人生のゴールと思った東大を通ったけれど思ったほど状況が楽でないばかりでなくつらい2
純文学をエキサイティングと思って読んだことがない。本をより読まなくなったのは双極性障害の鬱の症状もあるし…と思ってる部分もあるかも。
シェイクスピアの戯曲で読んだことがあるのは「夏の夜の夢」だったか…1冊だけ読んで言い切るなという感じかと思うが、夢中で戯曲を読んでいくふうにはならなかった(でもシェイクスピアの戯曲を読んでも、読み続けようとは思わなかったけれど、「夏の夜の夢」を読んで面白くなかった記憶ではない、しかし読んだのは1本だけだったような…という矛盾した記憶。「夏の夜の夢」は上演されているのを観たこともあるので記憶が混濁している?)。
映画もそう観ない。意識しないとどんどん忘れる。
大学の時、デザインの美術展に行って、その流れでデザイン学校に一瞬通ったけど、デザインで留学するとか訳分からないこと言ってすぐ辞めた。同時期?に小さいモデルイベントに出るのにエステ契約してすぐクーリングオフをしたが(家庭科?の知識が活きた!)、軽躁だったんじゃないかな…
妹がいなければ、もうちょっと開き直って、しゃーない、くそったれなことに過去は変えられないのでこっからを生きるしかないとなれた気がするのだけれど、
年の離れた妹は、文豪ゲーム?アニメ?がきっかけで純文学を読む、小説?学校の行事の台本を書き(私はフィクションを書けない)、絵を描く(私は絵を描けない)、学力的には私が通っていた高校のほうが偏差値は高かろう、東大進学者は多かろうが、英語の資格検定関係では抜かれたものもある。
勝ち負けのモノサシだと(そのモノサシ自体の是非をおいておく)、妹比で少なくとも周回遅れの自分の人生を、これからポジティブにがんばる元気はないよ。
あとは妹はまだ大学受験をしていないので学歴では勝っているけど、妹が東大合格したら、私が在留資格にビクビクしてたのは何なの?となるし(妹は自分に在留資格更新の必要があることを最近まで知らなかったらしい)、私を育てる時に確立した英語や文章の練習のメソッドがあるんだから妹有利じゃんねとなる。
人生勝ち負けじゃない、にしても、他者へのアピール抜きの人生の充実度でも私は妹に負けていて(人生勝ち負けじゃない、じゃなくなっているが)、反抗期の妹につっかかっていかなかったら妹のすくすく成長を助け、つっかかったら私がいじわるな姉と、どうしても、勝ち負けのモノサシでも・モノサシなしでも、負け組のモブから抜け出せる気がしない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?