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日記 2024.10.7(月) 雨の日、台所で過ごす一日。

実家での体温調節がなかなか難しいのだが昨日はうまくいったようでぐっすり眠れた。寒いかなと思って着ていた綿のインナーを脱いだら快適に過ごすことができた。肌寒くはあるものの、まだインナーを着るには早かったようだ。羽織るもの、靴下などで調節してみたい。

雨の月曜日。昨日の不思議な出来事のことは気になるけれど玄関の外は特に変わった様子はなさそうだった。ただ、近ごろインターホンのそばに小さな緑のカエルが生息しているようで、その子が朝から元気に鳴いている。まさか、このカエルがインターホンを押したのか、冗談でお父さんに言ってみた。お父さんはこわがっていたお母さんにもすぐに報告。犯人がわかったぞと騒いでいた。昨日の不思議な出来事も朝になれば笑いに変わる。

しっとりとした庭の景色を楽しみながら朝ごはん。よくみると庭の木々の紅葉は始まっている。
今日はご飯を炊く。お味噌汁は昨日の夜の残り、大根葉とタラ、わかめをしょうゆで炒めたもの、インゲン豆とかぼちゃの煮物、塩麹トマトをおかずにする。

雨の日はできることが限られるから予定を決めやすい。今日は台所を中心に掃除をしていくことにした。お母さんには台所へ広げている荷物や書類を片付けてもらう。
掃除の前にまずは昨日買ったごぼうとしょうがでごぼう味噌を作りたい。すりおろしたごぼうとしょうがを味噌とお出汁になるようなものと混ぜてつくるごぼう味噌は本当に、本当においしくて毎日飲みたくなる。小腹が空いた時にみんなで飲みたいなぁ、そう思いながら陶器のおろし器を使って丁寧にすりおろしていく。隣でお母さんは生わかめの処理をゆっくりやっている。

昨日、じいちゃんの栗の木の下へ言ったらものすごく大きい栗が三つ転がっていた。イガイガの中からつやつやと輝く栗がみえて宝石かと思った。つい拾ってしまった。お父さんとお母さんに見せるとこれは大きいと二人も驚いていた。今年取れる栗はどれも小ぶりなのだそう。この栗とお母さんが拾ってきた小さな栗たちを焼き栗にしてみることにした。包丁で切り込みを入れて魚焼きグリルで焼いてみる。10分くらいで外がすこしこんがりしてきた。焼き上がった栗を取り出そうとした時、バーンと大きな音。一瞬なにが起きたのか分からなかったがどうやら栗が爆発したらしい。粉々になって飛び散る栗。栗は切り込みをしっかりと入れていないと爆発するということを初めて知った。
焼きたての栗は皮がパリッとしていて簡単に皮をはがすことができた。ほくほくの栗を食べてみる。ただの栗の自然な甘みがものすごく美味しい。お父さんにも残しておかなくちゃと言いながらもお母さんと二人、夢中になって食べた。

あっという間にお昼。お昼ご飯は昨日の夕飯の麻婆茄子と目玉焼きをご飯の上に乗せて食べる。別にご飯の上にのせなくてもよかったとあとで思ったけれど、洗い物は少なく済んだのでよかった。

お昼寝をしてからまた台所へ。今日は一日、とことん台所で過ごす。床を拭く前に台所に置いてあるいろんなものを整理しておきたい。お母さんのぬか床に新しい米ぬかを足しておく。酸膜酵母がはって、ちょっと元気のないお母さんのぬか床。でも年月を経てしっかりと酸味のあるこのぬか床の味がわたしは好きだ。ひとつかみだけ残してあとはぜんぶ作り直すというお母さんをとめて今のぬか床を元気にする方法を試してみる。新しい米ぬかのほかに昆布と唐辛子を足してみた。さてどうなるだろう。

書類の整理を始めたお母さんの横でわたしは雑巾を片手に床を拭いていく。台所は毎日みんなが集まる場所だからすぐに汚れてしまうのだけれど、時々雑巾掛けをするとすごく気持ちがいい。いろんなところに爆発した栗が飛び散っているのを見つけて面白かった。

体がなまっていたのでしゃがんで床を拭いたりするのはちょうどいい運動になった。散歩しに出かけなくても掃除すればいいんだ。運動もできて、台所もきれいになって、気持ちいいことだらけ。だから掃除はやめられない。お父さんもリハビリから帰ってきれいな台所をみて、気持ちがいいなぁと言ってくれた。

夕飯の支度までもう少し掃除がしたい。法事の時にみんなが集まる部屋のガラスの引き戸を拭いていく。まだ時間はあるから隅々まで掃除してみたいと思う。集まるみんなの笑顔を思い浮かべて手を動かす。普段は手をつけないような場所も丁寧に拭いておこう。

すっきりしたので夕飯の準備へ。今夜のメニューはもう決まっている。レタスに豚ミンチをのっけてせいろで蒸したレタスシュウマイ。せいろ料理を検索しているときにちらっと見つけ、やってみたいと思っていたのだった。大根おろしとナスをたっぷり入れたお味噌汁も作る。お母さんは台所の書類の整理をがんばっているのでわたしひとりで夕飯の支度を進める。時々、いい香りがする、とお母さんが片付けの手をとめて近づいてくる。本当はもう書類整理なんてつまらないことはしたくなくて楽しそうな料理に参加したいのだろう。

19時には夕飯。すっきりきれいになった台所で夕飯を食べるのは特に気持ちがいいな。今夜は掃除の途中で見つけた平成8年のかりん酒というのをみんなで飲んでみた。お酒という感じはほとんどなくやさしい甘みで美味しかった。28年前、わたしが小学生の時に仕込んだお酒なんて飲んだことはない。
蒸しあがったせいろを食卓へ。せいろが食卓の真ん中にあるとなんだかそれだけであったかい。あたたかい湯気が上がりいい香りが広がる。レタスシュウマイはとっても美味しかった。
今日は一日お腹の調子がよくなかったのだが、大根おろしを食べたらすぐに治ってびっくりした。大根おろしはわたしのお腹の調子を整えるために欠かせない存在になりそうだ。今年は大根が高いとお父さんが言っていたけれど、わたしは高くても買うぞ。

焼き栗が爆発した話をお父さんにしたら、それは昔からの当たり前よと返ってきた。お母さんもわたしもはじめてのことだったけれど、お父さんは栗が爆発したところを見たことがあるのだろうか。
食後に焼き栗を三人で夢中になって食べた。冷めた焼き栗は皮がかたくなってかたくむきにくくなっていた。わたしは爪が短いのでスプーンを使って皮をむいていく。大変だけどがんばった分だけ中身の栗は甘く、ほくほくとして美味しい。ぜんぶきれいに食べてやる、そう思いながら黙々と栗をほじくる。

じいちゃんの植えた栗の木の栗。気持ちがいいこと、楽しいこと、夢中になれることには自然に手が伸びるということを教えてくれている。好きなことをしている時、努力はしていないような気がする。力をこめないとできないのは楽しくないことをする時なのではないだろうか。
わたしは楽しいことを毎日積み重ねて生きていきたい。掃除も、栗をむくこともわたしにとっては大好きなことだからできているのだ。毎日を楽しいこと、もう一度意識してみよう。

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