「正欲」が映画として消費される前に吐き散らしておきたい、「明日死なない」自分について
2023/05/30
正直自分の性自認についてコンテンツとして消費されることについてはもうなんとも思わなくなってはいるんだけど(そこから建設的な会話が生まれればが大前提だけど)、「正欲」を読んでから良い意味でも悪い意味でもまた世界の見え方が変わってしまったなぁとはちょっと思っている。
歳をとって他人の人生を知れば知るほど考えることが深くなって、誰かを悪者にできなくなってきている。
それが年々生きやすさにもなっていればそれに比例して今までの考えと別の生きづらさにもつながってきている気がする。
自分の日記を読み返してみると確かに今より苦しそうではあるのだけれど、誰かを明確に悪者にできていたのでそこで上手く社会から逃げることができていた。若さもある。
年々わたしは早く楽になりたいと思うようになってきた。
「社会から無視されるためには社会の一部に溶け込むことが最良の手段」
これが明確になっていくのが20代後半の女が強制的に向き合わされる事実だ。
ことさらに私は名前が知れている企業に就職してしまったことによっても、今までの正規ルートと外れた履歴書との感情の整合性がなくなっていることを実感している。
今までと明らかに社会からの優遇のされ方が違う。その心地良さが心地悪い。
肩書きなしの人生に付け加えられていくものたちが現実世界の事実なのに自分の感情を背いて嘘めいていたものとなっている。
ただ、とてつもなく楽になった。
楽だけどその楽はわたしが心から望んだ人生ではないというのは確かだった。
私が作った日記の本は私の人生の指針への誓いにも近かった。
社会から無視され楽になるための方法はその誓いに背き続けていることの他なかった。
恋愛して結婚して子供を産んで育てるという正規ルートはどう転んでもまだ社会での効力が強すぎる。
そちら側にさえいければ余計なことを考えずに「明日死なずに生きる」を実現できる。
そちら側にいないとその正規ルートと自分との折り合いをつける余分な労力コストが生じる。
私は己の解放されたいという私欲のために一度それを経験してしまった。
「彼氏がいる」とさえ言えば正規ルートの第一関門を突破し、他人からの性欲の詮索の目からは逃れられる。
あまりにも楽で、あまりにもちっぽけだ。
「性の対象が男でも女でも偏見ないよ」なんてもう聞き飽きてるんだよ。
偏見あるなしの尺度で私という人間を測るなよ。
私は常に人間の話がしたい。
ただ人間の話をするためには正規ルートに乗らなければならない。
そのあまりに簡単な感覚を知ってしまった。
人間から人間として愛し愛されるのならそこにセクシュアリティは関係ないというだけの話だ。
そんなふうにいちいちめくじらをたてて感情を使うくらいならと、性欲のみで私を好いた人と彼氏彼女の枠に収まったことがあるけれど、彼氏という存在がいることであまりにも人間扱いをされるものだからその感覚に全てが嫌になってしまった。
第一関門にさえ立てない人間はコンテンツとしてのオモチャにされる以外は方法はない。
だからこそオモチャにされる前に自分で自らオモチャになろうと思った。
それが今の私の生き方で、大学時代に定まった生きる指針だったりもする。まあこの理由は後付けなのだけれども。
自分がこんなに楽になっていることに常に自分に怒っていた。
他人を利用している状況が許せなかった。
好きな人に同じ粒度で好かれた経験なんてほとんどないのに、好きでもない人とは意図も容易く恋人関係を名前だけでも実現できてしまう人生に虚無を感じていた。
私の場合、愛が深くなればなるほど、恋愛的に好きと自覚する以前の段階から性的欲求や独占欲が薄れていく、一般のカップルが2人で年月をかけて築いていく感情を私はひとりで完結させてしまう。
好きであればあるほど性的欲求以前のこの世界の概念としてカウントしてしまう。
出生からこれまでの人生無事に生き抜きそこに存在している奇跡を尊び最後は海洋散骨のように感情は世界と一体化する。それくらいの気持ちでしか自分の中の好きの感情を昇華できない。
重すぎて他人から見たら無関心のようになってしまう。
恋愛関係が混在するあるなしに多分今までの推し全員に対してそうなっている。
だからこそ愛を言語化できるうちは言語化しなければならないとさえ思っている。
わたし自身がコンテンツであるのならば対象もまたコンテンツでなければお互いの感情が噛み合うことはないとさえ思っている。
そういう、そういう欲の中で生きている。
欲の両思いこそ最善の幸せなのだ。
性欲には性欲、友情には友情、家族愛には家族愛、それらのバランスが崩れるとひとたび私たちは簡単に加害者にもなり得て、剰え犯罪者ともなり得る。
「明日死なない」ために私は文章であったり絵であったり出版だったりのコンテンツを生み出しつつ、迫り来る社会の正規ルートにちゃんと怯えてギリギリのバランスを探りながら生きていくのだと思う。
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