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神田祭

2013年5月の日記です。 

 神田祭の詳細な起源は不明だが、大筋としては、
江戸時代に徳川家縁起の祭りとして大祭化され、
江戸三大祭の一つになったようだ。
以前は、「神輿(みこし)深川、山車(だし)神田、だだっ広いが山王」
と言われ、山車が中心だったが、
都市近代化に伴い、山車を引くのが困難になり、
町神輿が主流となっている。

  祭りは隔年に行われて来たが、前回は東日本大震災で中止になり、 
今回は昨日一昨日の土日に、4年ぶりに開催された。
祭は神田神社と氏子108町会
(神田、日本橋、大手町・丸の内、秋葉原)で行われ、
100基を越える神輿が町内を練り歩いたとのこと。

  日本橋人形町の甘酒横丁から少し入った我マンションは、
末広神社に近く、神輿の主要な通り道になっている。
土曜日は子供の神輿担ぎが主体だったが、
一日中雨が降ったり止んだりで、
一部中止にもなり、盛り上がらなかった。

  翌日曜日は一転清清しい快晴、朝から外が騒がしい。
直ぐ下に神輿がやってきてセイヤ、セイヤ、と
意味不明の掛け声が聞こえるが、担ぎ手は真剣そのものだ。
急いで身支度を整え、戸締りをして外に出て神輿を追いかける。
30分ほど付いて歩くと、神輿の方も疲れたのか一休みする。

 で、マンションに戻るが、暫くすると、
又神輿の掛け声が聞こえてくるので、再度外に出て追いかける。
これを数回繰り返した。 

 神輿は平行な4本の太い担ぎ棒の上に御神体が乗っかっている。
両側の担ぎ棒には各々15人位が、内側の担ぎ棒にはその半分程度が、
一列になり、体をくっつけ合うようにして、
膝を屈伸させて神輿を激しく上下に揺らす。
担いでいるのは主に若い男性だが、
中には年配者もいれば、外国人もいる。
全員が太もも露わの法被姿だが、見慣れると違和感は無い。 

 若い女性もちらほら混じっているのだが、
よく見ると、肩が低く、担ぎ棒に届いていない。
手を棒にかけて、神輿に合わせて体も上下しているだけで、
役割は果たしていないが、華を添えているからよしとする。 

 真面目に役割を分担している神輿担ぎは重労働のようで、
交代要員と入れ替わった人は、玉の汗をぬぐっている。
笛を吹く人、太鼓をたたく人、小さな山車を引く人、
周りで声をかける人、なんとなく付いて歩く人、
神輿一基につき、総勢200人にはなろうかという人、
全てが町内会名前入りのそろいの法被を着て、
一方通行の狭い道を細長く埋めている。 

 途中、数件の飲食店で店の前にテーブルを並べ、
ビールなどの飲み物と、食べ物を置いている。
今半の前にも美味しそうなものが並べてあるが、
スマホで写真を撮りながら、
普段着で付いて歩く我々には飲食の権利はなさそうだ。 

 夕刻には人形町2丁目の神輿が待機している前を
浜町、東日本橋、久松町などの神輿が通り、
担ぎ手が手を伸ばして、神輿を高くかかげて、挨拶をしながら、
それぞれの地元に戻る。
我々が、一日で見た神輿は、10体余りだから、
100体を越えると言われる神田祭全体の1割程度を見たことになる。 

 当然夕食の支度などしてあるわけがなく、
いつもの寿司屋に行き、冷酒と寿司、
途中のカフェで食後のコーヒーと、定例のパターンだ。
お祭りは見るより、参加するほうが面白そうだが、
次は、2年後・・・

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