衆愚制にはまる世界~「民主主義は最悪の政治形態といわれてきた。他に試みられたあらゆる形態を除けば」~

わたしたちは民主主義が政治の最終段階だと思っている。
民主主義はほかの制度よりまし、チャーチルの言葉を思い浮かべる人もいるだろうが、彼は民主主義が最悪の政治形態であるとはっきり言っている。
これは第二次世界大戦を戦い抜いたチャーチルという人物の実感なのだろう。要するに、ヒトラーの第三帝国やスターリンのソ連と比べれば民主主義は健全だ、という意味であり、もっというと、戦争に勝利した直後の選挙でチャーチルの保守党が敗北して首相を辞任させられたことを受けて、イギリス国民に向かって皮肉を言っているのだ。
歴史上の名言は状況から切り取られて独立した言葉になることはよくある。チャーチルの有名な発言もその一つだ。
そもそも、チャーチルという人物は民主主義が健全に機能していた時代には海軍大臣時代にミスをして失脚させられた。しかし、ヒトラーやスターリンの台頭、戦争によって彼は表舞台に現れて活躍することができた。
戦争の後、同じ戦勝国のスターリンは権力を掌握し続けた。しかし、チャーチルは選挙で負けてあっさり首相を辞任させられた。
そして彼は民主主義は最悪の制度だといったわけだ。
ヒトラーが勝利していれば英雄を祭り上げて神格化するところを、戦争を勝利に導いたチャーチルを選挙で落とすことができる、そんなイギリスという国の民主主義に誇りを持ちながらも、ふざけんなと怒る気持ちは理解できなくもない。
ここで言われている民主主義はかなり特殊な用語法で、少なくともいまの日本には当てはまらないということだけは指摘しておきたい。
 

民主主義、三権分立、日本人はこれらの制度がいいものだと信じている。それはアメリカがそういう制度で発展してきたからだ。
だが、すべての国地域で民主主義が最もいい制度とは限らない。でも、誰もアメリカに歯向かえないから民主主義万歳とアメリカに追従しているだけだ。
それに堂々と反抗するロシア、中国、そのほか北朝鮮というならず者国家がいる。
だが、彼らを単純に悪だと決めつけるのは早計だ。
結局歴史は勝者が紡ぐ。もしアメリカが敗北したならば、歴史を書くのはロシアや中国かもしれない。そのとき、彼らはアメリカは軍事力を用いて民主主義という制度を押し付けてきたと記述するかもしれない。

さて、アメリカの絶対権力が崩壊しつつあるいま世界で流行しつつあるのは独裁権力だ。
なぜ民主主義が弱まってしまったのか? アメリカの弱体化が大きいが、それ以上にみんなが好きかって言いすぎたからだ。
政敵少数者(LGBTq)の権利、障碍者の権利、避妊する権利、そのほか無数のなんとかの権利たち。
誰かの権利を守ることが他者の権利を侵害することになる、なんて言われなくてもわかることだ。が、一部の勢力は特定集団の権利を侵してはならないものとして神聖化した。
保守派の過激化は、行き過ぎたマイノリティの権利保護、リベラルへの反動として表れた。
なにごともやりすぎはよくない。強い力にはその反対の力が生まれる。作用反作用。
心が女性の男性が女子更衣室やトイレを使うのはどう考えてもおかしい。排せつや着替えは肉体に準拠するべきだと誰もわかることだ。スポーツは体を使うんだから体を基準にするべきだ。
結局、みんなが好き勝手いいはじめると衆愚政治に転落する。
都知事選を見よ! 
あれが衆愚制の見本だ。
衆愚制を止めるためには権力を集中するしかない。特定の権威ある人の発言が特別に尊重されること、それは民主主義の終わりをもたらすだろう。
だが、そうでもしないと選挙は無秩序になる。選挙がまともに機能しなくなれば民主主義は支持されなくなる。民主主義という制度に対する信任投票が必要かもしれない。
そういうわけで民主主義は行き詰っている。一人の一人の言論の自由、好き勝手を許しまくれば選挙や民主主義への不信感が強まる。かといって、特定の人物の発言を特別扱いし、そのほかを罰すれば言論弾圧になる。
どちらに進んでも未来は見えない。
そこで現れたのが先のトランプ暗殺未遂、神がかりじみた生存なのだ。
というわけで、民主主義と呼ばれる衆愚制は遠からず終わるだろう。次に現れるのは神権政治、あるいはプロレタリア独裁だ。

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