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五味太郎(絵本作家)「適当に・・・」

  文藝春秋2月号巻頭エッセイに、五味太郎さんが書いている「適当に・・・」が面白い。
 五味太郎(1945年~)さんは1945年8月生まれの78歳、私は知らなかったが、400冊以上の絵本を手がけた日本を代表する絵本作家。サンケイ児童出版文化省、ボローニャ国際絵本原画賞、路傍の石文学賞、講談社絵本賞などを受賞しているそうだ。
 
 文藝春秋の短文を(それこそ)適当に抜粋する・・・・
 最近ますます「適当」になってきたなあと思う。いや、人生基本が適当なのだ。子供のころからずうっと。学校にも適当に通っていたし、付き合いも適当にやっていた。その適当さにとくに意義を申し立てることのない親の存在もあって、ま、やや異議をとなえる教師なんて存在もあったのだけれど、ま、何しろ性格だからそれも適当に聞き流してやっていた。
で、この「適当」ということをやや具体的に考えてみると「気持ちのおもむくままに行動する。おもむかない場合はやめる」というまことに単純なことになるわけで、これが実によろしい。・・・
 で、ま、適当にやっているうちに絵本を作るという実際に巡り合うことになった。これがまたよろしい。適当具合がばかに自分に合っていたのだろう。・・・なにしろ絵本作りというものは、おもむくままに描いて、おもむかないところはなんとかおもむくようにやっつけて、という作業だから、根本的に僕の性質、性格にあうわけで・・・気が付けばずいぶんたくさんに作品を描いてきたし、今だに描いている。気持ちのおもむくままにという作業は飽きがこないのである。
 ・・さてさて、世間一般の皆さん、それぞれが適当なのかと言えば、どうしてどうして、適当はいけません、しっかりきっちりと、嫌なことも我慢して、苦手なことも我慢して、苦手なこともガンバって克服して、辛いことには耐えて、面倒くさいこともなんとか片付けて……いう気分に満ちているわけだ。どうもこのあたりの根本的なズレが僕にはよくわからない。
 
 「適当」・「いい加減」といった言葉は、文字通りに解釈すると、その場、その時に応じて極端に走らず、的確に、と言った意味になる。人生は楽しむためのもの、つらいこと、苦手なことの殆どは頑張るほどのことではない。それより得意なことを見つけて楽しんだ方がいいに決まっている。

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