日本にいられなくなったらどうしようと不安すぎた私は、東大に受かれば安心と思いこむようになりました

両親とも日本国籍でなく、両親が国籍を持つ国で生まれた人間が、小学校低学年のとき日本に来た。

しばらくしてからその国へ帰省したときの経験から、「まずい、(日本に慣れてしまって)もうこの国ではやっていけないかも」と思ったときどうするか。

私の場合は、嫌われないようにしなければと思った。

永住などの権利を持っている場合を除き、日本国籍ではない人間が日本で生活していくには在留資格が必要。

小学校低学年では自分で働くこともできないし、留学の在留資格には年齢的にまだ該当しない。

とすると、(幼すぎて、思い至らなかったのか、調べて自分に不利だったら怖かったのか、法律を調べることはせずに、小学校低学年なりのなんとなくのイメージで)入国管理局にダメと思われない完璧な人間になれれば安心というのがひとつ。

もうひとつは、(振り返ればこのころから両親とはコミュニケーション不足と言えそうだが)日本にもともと長く住む予定ではなさそうだった両親に、コイツのためならキャリアを変えて日本にいる価値があると思わせなければ。

この二つが私の行動原理となった。

そして、心配性だったらしい私は、いつ日本に居られなくなるだろうという不安をかき消すため、いつの間にかひとつの拠り所を作り上げた。

東京大学に合格すれば何も心配しなくてもよくなる。

なぜ急に東大が出てきたかというと、記憶の限りでは小さなことだった。

ある日、母が保護者会へ出かけて行った。

日本に来てからも、両親は自分たちが育った国での価値観に基づいて、私によく勉強するよう促した。ゆとり教育の中だったし、児童も教職員も人数が少なく、ゆったりした小学校だったので、別に改めてアナウンスもされないが、勉強はクラスで一番できたと思う(私の学年はひとクラスだった)。

(日本の親もそうかもしれないが、両親が育った国の親はもっと強くそうする印象があるのだが)母は私の成績を自慢したがった。保護者会でも、私がよく勉強してえらいというようなことを言ったらしい。

そのとき担任の教師が、「◯◯さんの家はすぐ△△(私が国籍を持つ国)に帰るので、みなさんは真似しなくてもいいですよ」というようなことを言ったようで、家に帰ってきた母は怒っていたようにぼんやり記憶している。

そして、「あなたは東大に行くの!」

母は感情的で、そのときどきに感情が爆発するままに生きる人なので、これもそんな気まぐれな一言だったのかもしれない。実際、高校3年生になる直前に、東大に行けなくてもいいのよと言ってきたのだが、逆ギレして私は、だったら絶対受けると決心した。あの意地はなんだったのか…あんたの気まぐれで(本当にそうかは別として)10代をほとんど「東大に受かれば全部解決」と信じて生きたのに、今さら何を言うのかという怒りだったのだろうか。東大は有名な大学だし、母も院生だったのか聴講生だったのか実はちゃんと知らないが、習っていたことがあるので、反射的に口から飛び出しやすかった名前なのだと思う。

ただ、前述の通り、私は、「日本でなければ生きていけない」「日本で生きていくには在留資格が必要」「そのためには入管と親に文句を言われない人間にならなければ」という思考になっていたので、なるほど東大に入らなければとなったわけである。そうして、東大に受からなければ…東大に受からなければ…と思っているうちに、抱えていた不安をそこにのせはじめ、いつのまにか東大に受かれば、なんだか知らないが全部うまくいって、なんだか知らないが素敵な輝く未来が待っていると思うようになったわけである。

そんなわけあるかい。

#cakesコンテスト2020

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