き込んで何かすることが好きだということを再認識しました。
だから、プランナーやディレクターになりたいという意志は持っていることに気づきました。

最近は、と言うより大学院に入ってから、誰かに一方通行にアドバイスをすることや、逆にアドバイスされることは減ったように感じます。それを補完するようにして、ディスカッションする機会が増えました。というより、自分が自然とそういう方向にコミュニケーションを傾倒していっているような気がします。

これがなかなかに楽しいもので、日々の会話の中にすら、「学び」というものが隠れているのです。
大学にいると、休日なのに働かなきゃいけなかったり、勉強しなきゃいけなかったりすることが多いです。とても。
そう言う日が続くと平日に疲れを持ち込んで、思考のパフォーマンスがガタッと落ちてしまうこともありますが、悪いことでは無い気がしています。

忙しい日々の中に好奇心を持つことが、全てのことに対する秘訣かなと思います。多忙に追いかけられ暇を追い続ける。そういう日々に成長は隠れていない気がします。
面倒なことや知らないことにこそ好奇心を持って向き合うことに学びがあるような気がしています。

もう少し人生が楽しくなりそうです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?