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両親 23.霊安室

 2008年4月、父逝去の日・・・

  先週火曜日の昼頃、姉から、父が今度こそ息を引き取りそうだ、との連絡があり、では、間違いなかろうと、新潟から川崎の病院に向った。途中、新幹線の車中で、病院に着いたら直ぐに霊安室に来るようにとのメールを受け取る。

 夕方5時過ぎに病院に着き、霊安室はどこかなと、案内板を見るのだが、出ていない。確かにそんなものを書くわけには行かないな、と思いつつ、多分地下だろうと、階段を下ってみた。地下を一通り捜索しても、集中治療室などシアリアスな部屋が目立つが、霊安室は見当たらない。

 仕方なく、職員を呼び止めて、小声で、霊安室は何処ですかと訊くと、一階ですとこれまた小声で返事する。一階に戻り、再度探すが、それらしき部屋は見当たらない。仕方なく、今度も職員を探して、やはり小声で訊くと、ご案内しますと言う。ついて行くと、奥の端っこになんの表示もないドアがあり、ここですとのこと。確かにこれでは、普通の人にはわからない。

  ドアを開けて中に入ると、姉と義兄がいたので、間違いないとほっとする。部屋に入ると、手前が8畳ほどの和室になっていて、向こう側に同じく8畳ほどのタイルが続いている。父は、ストレッチャーに載せられ、顔を白い布で覆われて、タイル敷きにいた。

 和室の左側には、明り取りの障子窓などもあり、お線香をあげてもおかしくないような雰囲気で、遺族への配慮が感じられる。テレビドラマで、遺体にすがり付く場面などから、地下の冷蔵庫のような無機質の部屋を想像していたが、あれは、テレビ用らしい。

 やがて、車が向えに来たとの連絡があり、今度はタイル側のドアが開く。ドアの外は病院の裏側になっていて、満開の桜が眩しい。父は危篤と言われてから、この花を楽しみに、10日ほど持ちこたえた。退院ならぬ退出だなと思いつつ、時折花びらの舞う中を車に乗せて実家に向った。

 病院にとって、霊安室が目立っては困るわけで、確かに案内図には、書けないだろうが、ないわけにも行かない。しかも、遺族への配慮も必要だし、目立たずに外へ運び出せる事も必要だ。病院建設の計画時は、まずもって霊安室の位置を決めるのだろうか。

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