上々企業1.社長に就任
61~67歳まで、水道管製造大手の上場企業T社のトップを務め、会社の収益構造を変えるべく、奮闘した。当時の経緯を書くについては、関係者の立場を考慮せねばならず、あまり赤裸々にならないように、かといってあまりぼかしてもリアリティーがなくなり・・・・苦慮しつつ書き進める所存です。
1.社長に就任
2008年61歳の夏、突然親会社J社(鉄鋼大手)のトップから呼び出され、東京の上場企業、T社の社長を引き受けてくれないかとの打診があった。T社は水道管製造大手の上場企業、J社が株式の30%を保有し、代々の社長を出している。形は打診だが、親会社のトップが言うのだから、いやもおうもない。
T社はこの数年、業績が低迷し、2年前には粉飾決算(まがい)までして、社長を交代させたが、その新社長が精神的な重圧に耐えきれず、出社出来ない状態になっているとのこと。次の社長は新潟の会社を立て直した○○(私の事)なら何とかしてくれるのではないか・・・・とのことらしい。
当時、私は新潟にあるJ社100%子会社の社長をしており、小さいけれども内容はグループ1の超優良企業、心身ともに余裕たっぷり。突然の異動の内示(?)に戸惑ったが、冷静に考えると思いもよらぬ抜擢らしい。
暫くして、T社社長人事が公表されると、業界紙ばかりでなく、日経・朝日・その他の一般紙にも小さな写真入りの小さな記事が出た。偶々従姉がそれを見て、えっ、これ○○ちゃんではないの、と言い出し親類縁者間でちょっとした話題になった。新潟に身を隠していたが、突然世間に出てきた感だが、新潟の会社のように上手くいくとは限らず、複雑な心持だった。
10月に、監視人殿とともに新潟の社宅を引き払って、8年ぶりに自宅に落ち着きホッとする。T社は臨時株主総会を開催し、正式に私がT社の社長に就任した。新潟に行った時もそうだったが、社内に知っている人は殆どいないし、業界のことも何も知らない。それでも人間が動かす会社であることは間違いないと自分に言い聞かせ、翌日から日本橋人形町、T社の本社に通勤開始だ。