日本橋七福神 宝生弁財天水天宮境内
日本橋七福神の公式サイトによると・・・
七福神への信仰は、室町時代よりはじまったといわれ、500年にわたって日本人に受け継がれ、年々盛んになっています。
日本橋七福神めぐりは、他所とは異なり、すべて神社で構成されています。
巡拝距離も短く、日本で一番巡拝が短時間に参拝できるのが特長です。
日本橋通りや人形町通りは、江戸下町の伝統を持つ繁華街。懐かしい下町情緒に触れながら、参拝いただきますよう、御案内申し上げます。
・・・・とのこと。
各神社とも、当家から徒歩数分乃至10数分の距離にある。昨年に続き今年も順次お参りを始めたが、途中で監視人殿が風邪引き、中断している。
7神社と祭っている七福神は、以下の通り。
末廣神社 毘沙門天
松島神社 大国神
茶ノ木神社 布袋尊
小網神社 福禄寿
宝生弁財天水天宮境内 弁財天
笠間稲荷神社 寿老神
椙森神社 恵比寿神
このうち、末廣神社、松島神社、茶之木神社、小網神社は1月にお参り済み、一昨日は宝生弁財天水天宮境内をお参りした。
宝生弁財天(ほうじょうべんざいてん)は、水天宮の境内にある。サイトによれば・・・・
久留米藩第9代藩主、有馬頼徳公「ありま・よりのり」が、加賀 藩第11代藩主、前田斉広公「まえだ・なりなが」と、宝生流能楽 の技を競われた際、弁財天に願をかけ、見事に勝利を収め、それ 以来、宝生弁財天と敬われている。芸事をはじめ学業・金運のご 利益が名高いと現在に至るまで篤く信仰されている。また、水天宮本殿についても文政元年(1818)に江戸上屋敷(三田赤羽橋) の邸内に祀ったことが始まり。
・・・・とのこと。
水天宮は10数年前に、立派な鉄筋コンクリートに建て替えられ、高床式の2階が境内になっている。1階は駐車場だが、一部が東野圭吾の小説で有名な(?)水天宮前交番だ。歩道に面し幅広い立派な階段があるが、我々は裏手のエレベータ―で2階に上がる。
境内に出ると、何時もの如く大勢の人で賑わっている。正面の水天宮社殿は、形は確かに社殿だが、新しいコンクリートの建物で、伝統より豪華さを前面に押し出しているように見える。いつもの通り、参拝するひとが列をなしている。社殿の左手前にこじんまりとした宝生弁財天がある。こちらも伝統ある建物とは言い難いが、七福神の一つには間違いない。お賽銭を入れて、二人で手を合わせて、何事かを拝み、証拠写真を撮って参拝は終了。水天宮もお参りするかとも思ったが、人が多過ぎるので、そちらは省略した。
これにて、七福神の7神社中、5神社の参拝を終え残るは2神社、今週中にでも制覇できるだろう。
なお、余計な事だが・・・・
当方は神仏のご利益は全くあてにしていない。参拝するのは神様にお願いするためではなく、神様に約束するものと心得ている。