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「ワクチン神話捏造の歴史」⑤要点抜粋 医療と政治の権威が創った幻想の崩壊  ロマン・ビストリアニク、スザンヌ・ハンフリーズ 著 神 瞳 訳     坪内 俊憲 監修

第8章 人々を抑圧する政府の権力

誰も他人を支配をする資質は持ち合わせていない。その他人の同意があれば別だが。
   アブラハム・リンカーン アメリカ大統領、1809~1865
 
法律の機能として、医療行為を強制することは出来ない。またどんな科学理論も押し付けることは出来ない。そう私は宣言する。
   F・W・ニューマン名誉教授、1805~1897 1874年10月26日
 
19世紀の半ばから20世紀にかけて、天然痘を抑える唯一の手段がワクチン接種だという方針は政府の中にしっかりと確立していった。どんなに親たちが子供のワクチン後遺症を訴えても、どんなに医療従事者が異議を唱えても、政府と裁判所は一丸となってワクチン接種の強制化を布告し続けた。

【ワクチン強制接種を推進する人間は、今回のmRNAワクチンでも言えることだが、医者の場合、医学部で習ったことに対する盲目的な従順さと、篤い信仰に近いくらいの従順さでもって一般大衆を強制接種に駆り立てている】。

【習ったことに対するひとかけらも疑問に持たない。真実追及の頭脳は持っていない。政治家は医師である専門家集団からのアドバイスを基礎に政治的決断をする訳であるが、あまりにもしがらみに捉われて正しい判断が出来なくなっている。また政治的な信念がない人たちが政治をしている】。

【「社会のため」「国のため」が強く出過ぎると「過去に歩んで来た道」に行ってしまう。歴史から何も学んでいない。特にヨーロッパの人たちはここ2~3世紀の科学を牽引してきた人たちであるが、特にドイツ、フランス、イギリスの指導者たちは何を歴史から学んだのだろうか?「WEFの若き指導者」であったはずだ。天然痘のワクチン然り、新型コロナワクチン然り、愚かなことに同じことの繰り返しをしてしまった】。

【天然痘のワクチンの場合、今回の場合とケースが違うと思う。今回は陰に人口削減と金銭的な強い欲求=強欲とも言えるエネルギーがあったと思うが、天然痘ワクチンの場合は「お国のため」「社会のため」が強く出過ぎてしまった感がする】。

【二つのケースに共通なのは、ワクチンと言う「科学」が真実であると強い一方的な思い込みで信じたために、本当の真実が隠されてしまったことが主因である、それにより命を奪われた人や一生障害を負って生きる運命になってしまった人の悲劇を生んだ】。

主流の医療システムに則った法律に従うことを人々に強制するために、罰金・家財差し押さえ・投獄といった法整備が行われた。ワクチン接種を拒否すると罰則が適用された。
 
   1869年8月、イングランド
アン・シブル夫人は不法な判決により、7日間の強制労働を課され、18カ月の幼児と一緒に石つくりの房に閉じ込められた。子供は靴も靴下も与えられず、親子には水とパンしか与えられなかった。
 
   1897年12月17日、アトランタ
L・ミラーさんという女性は、ワクチン接種を拒否したことで25.75ドル(2009年の貨幣価値にして約680ドル)の罰金を言い渡された。彼女は罰金んを払うことが出来なかったので25日間、市の刑務所に投獄されることになった。彼女はワクチン接種後に解放された。
 
   1902年1月26日、ボストン
強制接種は東ボストンから始まり、125人の外科医がそれぞれ警官に付き添われ、民家を一戸一戸訪問し最近の接種歴がない人々に接種を行った。拒否した者は後に法廷に出廷を命じられた。
 
   1903年3月18日 ノースカロライナ州
有名な教育機関の長であるA・T・ウィーヴァ―教授はワクチン接種を拒否し、25ドルの罰金を支払うことも拒否したため刑務所に入れられた。彼は政府に対して法的な訴えを起こし、ノースカロライナ州の最高裁判所にまで闘い続ける可能性がある。
 
ワクチン接種が強制される中、個人の選択や自由は政府に顧みられることはなかった。ワクチン接種を拒否した人のもとには保健担当の役人が警官をともなって訪れ、過酷な手段を用いて目的を達成した。
 
   1901年4月11日、ニュージャージー州
アメリカン・タバコ会社の職場で、350人の若い女性従業員が保健課から派遣された内科医によるワクチン接種を拒否したため騒ぎとなった。全体的に抵抗が強く、リーダーが200人ほどの従業員を率いて工場から出ようとしたが、全ての出口は鍵をかけられていた。警察が呼び寄せられワクチン接種が始まった。役人に食って掛かる従業員もいたが、叫んだり、抵抗したり蹴ったりしながらも内科医のところに引きずられて行った。最終的には全員が接種された。

【日本でも新型コロナワクチン接種では職場接種が広く行われ、日本特有の同調圧力という陰湿なやり方が蔓延った】。
 
   1885年9月28日 モントリオール
フランス系カナダ人は騒ぎ出し、イーストエンド保健局の窓を多数割るという暴動にまで発展した。警官50人ほどが到着し激しい接近戦が繰り広げられた。

暴徒は公衆ワクチン接種医のラポルト医師の家に火をつけた。またイーストエンド保健局は警官が5人しかいなかったので数で圧倒し入口を打ち壊した。
 
どんな職業の者であってもこのような法律の強制から逃れられなかった。判事はある教師にワクチン強制の判決を下した。そして全ての教員は本質的に教育委員会の奴隷であり、抵抗する権利は持たないと述べた。
 
   1901年11月14日、フィラデルフィア
ワクチン推進派はまた本日も勝利を収めた。女子校教員のリンドール女史は過去5年間に行われたワクチン接種成功の証明書を提出するかワクチン接種を受けるかするよう教育委員会に命令されていたが、それを遵守しなかったため、停職の命令を下された。

これに対し、差し止めを要求していたが、アーノルド判事はこれを却下した。それだけでなく、判事は教育委員会と教員の関係は、主人と奴隷の関係であるからとして、不服従を戒めた。
 
ワクチンを強制するやり方として、学校に通う年齢のすべての子供たちを通学させた上でワクチン接種を要求するというものがある。ワクチン接種を避けるために自宅に子供たちを置いていた親たちには罰金と投獄が待っていた。
 
   1902年4月26日、コネチカット州
この市に住むジョーン・マグイガンは、自分の子供たちへの強制接種に反対するため最後まで闘うと決断した。彼は子供2人に接種しなければならないという通知を受け取ったが、そのうち1人は以前にワクチン接種後の重篤な苦しんだために、それを拒否した。

学校の規則では未接種の子供は出席できなかったので、マグイガンは子供たちを自宅に置いていた。氏は子供に教育の機会を与えなければならないとする法律を守らなかったということで逮捕、告発され、刑事裁判所で罰金を課せられた。彼は高等裁判所に控訴し、現在裁判の日程が決まるのを待っている。
 
ワクチン接種による予防効果がなく、深刻な後遺症があることを個人的な経験から知っている人に対しても政治による抑圧はとどまるところを知らなかった。
 
   1912年3月8日、ニュージャージー州
市の保健委員のマイケルスは風紀違反のかどで告発され、明日警察裁判所に召喚される。彼は学校に通っている自分の娘、ドロシーへのワクチン接種を許可しなかったため、教育委員会は彼を告発した。マイケルス氏は本日逮捕された。

「私は自分の子供にワクチン接種を受けさせることを強要されるくらいなら、この州から出ていく。。私の父は天然痘ワクチンの接種を受けた後で、天然痘で亡くなった。私の姉はワクチン接種がもとで身体障碍者になった。

そして当市にもその他の地域にもワクチン接種による害や死亡までもが多数記録されている」とマイケルスは言う。

2週間後11歳のドロシー・マイケルスはワクチンが未接種のため、小学校から自宅へ追い返された。
 
個人の自由選択を宣言しているはずの米国最高裁判所はキング氏の裁判で各州がワクチン接種を強制するため「警察権力」を行使する権利があると判定した。

裁判所は「公衆衛生」を確保するためには個人の選択や自由が制限されると宣言した。内科医の抗議にも拘らず、また教育制度が悪影響を被り、多くの人々が深刻な後遺症に苦しんでいるにも関わらず、ワクチン接種は強制され続けた。
 
   1906年3月27日、ニュージャージー州
この命令により、公立学校と教区学校に通う約3万人の全ての児童・生徒と教師はワクチン接種を受けなければならない。多数の生徒や教師は彼らのかかりつけ医からワクチンを接種してはいけないと言われている。

その結果、20人の教師が停職、数百人の児童・生徒が停学となった。ワクチン接種を受けた者のうち多数が深刻な後遺症を経験したことで、教育委員会は余計に混乱している。まだ、全員が受け終わっていないが内科医たちは150人以上が障害を受け通学出来なくなっていると見積もっている。
 
ワクチン接種を拒んだものには暴力的な対応がとられることもあった。以下の悲劇的な事件では、警察官が殺されたのみならず、皮肉なことにワクチンで「守られる」はずだった者が狩られて撃たれ、多数死亡した。
 
   1904年12月23日、ジョージア州
ギャレットは、ワクチン接種を受けることを拒否し、特別警察官を本日射殺した。ギャレットは逃亡したが、民警団の面々が直ちに追跡を始めた。逃亡したギャレットは町の1マイル北のところで捕まえられた。

彼は更に逃げようとしたが、警官に腿を撃たれ、逮捕された。ギャレットは身体の右側にも大きな傷を負っている。生き延びる可能性は少ないだろうと思われる。
 
昔のワクチン接種拒否に対する刑罰は衝撃的である。兵士が自己選択権を訴えてワクチン接種拒否したのか、健康上の理由か、それとも他の理由か分からない。

明らかなことは、15年もの長期間、軍刑務所に入れられるという相当に重い代償を払ったということである。恐らくそこで強制労働に耐えなければならなかっただろう。
 
優生学とワクチン
劣性遺伝子を取り除くことで人々の遺伝子構成をコントロールし、それにより社会が改善されるということを信じているのが優生学主義者である。
 
   劣性遺伝子を持つ人々は前世紀までは生存するため苦労が絶えなかったが、医学の発達と社会福祉事業の発展により何十万ものこれらの人々が保護されるようになってきた。

一方、身体的に最も適格な何百万もの若者が定期的な戦争において命を落としている。この結果、劣勢の者が残り続け人類に破壊的な影響をもたらすだろう。優生学はダーウィン学説を直接受け継いで成立している。
 

優生学を基盤とする強制断種(不妊手術)とワクチン接種は類似していると指摘されることがある。どちらにも社会的な「善」のためには個人の自由や選択は抑圧すべきだという考え方があるからだ。


 
1928年スレン・H・バビントン医師はカリフォルニア・アンド・ウェスタン・メディスン誌に以下の文を寄稿した。
   増加し続けている精神病患者の数は、彼らを強制断種することにより削減できるだろう。科学的、また人道主義的な観点からして、断種は人類の向上と公共の福祉に最も価値のある手段である。それだけでなく、自分たちには責任のない欠陥により、一生ひどく苦しむ運命の不幸な者たちの数を減らすこともできる。
 
 
政府は、精神薄弱とされた人々が生殖可能年齢になると強制断種を行なった。当時の科学により、精神的な欠陥は望ましくないものであるとされ、従って州政府はそのような欠陥遺伝子が蔓延するのを防がなければならないとされた。

欠陥遺伝子を削除することにより「人類」が実際に向上するという信仰のもと、強制断種は正当化された。すべて仮説である科学的正当性に覆われた仕業である。

「不適格」な個人が子孫を持つことを防がなければならないという考えは精神医学から来ている。
 
1992年、ハロルド・ゴスリン医師はアメリカ精神医学会誌で「優生学は精神疾患を撲滅する鍵となるもので、貧困、非行、犯罪などを抑止する」と述べた。
   日常的に手術を行うことで精神病と精神疾患を防げると考えることが道理にかなっていると何度でも申し上げたい。精神保健のためには「断種」手術がこれまでで一番具体的な手段である。

公衆衛生の手法と優生学の手法は精神病と精神疾患を撲滅し、それに関連した貧困、犯罪、非行も防げるだろう、、、。
 
スーレン・H・バビントン医師は精神医学の観点からみて「精神疾患患者」は「狂人」だと考えていた。「人類の進歩」にとって精神疾患は脅威であり、きちんと検査しなければ精神疾患を持つ子孫が出現し続けると思っていた。

   私たちは全ての精神疾患を持つ者を断種できる時が来ることを待ち望んでいる、、、精神科医の観点から見て彼らは「狂人」であり人類の進歩にとって脅威である。なぜなら彼らは同じ種類の子孫を多数繁殖続させ続けるからである。
 
1910年、ワシントン・カーネギー研究所実験進化論学科長のC・B・ダヴェンポート氏は「優生学―よりよい繁殖による人類の進化の科学」という本を出版した。
   不適格な男女は、親族関係があっても無くても、不適格な子孫しか生まない、、、不適格な両親から健常者が生まれた記録を私は知らない。不適格な男女が結婚したらどんな結果になるか明らかであり、不適格な親から子孫が生まれることは第一級の不名誉である。

この国を守るための自衛手段として、生殖可能年齢の全ての精神疾患患者の再生産が不可能になるように行動制限をしなければならない。もしそれが実施不可能だとすれば、断種が必要である―国の命運が脅かされている時には、急進的な手段が取られ得るし、また取られなければならない。
 
優生学論者は優生学が愛国主義の高い理想を学問に昇華したものであり、「非行者」と「欠陥者」を遺伝的に排除することによって人類を進化させられると信じていた。
 
1922年、先のワシントン・カーネギー研究所優生学科長であるラフリン博士は次のように述べている。
   優生学は人類の堕落に抗う力であり、道徳と知能を形成して人類の活力を改善するものである。現在、我々が公的な機関で支えている堕落者・犯罪者・欠陥者の数を優生学手段により、減らすことが出来るなら、税負担も軽くなるだろう。
 
1926年、バック対ベル訴訟と呼ばれる裁判で、ヴァージニア州の断種法を8対1で適法とする画期的な最高裁判決があった。

この判決により、国家の遺伝子プールを「純粋」に保つという利益が個人の利益を上回るという議論が支持された。

ホームズ判事は断種法を支持する意見を述べる中で、ワクチンの強制接種を持ち出した。

   堕落した子孫が犯罪によって処刑されたり自らの愚かさによって飢えたりするより、社会制度として明らかな不適格者が自分たちの子孫を生むことを制止出来るのであれば、世界中の国々にとってそちらの方が良いに決まっている。ワクチンの強制接種のもとになっている原則は、卵管を切断することを支持する。
 
 
優生学論者は公衆を「護る」ための断種に関する議論に、ワクチン強制接種を前例を持ち出してきた。彼らはワクチンが個人と公衆を病気から保護し、優生学的断種は社会を「人種的堕落」から保護すると信じていた。

ワクチンの強制接種は強制的な優生学的な断種と酷似している。両者とも懲罰的でないが、個人をつかまえて手術を受けさせるからである、、、ワクチンは近い未来において個人を深刻で嫌悪すべき病気から守るものである。優生学的断種はより遠い未来において社会を人種的堕落から救うものである。

【優生学は既に社会に学問としての実態はないが、ワクチン推進者が今強制的なワクチン接種やワクチンパスポートによる識別を導入しようとしていることは、基本的には優生学の根本的な考え方と違わない】。

【「社会や国家のためには個人の自由は制限される」これがどこまで許容されるか難しい問題である。しかし前例は我々に教えてくれる、教育のある医師や裁判官、教育者や政治家が20世紀と同じように大失敗をしてきたことを】。

【また今回のワクチン騒動も地球の人口削減を本当に考えている富裕層がいるのでないかと言われる。社会にとって既に用済みになった高齢者、年金減らしのためにも高齢者の接種を加速させ早くいなくなってもらう。更に何も考えずに「危険なワクチン接種」を進んで行う者は頭脳的に劣勢だから人口削減に協力してもらう】。

【何しろ地球の人口を80億から10億にする計画なのだからラディカルな戦法が必要であった。WEFやWHOでアジェンダが何回も唱えられ人口問題と環境汚染について真剣に討論が重ねられてきた】。

【人口削減にはコンドーム配布の家族計画では生ぬるい。戦争になると物質的な破壊が生じる。場合により核戦争に発展する可能性もなくはない。局地的な戦争だけで終われば良いがその保証はない】。

【最終的には、遺伝子操作で強い病原体を作り、感染症対策名目でワクチンを地球規模で劣性遺伝子を持つ一般大衆に接種させ段階的に殺戮していく。その過程ではワクチン製造で製薬業界は莫大な利益を得て、ワクチンによる後遺症・疾病に関しては医療業界が儲かるようになっている。更に殺戮するだけでなく、生まれてくる人間を少なくするためにワクチンで不妊・流産させる。これは断種と同じ考えだ。かっての優生学の信奉者たちが「社会のため国のため」で気違いじみた言動に走ったが、今回の新型コロナワクチン推進者は純粋に「金銭的な欲求と支配欲」であると思う】。
 
米国の政府によって、特にカリフォルニア州で、何万人もの人々が不適格とされて断種手術を受けた。

加州の断種法は1909年に採択された。1027年5月までに合計で5000を少し超える数の手術が行われた。これは世界の残り全ての政府によって行われた優生学的理由による断種手術の4倍の数である。

1933年以前は多くの国において法的な権力を持っていたが、断種手術は小さなスケールでしか適用されていなかった。米国では1937年1月1日までに2万5403人のみが断種されたが、そのほとんどが加州の人であった。
 
 
ハリー・ハミルトン・ラフリンは優生学的理由による断種推進派の主要な人物である。アメリカ遺伝学協会の優性分科会から任命されて委員会の委員長を務めた。

彼に与えられた「任務は「アメリカ人における欠陥遺伝要素を断ち切るための最良の実用的方法を研究し報告する」ことであった。ニューヨーク市で開催された第3回国際優性学会の研究発表では優生学が「純正科学であり応用化学である」ことを示す目的でなされた。

チャールズ・ダーウィン「進化論の提唱者」の息子であるメージャー・レオナード・ダーウィンも自身の見解を学会で披露した。
 
絶対的な政府権力が極端なまでに強められたのは20世紀初めにナチスが権力の座に就いてからである。ナチス政権の最初の数年で概算で約25万人が「人類」を発展させるために強制的に断種させられた。

ドイツ国家は1936年に優生学的断種に関する功績を讃え、名誉博士号をハリー・ラフリンに贈っている。ドイツでは断種がより大きなスケールで施行されたが、不適格な個人が断種されるべきだという概念はスカンジナビア諸国と米国にそのルーツがある。

これらの国々ではワクチン接種がその前例として強制されていたのである。

【今回のコロナ騒動ではスウェーデンでは歴史を学んでいる様子が見られる。ロックダウンも都市封鎖もなく公衆は普段の生活をしたという】。
 
全米家族計画連盟の設立者のマーガレット・サンガ―は個人の生殖に関する選択が「人類の発展」のために重要だと信じていた。優生学論者や人類の発展のために力を尽くしてきた人々の主張を具現化するためには、まず産児制限を浸透させることが必須である。
 
優生学は移民にも適用された。ニューヨークのエリス島は移民が腸チフスや天然痘に感染しているかの一時的な留め置きが主な目的であったが、時が経つにつれ、精神疾患を持つ者を見つける目的が重要性を増した。

選別プロセスにおいて民族についての偏見が不可避となる。地中海型の人々と東ヨーロッパ系ユダヤ人たちは劣性遺伝子を持つと見なされている。米国では1921年、ジョンソン・リード法が通過した。優生学の支持者たちと民族衛生理論(劣性な民族との混血を防ぐことにより優秀な民族の純潔を守り民族の堕落を防ぐ)の支持者たちがこの法案を強く支持した。
 
ナチスによる対策は極端であると考えられていたにも拘らず、政府権力を使って社会全体を「不適格者」や他の遺伝的欠陥から守るという前提は支持され続けた。

歴史家であり著述家であるヘンリー・E・シゲリストの1943年の文章には次のように書かれている。
   優生学的断種を単にナチスのイデオロギーと同じと見なし、現在のドイツ政府や彼らの手法が気に入らないというだけの理由で、この問題を見過ごすのは大きな誤りである。

結局、米国とスイスは先進的な手段を取った。スカンジナビア諸国の法律はドイツと同等に厳しいものである。この問題は深刻であり差し迫っている。遅かれ早かれ我々はこの問題に向き合うことを余儀なくされるだろう。
 
少数の医療「専門家」集団に巨大な権力を与えることが出来る法を、各州政府は整備した。専門家は誰が遺伝的に「適格」がを自分たちの意見に基づいてのみ判定するのである。
 
最終的には、第二次世界大戦後にナチスによるホロコーストがマスメディアによって報道されたことにより、人々は甚大な衝撃を受け、ようやく優生学に基づく方針が受け入れられなくなったのである。

【コロナ禍終了後、WHOは「パンデミック条約」を提唱して世界中の政府がWHOに次のパンデミック下における対策を全権委任させる条約の批准を試みた。今年は成立しなかったが、選挙で選ばれていない組織に自分たちの運命を託すのは危険であるという認識が今は優勢である】。
 
   米国では、優生学は最終的に科学的見解からは、受け入れられなくなり、大衆からは支持されなくなった。新しい科学的発見により、優生学の研究結果が否定されるようになった。

更に1930年代にドイツで起こった出来事、そしてアメリカとドイツの優生学論者たちが緊密に協力していた事実によって、米国による優生学運動の基礎が著しく損なわれた。1940年代にナチスが犯した犯罪により、優生学の数々の学説に対する信用は失われた。
 
厳しい州政府の政策は実施されなくなったが、それは数十年にもわたって恐怖をまき散らした後であった。第二次世界大戦中の残虐な行為が明らかになってから、人々は優生学及び政府が「公共の利益」のために取る抑圧的な政策を支持しなくなった。

この歴史の一コマは素早く大衆の記憶から消えて行った。第二次世界大戦後まもなくの1948年、イングランドからワクチンの強制接種はひっそりと姿を消した。
 
この国のワクチンの歴史において1948年は記憶に残るものとなるだろう。

長年激しく辛辣な論争を巻き起こしてきた幼児への強制接種が終わりを告げたのだ。

「(天然痘流行に対する)最初の防衛線」として全ての幼児への接種が重要だと見なされてきて、強制接種のみが安全性を確保すると固く信じられてきたにも拘らず、強制接種の廃止には大して反対意見がなかったことには驚きを隠せない。実際、反対意見は無視できる程度のものであった。
 
結論
レスター市の成功事例は、こんにちに至るまで医療専門家や政府から無視されてきた。彼らはワクチン接種を固く信仰しているだけでなく、個人の自由や安全性に関する妥当な議論を行わずに人々にワクチン接種を強制することが必要だと固く信じている。

【ワクチンの有効性などあまり興味はない。しかし、ワクチンの安全性については深く広い意味での議論が必要であるが推進派は科学的な議論から逃げているのが現状だ】。

 
歴史を学ぶ最も重要な理由は、最悪な出来事が繰り返されるのを防ぐためかも知れない。私たち自身の体に何が導入されるのかを決める能力は、州政府や職場によって奪われている。宗教的理由による忌避(米国では宗教を理由として摂取を拒否することが可能な場合がある)が出来なくなることは一時は考えられなかったが、ワクチン推奨派がワクチンを信仰して攻勢をかけて来ているせいで、非常に限られた医療的理由以外のワクチン忌避は全て不可能になりつつある。
この後に何が起こるのだろうか。

*この本は2013年原書出版、日本語版は2023年5月23日出版。
 


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