日記 2024.10.14(月) 夜空を見上げ、ぬくもりを伝え合う。
おはよう。6時半起床。いつも通りの朝、すっきり目覚めた。昨日の法事の疲れはそんなに残っていない様子。無理しなかったからだろう、心も元気だ。
洗濯物を干して、朝ごはんの支度をして、いつもの日常に戻る。法事のお餅があるから朝ごはんに食べる。大根おろしにすだちとしょうゆをかけ、煮たお餅にかけて食べる。美味しかった。
お父さんは今日はリハビリへ。疲れで足がパンパンになって動かないとお母さんに訴えてきた。大丈夫、大丈夫、こうやってゆっくり動かしてみたりマッサージしたりしてみてと伝えてやってもらう。とにかくかまってもらいたいのがお父さん。みんなが見ていてくれるところではがんばれる。
お料理の入っていた入れ物をざっと洗ってゴミを分別していく。ペットボトル、空き缶、段ボール、それぞれ分けていく。こういう作業は大好きだから黙々とできる。
お母さんはいとこが送ってくれた写真をみながら昨日のたのしい出来事のことを思い出しながらおしゃべりしたいようだったけれど、わたしは今日は静かに過ごしたくて干渉されたくないモード。ちょっとひとりの時間が欲しい。
午前中は南側の窓に足を向けて陽に当てながらごろごろとひとり過ごしてみた。気持ちがいいな、お昼ご飯はどうしようかな、などと考えてているような考えていないような。久しぶりにちゃんとのんびりできた。お母さんは久しぶりに畑へ出た。
お昼過ぎ、立ち上がりゴーヤーチャンプルーをつくっていく。今年最後のゴーヤかな、頂いたものがいくつかあるのでそれを使う。コウケンテツさんのレシピで作ってみよう。コウさんのレシピは面倒くさい工程をできるだけ省くような配慮があり、ひとつひとつの工程の意味を理解しながら料理ができるから作っていてたのしい。ゴーヤーチャンプルーは豆腐の水気をしっかりときること、食材を炒めながらひとつひとつにお塩で味付けをしていくことが大事だと分かった。意味がわかると料理の楽しさはどんどん広がっていく。お塩とおしょうゆだけでものすごく美味しいゴーヤーチャンプルーができた。
お昼ごはんを食べたらお母さんもさすがに昨日の疲れだ出てきたようだった。お昼寝しないとだめだと言って布団へ向かう。わたしも眠たいし体はまだそんなに動きそうにない。お母さんはお母さんの部屋で、わたしは仏壇のある八畳間で、それぞれひとりになって2時間くらい休んだ。
夕方お母さんとみかんを買いに産直市場へ。ここへみかんを買いにきたのはもう三回目。美味しい極早生みかん、法事のために準備した分は昨日いとこにみんな配ってしまった。すっからかんになった果物カゴをみてお父さんが残念そうにしていたし、お母さんもわたしもまたあのみかんが食べたいと思ったので買いにきた。そういえばこの間買いにきた時に、孫に全部食べられたのでまた買いにきたというおじさんに会ったのだっけ。うちの家族は弟の奥さんも含めていまの時期の青いみかんが大好き。
スーパーに寄ってお刺身とアジ、豆腐を買った。お父さんがリハビリから帰って来ているはずだからとそそくさと帰る。
家に帰るとお父さんは、ベッドに寝そべりテレビを観ながら迎えてくれた。みかん買ってきたよと声をかける。
ものがない時代に生まれ、きょうだい4人の中で育ったお父さんは、美味しいものは一番最初に食べるタイプらしい。人に分け与えるというよりも、たくさんのものに囲まれたり美味しいものをしっかりと食べてみたいという気持ちがいまもまだすごく強いようだ。みかんを二袋買ったと言ったらすごく喜んでいた。買いに行ってよかったと思った。
夕飯を作る。台所に立って料理するのは面倒くさい。今日はお母さんと二人で助け合いながら作っていく。美味しいお料理をたっぷり頂いたあとはお味噌汁に野菜、質素なご飯が食べたくなる。
お母さんがナスとオクラを煮物にして、買ってきた鯛のお刺身5切れを小さく切って分けてくれる。お母さんはきっちりと平等に切り分けるのが得意だし、煮物もお母さんが作る方がおいしい。わたしは長い長いインゲン豆、レンコン、お揚げ、小松菜、わかめのお味噌汁を作る。わたしの作るお味噌汁を見てお母さんはいつも、美味しそうと言ってくれる。それぞれ得意なところが違って面白い。
冷蔵庫の中の煮豆、トマトの塩麹がけ、納豆の酢の物風など小皿に盛り付けていく。ご飯の上にはごぼうの味噌漬け、実家のナスの酸っぱいぬか漬けをのせる。
お母さんが夕飯を食べようと声をかけにいくと、お父さんは眠ってしまっていた。昨日法事を終えて今日は朝からリハビリへ行ったのだし、さすがに疲れが出たのだろう。ご飯を食べながらもちょっと寝ぼけていた。
食後に買って来たみかんをみんなで食べる。前回の方が美味しかったなんてお父さんは言っていたけれど、わたしは今回買ったみかんも十分に美味しいと感じた。果物カゴいっぱい盛られたみかんを見てみんなで嬉しくなる。
お父さんがアトラス彗星が見られるらしいぞ、とニュースを観ながら叫んでいる。どこにみえるのか、方角も時間帯も分からないままお母さんと外に飛び出してみると空は曇っていて月さえ見えなかった。それでも広い空をお母さんと見上げてみる。お母さんの肩をわたしの手であたためた。気持ちがいいわぁとお母さんは喜ぶ。月や星の見えない真っ暗な空もまたきれいだった。
遅れてお父さんも外に出て来て三人で一緒に空を見上げる。お父さんの肩にわたしが手を当て、お母さんがわたしの肩に手を当てる。三人連なり列車みたいになって温もりを伝え合う。お父さんの肩はかたく冷えていた。いつもお母さんの肩には手を当ててほぐしているけれど、時々お父さんの肩にも手を当てて手当てしてあげたいと思った。
家の中に入り、テレビを一緒に観ながらお父さんの疲れてしびれている足を揉んであげることにした。お母さんは右足、わたしは左足を。お母さんはわたしが肩に触れると素直に受け入れてくれる感じがあってすぐにほぐれてやわらかくなるけれど、お父さんにはそれがない。気持ちが伝わっていない感じがしてなかなか凝りが取れてくれないかんじ。なかなか手強いぞ。お互いに照れがあるからかもしれない。
相手に触れてはじめて分かることがある。お父さんとお母さん、それぞれに緊張したり力が入っているんだなと分かる。気持ちを伝えること、ことばばかりに頼らずに、手のひらから伝えてみること、これからやってみたいと思った。
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