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星になった赤ちゃん~死産と通じて今~

 

今日は自分の死産のことについて
思い切って書こうかと思います。


もし同じ経験をした人の癒しになれば。

生命のすばらしさ、貴重さを感じてもらえるならば、
こんなにうれしいことはないです。


長い間死産のトラウマで前向きになれず、
妊活でも相当苦しみました。

でもこのトラウマに向き合わなければ、
決して妊娠には至らなかったとも思います。

今こんなに自然に捉えられているのは、
死産した子どもが近くにいて私たち夫婦のココロの成長を温かく見守ってくれていると実感できるからです。


でももし。読むのが嫌だ・・おつらい気持ちがあれば
どうか無理に読まないでくださいね。

ちょっと長いです。


15年前の出来事になります。


27週目でした。
ちょうど前回の検診では特に異常はなくて、

里帰り出産を希望していたため、
静岡の実家に戻り、生む予定だった病院での検診日でした。


妹が車でわたしを病院まで送ってくれました。

車内での会話。

「実はおねえちゃんに話すのが家族で一番最初だよ。
実はわたしも妊娠したんだ^^」



え~!!!あんたも!とびっくり。

「同じ学年だよね。楽しみだよ♪
お父さんとお母さんにはこれから話そうと思うよ。」



姪ができることが嬉しくて、
初めにわたしに話してくれたのも嬉しくて、
すごく幸せな気持ちで病院に向かいました。



また今日もわが子の動く姿を見れる。
エコー検査が毎回楽しみで仕方ありませんでした。




その時の医師のぴくりと眉毛の動き。

どきっとしました。




「佐藤さん、今日は一人で来たの?ご主人は?」




主人は仕事で東京で、
妹と一緒に来ましたが。


すごく嫌な予感がしました。

脂汗が背中をつたる。




「先生、はっきり言ってください。なんですか?」


「心音がね、聴こえないんだよ・・・・・・」


その時の崖から突き落とされたような衝撃は
いまだに忘れられません。
奈落の底にどこまでも沈んでいくような。
ぐらりと視界がねじれていきました。

医師は話し続けていて、
おそらく死後数週間は経っている、
原因はわからない。

すぐにでも出産させなきゃいけない。
でも東京で出産して東京で火葬するのか。
静岡で出産して静岡で火葬するのか。
今この場で決めてほしい。


静岡でならすぐに紹介状を書くから、
大きい病院に入院してほしい。


頭がフリーズしているので、
断片的にしか情報が入ってきません。
朝まで赤ちゃんの顔を見れることを
楽しみにしていたわたしには、
火葬の話なんて理解できません。



「ごめんなさい・・・・何も考えられません。父を呼んでいいですか。」


父が来るまでの間、別室に移されました。
そこでおいおい泣きました。


泣けて泣けてたまらなくって。
消えてしまいたいくらいつらくて。


その部屋に胎児心拍モニターがあり、電源コードを見てふと思いました。
このまま首絞めてしまえばどうなるかな。と。


わたしがそんなこと考えるなんて
信じられないんですが、その時はもうまっしろで
コードを握ってぼんやりそんなことを考えていました。




その時扉をノックする音が。

妹が遅いわたしを心配して入ってきたんです。

ハッとしました。



妹のおなかに新たな命がいることを思い出したんです。

何とも言えない気持ちでした。

生と死。

両極端なものを目の当たりにし、現実に帰ることができました。



妹にはその場で報告できませんでした。

ショックでおなかの子どもに響いたら大変だと思ったから。




「大丈夫。ちょっとお父さんが来てくれることになったから、

先に帰っててもらえる?本当に大丈夫だから。」



後で聞いたら、泣きながら帰ったそうです。

鋭い妹はすでに察してくれていて。

でも「分かったよ」と言って何も言わずに帰っていきました。





生きるものがいれば、死にゆくものもいる。

今わたしはこの子をしっかり天国まで送ってあげなきゃいけないんだ。

そう思えてきました。




市内の総合病院にそのまま入院し、翌日出産となりました。

死産といっても、帝王切開で手術するわけではないです。

陣痛促進剤を打ち、

バルーンを膣に入れて子宮口を広げて、

通常通りの出産です。




母も駆けつけてくれました。祖父母も。

夕方には東京から主人も。




涙も枯れて、放心していました。

わたしにたくさん優しい言葉をかけてくれました。




病室で母がわたしにメイクを落としがてら、
フェイスマッサージをするといって、

後ろ向きでわたしの顔をマッサージしてくれました。

その時の母の指の温かさが妙に皮膚にしみてきて

せきを切ったように涙がぽたぽた止まらなくなりました。

声を殺していたけれど、
指でわたしの涙を感じた母も、
背中でひくひく泣いていました。


つらいね・・・・
こんなにつらいことはないね・・・・と
泣いていました。




本当だよ、神様って本当にいるのか信じられないよ。


その晩は主人とわが子と、病室で寝ました。

同じベッドで。

泣いたり、でもしっかり送ってあげようね、と。
時々笑う余裕もありました。


翌日


朝ごはんは食べたと思います。

内診台で内診し、陣痛促進剤を入れました。
自然に陣痛が来るのを待ちます。
重い便秘のような感じで、ベッドでいてもたってもいられない。

トイレの中でほとんど過ごしていました。

つらかったのは、吐き気が治まらず、

ガーグルベースン握りしめて吐いていました。

3回内診し、途中バルーンも入れました。

数時間はそわそわ。




3回目の内診台後

トイレに入った時。

股の間から頭がぬっと出ていました。

慌てて押さえて、ナースコールを押しました。



車いすで内診台に運ばれ、立ち上がった時にはびちゃっと破水し、
内診台に上がるのも一苦労でした。




そこからあっという間。

医師が来る前にするりと誕生していました。

生まれる瞬間はふわ~と温かく、自分が赤ちゃんに

還ったようななんともいえない心地よさでした。

包まれている感じ。

正直気持ちよかった。



胎盤もするりと出てくれて、母思いのいい子でした。


会陰切開の必要もありませんでした。


病室に戻ってから

抱っこすることができました。

かわいい男の子。

しっかりした五体満足で、どこも過不足ない。

顔もはっきりしているし。

本当に心拍が聞こえなかったのか。

本当に亡くなっているのか、わからないくらいでした。

あの時の子どもの重みは忘れられない。

333gでした。




この時写真を母が何枚か撮ってくれたのですが、
いじらしいことに子どもの表情は笑っていたんです。
のちのちその写真を見ては、何回も泣きました。


看護学校に入り、NICUで実習中、
500gの子どもが保育器内で懸命に生きている姿を
見ては333の数字が頭に浮かんでいました。



実家に連れて帰り、火葬まで3日ほどあったかと思います。
毎日一緒に寝て、たくさんの絵本を読んであげ、手紙を書き、
生まれてから一緒に遊ぶ予定だったおもちゃで遊びました。


悔いのないようにたくさんしてあげました。



火葬前日。

肌の色はすっかり青白くなっていました。

もう明日なのかと思うと、気持ちの踏ん切りがつきません。



火葬したくなかった。
お別れしたくなかった。
せめてキスだけでもしたい。


もう一回抱っこしたい。


そう思って顔を棺の中に沈めた時に
強烈な異臭が鼻をつき、
しばし呼吸できなくなりました。



棺の中のドライアイスの香りでした。


抱き抱えることもできませんでした。

動かすと鼻からツーと出血してきて、
彼が苦しそうだったから。



ママ、もう天国に行くんだから。

しっかりしてね!

と子どもから言われているような気持ちになりました。


つけたくなかったけじめがついた気がしました。


火葬して、お墓に入れて、

気づいたら優しい春の季節。


東京に帰ってきたときの優しい風のにおい。

もう春だなあ~と思ったのを覚えています。



ふわあと香る暖かさ、家の目の前の桜が
わたしを優しく癒してくれました。


もう15年も経ったのが信じられないくらいに
昨日のことのように鮮明です



生きていれば、もう中学2年生。



本当に不思議な話なのですが、
その後何かあれば近くにその子が
守り神のように存在していることを感じます。

夫婦ともに。




子どもがぎゅっと手を握った気がして、はっと起きる夜もありました。



近くにいることを確実に感じるんです。




私たちが笑っていると、

その子もにこにこ笑っていてくれる。

ずっと近くにいてくれる。

子どもってなんていじらしくて愛おしいんだろ。



死産された方、流産された方。


自分のあふれる感情をそのままに感じていってほしいです。



蓋をせずに。


出てきたものそのままで。



無理に振り切ろうとしなくていいです。

笑顔にならなくてもいい。

経験が必然だったなんて思わなくてもいい。

その子がその人生を選んだんだよと言われて信じようとしなくてもいい。



時間が癒してくれるのは確実です。

でも子どもを亡くした親は一生悲しいです。

悲しい気持ちはずっと残ります。

平気な顔はしなくていい。

子どもが亡くなった意味を見出そうとしなくていい。






パートナー、家族、友人がそういった経験をされた方。


たくさん泣かせてあげて、優しく受け止めてあげてください。

特別な言葉はいりません。

わたしは何も言わずにただただ抱きしめて、
一緒に泣いてくれたひとの温かさに救われました。




いつかすーっとココロに染み渡る日が来ます。




大丈夫。




===改めて自己紹介===

妊活コーチの佐藤祐季(おゆき)です

・不妊治療歴8年
・妊活とキャリアのお悩み相談室5年
・累計400人の女性をサポート

ライフイベントの変化で女性の性・キャリアでの
ゆらぎを抱えながらも女性がかがやく社会へ

をテーマに活動しています。

今でこそ、
妊活カウンセリング受講のお客さまからは

「自分のことが好きになれた」
「自分を見つめなおすいい時間でした」

と言葉をいただくも、

私自身、
23歳で結婚し妊娠
その後7ヵ月で死産。
その後、心のジレンマに悩む日々。

看護師として働いてきた自身のメソッドに沿い、
2人の男の子を自然妊娠

多くの方のカウンセリングを経験し、

【4ヵ月で足から妊娠体質へ導く講座】主宰

として今も現役で妊活のアドバイスを続けています。

個別で妊活カウンセリングをしているので
お話ししたい方はこちらのLINEからお待ちしています↓

https://kli.jp/f/uzPv/


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おゆき|ナースが伝える妊活足もみ
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