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モハメドアリ逝去
2016年6月の日記です。
先日カシアスクレイ(後にモハメドアリと改名)が亡くなった。
1964年、カシアスクレイがリストンから
ヘビー級世界チャンピオンを奪取した時は衝撃だった。
如何に蝶の如く華麗に舞おうとも、
リストンの太い腕から繰り出す重いパンチを
全てかわせるとは思えなかったし、
メディアも圧倒的にリストンもちだった。
クレイが戦いの前にリストンを口汚く罵るのは、
自己を鼓舞して恐怖を抑えるためだったと思うが、
結果は6ラウンドTKOの圧勝だった。
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その後カシアスクレイは奴隷の名前だとして、
モハメドアリに改名、黒人差別、蔑視に戦いを挑み続けた。
おりからのベトナム戦争に反対して、
「俺はあいつらベトコンたちに何の恨みもない。」
「金持ちの息子は大学に行き、貧乏人の息子は戦争に行く。
そんなシステムを政府が作っている」
と、徴兵を拒否し、1967年に収監され、
チャンピオンをはく奪されてしまった。
当時のアメリカにとって、ベトナム戦争は正義の戦いであり、
徴兵拒否するアリはスポーツ界でも、メディアでも徹底的に叩かれた。
ところがベトナム戦争のバカバカしさ、残虐さが社会に浸透し、
改めてアリの主張が理解され、1971年、連邦最高裁が有罪判決を破棄した。
カムバックした後、1974年に、
当時最強と言われたジョージフォアマンに挑戦した。
この時、既に32歳、見た目もお腹が少々出ており、
とても勝てないだろうと思ったが、
7回まで相手に適当に打たせて疲れを待ち、
8回に打って出て、ノックアウト勝ちした。
アフリカザイールでの、所謂「 キンサシャの奇跡 」だ。
![](https://assets.st-note.com/img/1679869283079-waE4F0mNcq.jpg?width=1200)
引退後はパーキンソン病と闘いながらも、社会にメッセージを発し続け、
1996年のアトランタオリンピックの開会式で
震える手で聖火を聖火台に点火した姿は
今でも多くの人々の目に浮かぶのではなかろうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1679870038618-2lxd2uLc1P.jpg)