私は私が何者であるのかを知らなければならない。

なぜ、人はいい加減であることをほったらかしにできるのだろうかと、そのように思うことがある。いや、これは言い方が良くないかもしれない。
私は人と話す時、相手のことを分析しながら、この人はこういう話題が好きで、こんなふうに話せば良いのかと、推測を立てながら「会話」を構築していく。

そのせいだろうか。

私は初対面の人と話すときに、その人に対してどのように話題を振れば良いか、少し戸惑う。

だから人によっては、初対面で、相手のことをよく知らなくても変わらず話を盛り上げられる人がいて、少し羨ましく感じるのだ。

そういう人の共通点に最近気づけたような気がする。彼らないし彼女らは、「自分が何者であるか」というアイデンティティに、感覚的にも言語的にも気づけているのだろう。
相手が何者であろうと自分は自分自身であるということを分かっているからこそ、相手に合わせて話をするのではなく、「相手と自分」の会話を成立させることができるのだ。

だからこそ私は、まず私が何者であるのかを知らなければならない。どんなプロジェクトにおいても、就活においても、生活のありとあらゆる場面においても、フットワークの軽いコミュニケーション能力は必要になると確信しているからである。

一方で、人に適応しながら会話を進めることが私の長所であることも忘れてはならない。

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