
旅立ち
旅立ち
12月7日19時15分頃、うさぎが飼い主に看取られながら旅立った。8年6ヶ月と2日、ちょうど8歳も折り返しだねとお祝いするところでの旅立ちとなった。
11月の終わり頃から少し調子を崩し、呼吸状態も悪かったので主治医とも相談していたが、今回は今までのように持ち直すこともなかった。
酸素室暮らしで1年以上飼い主と生活を共にし、最期の日まで自力でご飯を食べ介護という介護を必要とすることなく、飼い主のいる時間を見計らったかのようなタイミングで予兆を見せて、最期はしっかりと飼い主に見送られての大往生だった。
最後の教え
うさぎと暮らしてきた8年の間、様々なことを体験した。初めての動物飼育で大変なことも驚くほどたくさんあったが、同時にこれでもかというほどうさぎと暮らす楽しさや豊かさも知った。
動物と暮らすことは、とても豊かな時間の連続であることを、一緒に暮らしたうさぎが教えてくれた。そして今回生まれて初めて目の当たりにする死が、わたしの大好きなうさぎからの、最後の教えだった気がする。
最後の恩返し
声をかけて見守っていたから、旅立ったことはその瞬間すぐに分かった。その時が近いことも、数日前から薄々分かっていた。それでも、旅立ってしまった動かないうさぎに動揺して大きな声をあげて泣いてしまったけれど、立派な生き様を見せて旅立ったうさぎを丁寧に弔いたいと思った。
最後のほうはあまり酸素室に入れず丁寧にケアができなかった体を手早く綺麗にし、段ボールにふわふわのブランケット、保冷剤、ビニール袋、タオルを敷いて、安置した。最後に通院時に必ず持って行ったタオルケットをかけ、目を閉じてあげると、まるでただ寝ているようだった。安置してもしばらくの間は温かくて、号泣しながら傍を離れられなかった。

総じて幸運だった
土曜日の夜に旅立ち飼い主が看取れたことも、翌日朝イチに葬儀屋に連絡をし火葬の予定がスムーズに決まったことも、旅立った翌日が日曜だったから飼い主のきょうだいが駆け付けて最後の挨拶ができたことも、すべてが幸運だった気がする。
特に葬儀屋は1箇所しか見繕ってなく、受付日の予約が埋まると営業開始から1時間後でも受付の電話窓口が終了する仕組みだったので、準備不足を反省すると同時に本当に運が良かったと思っている。
また、うさぎの生前は飼い主が「大丈夫、わたしがいるから最後まで絶対ひとりぼっちにはならないよ」と再三声をかけていた。その勝手な約束が運良く守れたことも、飼い主にとっては幸運だった。
もういないということ
旅立った瞬間から、今までは双方向だったコミュニケーションが急に一方向になる。声をかけても名前を呼んでも返ってくるリアクションはないし、様子を見にいってもあるのは遺骨だけだ。
ただ、毎日、飼い主の習慣化した行動だけが残っている。介護までいかずとも毎日夜中に起きて世話をしたり、たびたび様子を見に行ってコミュニケーションを図っていた飼い主の生活には、意識していたよりもずっと大きな割合でうさぎの世話という日課や習慣が存在していて、それらが全て急になくなってしまった虚しさを今とても強く感じている。
わたしと共にNYに渡米し、苦楽を共にし、酸素室に入ってもやんちゃで負けん気が強かったうさぎは、もう旅立ってしまった。でも、最後までうさぎはひとりぼっちにはならなかった。これは人間側の主観でしかないけれども、尾を引く悲しさや寂しさで辛いのは見送った側だけだと思えることは、幸せなことなんじゃないだろうか。
飼い主であるということ
わたしは今回生まれて初めて生き物を飼育した。8年前までは動物の世話をしない生活が当たり前だったはずなのに、今はもうどうやって生きてたんだっけと思うほど、うさぎと暮らした時間と経験はわたしにとって大きなものになった。
その間に少し分かってきたのは、生き物を飼うというのは、動物のこの世での時間を最後まで大切に守ることなんだなということ。その動物ができるだけ健康で、安全な一生を送れるように手伝いながら、旅立ちの時が来たら見届けて最後の世話をし送り出す。今のわたしは多分、その役目を人生で初めてやり遂げたところなんだろうと思う。
飼い主であることは、いつか来る動物の死に向き合うことでもある。死は誰にでも訪れるもので、それ自体は非常にニュートラルなものだと思う。良いことでもないし、悪いことでもない。だから、それを怖がることも本来なら不要なことなのかもしれない。ただ、どんな心持ちだろうとも、ちゃんと向き合って送り出すことが、飼い主である以上は不動の約束である。
助けられてここまで来れた
最期は病気の症状のためにどうしても呼吸ができず苦しい思いをさせてしまったけれども、それでも、うさぎが病気と共に生きていく上で、飼い主がしてあげられることはほとんど出来たのではないかと思う。そしてそれができたのは、うさぎを診てくれた主治医をはじめとする動物病院のみなさんと、いつもお世話になっている専門店の方が都度サポートをしてくれたからに他ならない(もちろん金銭的、時間的融通をある程度利かせるための飼い主の努力は前提として)。
決して飼い主だけでは成り立たず、むしろ病院や専門店のサポートとうさぎ本人の頑張りがあってこそ、ここまでうさぎと共に過ごせたと思うと、本当に恵まれた8年だった。
やりきれない思いは一つもないとはいえ、うさぎを見送った寂しさと、ここまで共に過ごせた感謝の気持ちでいっぱいいっぱいになっているので、今しばらくは無理せずにいたい。
8年と半年、うさぎの最後の瞬間まで一緒にいられて、
わたしは本当に本当に幸せな飼い主でした。
