弁慶像と外国人ツアー
先日定例の散歩コーを歩いて最後に、我定点観測地点のベンチに座り、いつもの通り、ゆったりと緑道の深緑を眺めていると、明治座の方から30人程の外国人ツアーが歩いて来た。ガイドさんが弁慶像の横に立ち、(多分)英語で説明し始めた。一行は、弁慶さんを囲んで話を聞いているが、なかには関心がないようで、後ろを向いている人もいる。
それにしても勧進帳の弁慶像を外国人にどう説明しているのだろうか。勧進帳の意味を説明するだけでも難しいだろうし、それが何故人形町に設置されているのかまで英語で説明するのに、数分ではとても無理だろう。試しにDeepl翻訳ツールで、勧進帳と入れると、temple solicitation book と出てきた。
因みに、弁慶像の後方にある看板に以下の如く書かれている。
弁慶像につて
今をさかのぼる事350年前、現在の人形町あたりに茸屋町と堺町という街があった。
当時のこの街では、江戸三座といわれていた芝居小屋のうちの市村座と中村座の二座が歌舞伎を上演しており芝居街と呼ばれていいた。また、浄瑠璃による操り人形の芝居小屋も数軒あり、歌舞伎と合わせて庶民の人気を集めていたという。
ここで使われていた人形の製作と、修理に当たった人形師達はこの周辺に住み人形細工と人形の販売をも業としていた。
以上が人形町の名のいわれとされており、ここ人形町界隈は、今日隆盛をきわめる江戸歌舞伎発祥の地と呼んでも差し仕えないといえる。
この度、緑道の改修に当たって、入口の広場に歌舞伎十八番の内でも人気のある勧進帳の武蔵坊弁慶像を設置するとともに、その背面に関所風の冠水門を設けて江戸情緒をかもしだし、往時をしのばんとするものである。
中央区土木部公園緑地課
これを英語でどう説明したのか、聞いてみたいものだが、ともかく説明が終わり、一行は甘酒横丁を人形町通り方面に歩いて行った。