プラシーボについて考える

昨日のFXが調子よかっただけで、なんとなく心も調子がいいとか言いたい。

そこで、そういう意味付けをする事でなんとなくやけど、自分の気持ちをコントロール出来ている様に感じる事があると思う。いわゆるプラシーボ。思い込み。

小学生くらいの時に思っていた事、これ自体もプラシーボやけど、その力を信仰といっていいくらい信じている、統計的に見たら偶然という事で回答出来そうな気がしているけど、そこは自己の都合を押し付けて、良いように解釈する事を心掛けている。

たとえ結果が望むことでなくてもそれはそういう結果をたどっただけでただの思い込みだっただけと解釈できるし、いい結果になればそれは思い込みの力が作用したとして自信を持つことも可能やと思う。根拠のない自信ではあるけど、気分をあげることには違いない。

思い込みが間違っていたとしてもそこまで落ち込む必要はない。それは間違った思い込みをしてしまっただけ自分自身の考え方が否定されたわけではない。ではなんで、いい結果になった事で自信につながるのか。

そう思うには心底思いこむ必要がある、しかし、それは考え方ではなくて、結果を望むって行為なだけ。なので、自分自身ではなく願望をが叶うかどうかの話なので、願望が叶えば嬉しいって事。

願望が外れても悲しいだけでそれは否定ではない。

願望が叶って嬉しい、望んだから結果が出た、望んだ事に対して向かっていったから結果が出たという。自分の起こした行動を評価できる仕組み。

それは誰も傷つけず、自分も傷つけない、ものすごく平和な評価の仕方やと思っている。その結果が多角的に考えて良いか悪いかはまた別の問題なのでまたの機会に。

常に全力

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