あの頃、無神経なこと聞いてごめん、見ず知らずの男
2023/03/13 17:31
韓国留学でお世話になったオッパに3年ぶりに会い、久しぶりに東京に来た母親に会った土日が終わったあとの大きすぎる寂しさ、こんな感情今までなかったのに、ここ最近は「寂しさ」に心が支配されすぎていて結構、本当に、なんていうか、普通に苦しい。
キチジンに向けて過去の日記を編集している1ヶ月、昔は寂しさを感じる以前に優先させていた感情や行動があったから、この感情にまともに向き合うことはなかったんだなあと思うと同時に、過去の自分に対して羨ましささえも感じている。
確かに親に対してずっと苦しさを感じていて、でも私が変わるのと同じで親も変わるわけで、そうして私たちはちょうどいい場所の中で今は落ち着くことができていて、望んでいた形になっているはずなのに、「どこかへ」の逃げたい気持ちはだんだん今いる場所の居心地の良さを求める感覚に変化していて、それに対して妙に自分が自分じゃないような感覚を得ている。
今まで推しに囚われるだけの人生で、それに疑問を持たなかった頃から現在は、やっと推しを中心にしない生き方で、自分の健康を顧みることができているのはとても正しくヘルシーで、でもやっぱり気持ち悪いなとは思い続けている。日常全てがまともだ。とても陳腐で、全てに共感しかなく、心地の悪さだ。共感できてしまうことに心地が悪いと思うこと自体共感されていない状態なのだから。
今まで自分自身が誰にも共感されずに、そして私も誰とも共感できなかった頃から、何かに共感できてしまうことに対して、やっぱり居心地が悪いのだ。
5年ほど前、マッチングアプリで「人肌が恋しい」とメッセージを送ってきた見ず知らずの男に対して、それは依存ではないのか?どういった感情なのか?と問うてみたあの頃の自分のキモさといったら。だけど、今になってそのどうしようもない感情を知ることができている。なんて非生産的で不必要な理解だ。あの頃、無神経なこと聞いてごめん、見ず知らずの男。
2023/03/13 17:47
私がいいと思うものがみんながいいと思う世の中になってきている。
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