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日記 2025.1.30(木) ちくわのチャーハンを食べにおいでよ。

朝ごはんのあと、台所で寺尾紗穂さんの新曲を流した。横で静かに朝ごはんを食べるお母さん。お父さんはもう食べ終わって隣の部屋でコーヒーを飲みながらテレビを観ている。それぞれの朝に夕焼けの川辺を重ねてみる。大好きな夕方の感じ方が、近ごろ変わってきているような気がする。

朝、新聞を読んだお母さんが面白いことを教えてくれた。県内の女性の健康寿命が全国最下位のわが県はその実態を調査していく中で、一日の座っている時間の長さが上位県よりも長いということが分かってきたらしい。たしか県内の20代から50代の女性へのアンケートの結果らしいがこれは一体どういうことなのだろう。お父さんは自らが長時間座っていると感じている人が多いというだけの結果かもしれないと言い、お母さんはただ漠然とその結果にショックを受けている。わたしはただ座って過ごすということができない人間なので、座っての作業が好きな方が多いという結果でもあるのかなと感じた。ひとつの記事をみて、いろんな方向性を考えてみることは楽しい。人によってどう感じるかは全然違うから、それをことばにして伝え合ってみるとすごく面白い。

朝からちょこっとトイレ掃除をしていたらハロゲンヒーターに触れてしまいインナーダウンの裾がとけてしまった。中から綿がほわほわと出てきている。しまった。当て布をすればまだ着られるかもしれないが、手放す時期だったのだとも感じて捨てることにした。インナーダウンの代わりになるようなものをニットで編んでみたいし、あたたかさを保つ工夫を考えるきっかけにもなると思った。インナーダウンは持っているから着ているというところがあったし、持ち物について考え直すいいきっかけになると思う。無ければないなりに工夫すること、簡単に買う選択をするよりもわたしにとっては心地よい作業である。

レンコンの青のり炒めを夕飯の一品に作っておくことにした。冷蔵庫にレンコンとかごぼうとか、根菜類があるとどっしりと構えていられるから安心する。でもいまは葉物があんまりなくてなんだか物足りない感じもする。白菜とかキャベツとか、思いっきり食べたいなあ。

お昼ご飯はエスニックチャーハンを作ってみた。この間作ったナンプラーとレモンを効かせた春雨炒めが美味しかったのでそんな雰囲気で作った。ちくわを入れてみたらなんだか懐かしい気持ちを思い出してきた。
小学生の頃、土曜日はお昼前まで学校があり、そのあと下校して家に帰ってお昼ご飯を食べていた。わたしは学校の給食が大好きだったけれど、お昼ご飯を家に帰って食べられるということが楽しみでほっとできる瞬間だった気がする。昼間の明るい時間にただいまーと帰り、ランドセルを投げ捨てて台所へ向かう。1時間の距離を歩いて帰って来ているからお腹はぺこぺこだ。台所へ行くとお母さんがお昼ご飯を作るいいにおいがする。土曜日にお母さんがいる時、お昼ご飯の定番はチャーハンだった。味付けは塩こしょうのシンプルなもので、お母さんが大好きなちくわが必ず入っている。お母さんが土曜日のお昼に家にいる嬉しさ、学校から帰ってきた安堵感、緊張から解放され食べるちくわ入りのチャーハンは、わたしにとってなんだか特別なものだった。
こんな話を話してみたがお母さんは全然ピンと来ていなかった。お母さんにとっての土曜日の昼ごはんは、わたしの感じていたものとはまったく違っていたのだろう。ちくわへの思いもまた人それぞれで面白い。

編み物を進め、15時前にお母さんの用事のために一緒に出かける。ATMの機械との交信が苦手なお母さん。記帳とお預け入れ作業を隣で見守った。ひとりじゃ心細かっただけなのだろう、わたしに見てもらいながらスムーズに作業を進められてもう終わったーと喜んでいる。あとでお父さんに聞いたら数日前から行くのが億劫になっていて後回しになっていたことだったらしい。

用事を終えてコンビニの駐車場でコーヒー片手にお菓子タイム。家から持ってきたカステラを二人で分け合い、コンビニで買った青のり味のポテトチップスとピーナッツチョコレートの袋を開けて食べる。お菓子がたくさんで喜ぶわたしをみて、子どもみたいとお母さんが言った。小さな頃におやつを制限されていたわたしにとって、好きなお菓子を思いっきり楽しめるいまこの瞬間は特別なものなのだということ、すこし気づいてくれただろうか。

帰り道はダムを横切る道を通った。橋の上からカモの団体が見える。冷たい風が吹いているけれどわたしは遠く水面に浮かぶカモに夢中になった。水辺をすいすいと進むカモが大好きだ。なにやらカモとは別な水鳥もいることに気づき観察する。カイツブリのようなもぐって顔を出す動きをしているが小さくてよく見えない。双眼鏡を持ってまた来たい、一旦家に帰ることにした。

お父さんが帰ってきてすぐ、三人でダムへと向かう。お父さんは電動自転車で、お母さんとわたしは歩きで向かう。途中の沼に抹茶みたいなきれいな色の鳥、ふわふわきれいな白と黒の鳥を発見。白と黒の鳥は人に慣れているような感じでこわがらずわたしの近くまで寄ってきてくれた。写真におさめることまでは叶わなかったがかわいい顔。あとで調べるとどうやらメジロとエナガのようだ。

ダムの橋の上から三人で双眼鏡を構え、鳥を観察する。寒くてレンズがくもるがカモの家族の姿がはっきりと見えた。カイツブリとみられる家族はもうカモの近くにいなくなっていて残念。諦めきれずに橋の反対側も探してみる。ダムの遠くのほうに小さな波紋を見つけて双眼鏡を向けるとさっきの鳥の姿が見えた。いたー、と叫んでお父さんとお母さんに伝える。小さいけれどかわいらしく丸い鳥。井の頭公園でよく見かけるカイツブリは顔が黒っぽいのだが、この子は薄い茶色をしている。カイツブリではないのだろうか。よく分からないけれどもぐったり顔を出したりするかわいい姿に三人でやさしい気持ちになった。帰り道、時々後ろを振り返りながら夕陽を眺めた。やっぱりわたしはこの暮れゆく静かな時間が大好きだ。昔は黄昏時のこの時間、さみしさも含んでいるように感じ涙が出ていたけれど、いまは明日へ向かい生きのびて行くために背中を押してもらう時間のように感じている。太陽に背を向け後ろに太陽のぬくもりを感じながら進める安心感を味わう。

散歩をして体は温まったが今日は寒い。さて夕飯の準備をする。合間にお父さんに編み物を伝えてみる。フレーベルの星を作るために使っていたハサミを台所に返し、本当についにお父さんのフレーベルの星ブームは去ったようだ。いつから始めたのだったか、暇さえあればフレーベルの星を作り続けたお父さん。テレビを観ながら、ちょっとした時間はいつも星を折っていた。はまったらやめられなくて困ると言っていたお父さんもわたしと似ていてただ座っていることができないタイプ。編み物も同じようにはまるだろうか。やりたくないことは初めから決して手をつけないお父さんが、やってみようと誘うと素直に聞き入れてくれるからやっぱり気になってはいるんだなと感じる。

弟が仕事帰りに立ち寄った。コンビニで買ったご飯を持っていてどうしたのかと聞くと、2月にある地元のお祭りの会議があってその前にご飯を食べようと寄ったらしい。作り置きしておいたレンコンの青のり炒めと大根おろし、ごぼうのマヨネーズサラダを出してみた。レンコンの青のり炒め、大根おろしは食べてくれたがごぼうのマヨネーズサラダはちょっと失敗気味で酸っぱかったので敏感な弟はすぐに食べるのをやめていた。ちいさな頃から弟はちょっと変わったものには手をつけなかったがそれは変わらない。

弟がご飯を食べている周りにお父さんとお母さんも集まってきた。お父さんは薪ストーブの番をしながら、お母さんは弟の食事を見守りながら話をする。近ごろ甥っ子は保育園で何度も熱を出し、親は呼び出されて迎えに行ってを繰り返しているらしい。本人はいたって元気、病院ではただの風邪です、大丈夫ですと言われ、じゃあなぜ熱が出るのかと二人とも納得できず不安の中にいるようだった。中耳炎にもなりかけていると心配そうに話す弟に、お父さんとお母さんはお風呂に入れる時にはこうしているか?とか具体的なアドバイスをしていた。弟はお父さんとお母さんの意見を聞きながらすこしずつ素直になっているように見えた。話を聞いてほしいのもあってやってきたのだなと思った。

わたしは子育ての経験はないから口出ししないでいようと思ったが、甥っ子の気持ちになって素直に考えてみたことを言ってみた。迎えに来てほしくて熱を出しているかもしれない。わたしにはそんなふうに思う。まだ11ヶ月の赤ちゃんは、お母さんとお父さんともっと一緒にいたい、そう感じているのではないかと思う。
わたしが会社に勤めていた時にも同じようなことがあったし、まいちゃんからも同じような話を聞いたことがある。毎日のように熱を出して呼び出される先輩やまいちゃんをみながら、赤ちゃんは何を考えているのだろうとわたしはわたしなりに考えていた。わたしが赤ちゃんだったらどう思うだろう。

毎日素直に保育園に行ってくれる赤ちゃんでも、安心安全の場所から外に出ることに少なからず緊張を感じているのだと思う。わたしは自分の感情を表に出せずに抑える子どもだったが、素直な気持ちは土曜日のちくわ入りのチャーハンの安堵感のようにおうちの中にずっといたい気持ちがあったのだと思う。ことばではまだ表現できない赤ちゃんは、必死になんとか親に会える方法を試しているのではないか。熱を出せばお母さんに会える。赤ちゃんを助けるために赤ちゃん自身の体は働き、協力しているのではないか。素直な気持ちに体は応えてくれること、赤ちゃんはもうすでに知っているのだ。子育てをしたことがないわたしの想像だが、なんだかそんな気がするのだ。

ご飯を食べ終わり、会議のために弟は帰って行った。お母さんとお父さんに話を聞いてもらってすこしすっきりしたように見えた。わたしの編んだニット帽も忘れずに持って帰ってくれた。

子どももいろんな事情の中で自分なりに考え行動して成長していくものなのだと思う。大人になってもおじいさん、おばあさんになってもきっとそれは変わらない。わたしたちだってまだ成長の中にいるのだ。
時々ちくわのチャーハンを作って幼い頃の安心を思い出してみたい。自分の中に安心をいくつも散りばめながら、太陽のぬくもりを背中に感じて前を向き、実践を続けていこう。

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