両親 9.父はリタイア
姉に続いて私が結婚して1年後、父は会社のお役目が終了し、次は広島の子会社のトップを提示された。当時の状況(55歳定年)を鑑みれば、58歳の父はそれなりに処遇されたと言えるが、更なる単身赴任は嫌だと、折角の提示を断り、それまでの会社関係者など、個人の人脈をフル活用して、東京に本社のある某商社の役員に収まった。今までのように好き勝手なことは出来ないが、兎も角6年の単身生活は終了、東京で母との生活となった。
その頃、母は、心臓に若干不安があり、東京の環七喘息が心配だと、横浜の田園都市線沿線に家を建てた。母の好みで建てた家としては、3件目ということになるが、最も気に入ったようで、以降、30年ほど住むことになる。 家は45坪ほどで、2人にしては大きすぎると思うが、母の好みだとそうなるらしい。一階の奥には例によって 掘り炬燵付き8畳の和室があり、これが、マージャン部屋、2階の和室は、長唄部屋ということらしい。
私は息子が2人となったころ、住んでいた分譲の団地(マンション)が狭くなり、家を求めたのだが、場所は、実家に近いところということで、同じく田園都市線沿線、東急の建売住宅を購入した。実家まで車で15分くらいだったので、毎週、土曜か日曜に顔を出すようにした。一応は親孝行のつもりだ。
父は62歳で仕事を引退した。 その頃東京の住まいを売却したのだが、時はバブル真っ盛り、その後の気ままな生活の資金には充分だったようだ。夫婦で、アメリカ、ヨーロッパなどの海外旅行や国内旅行等を楽しみ、時には、母や叔母の運転で、軽井沢や伊豆の温泉に行き、一泊して、マージャンなどしていた。サラリーマンはリタイア後の生活をこうやって楽しむのだ、と身をもって世に教えているが如くだった。