日曜のNHK俳句は深かった
一昨日の日曜、早朝のNHK俳句も面白かった・・・・というより深かった。いつもの如く、出席者5人の句会が披露される。各人が兼題「蓑虫」で一句発表し、本人以外の人が自分以外の句に、優と並の札を一句づつにつける。優を2点、並を1点として合計点を競う。
句会の出席者は以下の5名
・高野ムツオ:現代俳句協会会長、この句会の主催者、兼題を「蓑虫」を提示。
・池田澄子:俳人、1936年生まれだから88歳だが、テレビで見る限り、どう見ても70代!「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」がよく知られている。
・堀切克洋:1983年生まれだから41歳、演劇研究者・俳人、2007年に一橋大学社会学部卒、2016年に東大総合文化研究科の博士課程単位取得退学・・・とか。現在は武蔵野大学文学部の特任教授。
・能町みね子:1979年生まれ、2001年に東大教養学部卒業、エッセイスト、イラストレーター、ライター、コラムニスト、漫画家。戸籍上は男性で性同一性障害とのこと。
・中西アルノ:2003年生まれの21歳、2022年から乃木坂46の主要メンバーだ。見るからに可愛い女の子だが、真摯に俳句を考え、評価する姿は知性を併せ持ち、好感が持てる。
年齢も、専門分野も全く違う5人が俳句を題材に意見を言う様子はなかなか面白い。
以下、評価の高かった3句をあげてみる。
蓑虫に背を向けられているような
評価6点:特2(能町、中西)、並2(池田、高野)
参加者のコメント
中西アルノ:
まるで、自分が読んだ句かと思った。私は凄く「気にしい」なんです。いつもいる子の口数がすくないなとか、笑顔がすくないなとか感じると、あれ自分が何か言っちゃったかな、何かしちゃったかなと、すぐに思う性格で、そういう気にしやすい性格が、蓑虫にまで背を向けられているのかも思っちゃいました。コミカルにも感じますし、自分自身をも感じてしまいます。
能町みね子:
素直でないひねくれたものの見方、勝手にこちらが思っていることを言っている。背も何もない、どこから見ても背か腹かわからない。勝手に背を向けられているという感じが、自分に何か後ろめたい気持ちや何かしらの背徳感を感じる。マイナスの気持ちをコミカルに描いている気持ちに、季節感に盛って、すこし面白みもあってとてもいいなと思いました。
池田澄子:
蓑虫はどっちをむいているか分からないが、背を向けられている気がしている、気分として分からないではない。見えているよりも、見えてない物を思っているところが面白い。
背を向けられているようけど、それでどうしたのと、読んだひとがいいたくなる、そこもまたチャーミング。
高野ムツオ:
俳句の作り方から言うと、俳句というのは断定するのが大事、本来なら「向けられているようだ」「向けられているようです」だが。わだかまりを含んだ、屈折感を含んだ表現になっている。蓑虫であるからこそ住み家の中でじっとしている、それに対して自分がそこにどうしてもことばをいれられない。繋がることが出来ない気持ちが「ような」という言い方によく表れている俳句。
作者堀切克洋:
自分は後ろめたいことばかりしているので、こういう気持ちになったけれど、僕自身じゃなくてもいい、もしかしたら僕が知らないもう一人の自分が出ちゃったのかもしれない。
蓑虫を飼ふ人ネイル紅くあり
評価4点:特(池田)並2(中西、堀切)
参加者のコメント
池田澄子:
赤くありの「あり」が強い、理屈っぽいと思わないでもない。すごい×ではなくいけれど気になる。でも景色がハッキリと書かれている。「ネイル紅くあり」景色として立ち上がって来る、そこが鮮やかだなと思いました。
中西アルノ:
蓑虫を飼う人って小学生とかわんぱくな男の子が飼うイメージ、ここでは赤いネイルを引く女性かな、でも「紅くあり」という表現が私も強く感じて、紅色のネイルを塗るのは勇気がいる、かなり派手で強い女性を想像する。そんな女性が蓑虫を飼うギャップ、コントラストが面白い
堀切克洋:
眼差し、視点が面白い。蓑虫を飼っていることも、ネイルが紅いとおもうことも、自分でしか詠めない。「そう言う自分がいる」突き放した目線があって、「どういう人間なんだろうな」、想像力が膨らんでいくような面白さがあった。
高野ムツオ:
凄いインパクトのある俳句だと思った。「蓑虫」で「ネイル」を持ってきて、なおかつ「紅」、こんな比較の仕方はないので、とっても魅力的でした。なぜ取らなかったかというと、「あり」がどうしても引っかかった。「飼う人」が自分なのか、家の誰かなのか、それも少しあいまいとこだわっているうちに取らなかったが、この「紅」はインパクトがあります。
作者能町みね子:
「あり」は迷いに迷った。最初に蓑虫を考えた時に茶色くて味気ない色なので、紅いものを入れたくなった。普通、ネイルをする人は蓑虫は飼わない。
鬼の子のあはれと書いてあわれと読む
評価3:特(高野)並(能町)
参加者のコメント
高野ムツオ:
「鬼の子のあはれ」というのは枕草子に出てくる、清少納言の言葉。「鬼の子のいとあはれなり」から始まって、鬼が蓑を着ているので鬼の子供だという言い伝えから始まった言葉。
それがあはれと書いてあり、読むときには「あわれ」という音、言葉に対する発見がある。「あはれ」は本来、「いいことだ」ということらしい。そのうちにだんだんそうではなくて、「身につまされるような」「かわいそうな」という反対の意味になり、その両方に揺れ動くところが「あはれ」という言葉のおもしろさ、これが良く俳句に書かれている。
能町みね子:
あはれが不憫だというより趣深い、今の言葉で言うと「エモい」。現代で「あわれ」とは「みすぼらしい」になるが、平安時代とかは微妙で細かい意味。今や蓑虫も絶命寸前、ただただ「見すぼらしく」なった。かわいそうな存在になってしまった
中西アルノ:
古典の先生が授業をしているせりふのような気がした。「そうなんだ」という目線で読んで私自身のシーンに想像をとばせない。
作者池田澄子:
蓑虫を見たことがなくて、頭の中が言葉の世界になって、蓑虫が浮かんでこなかった。
以上の3句を最初に読んだ時、なんとなく面白いとは感じたが、各人のコメントを聞くと、自分には浮かばない景色が表現されてただただ感心するのみだ。しかもその景色から人の感情、心の揺らぎまで想像している。経験や知識だけでは及ばない俳句の感性のようなものがあるのだろう。
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