難問こそおもしろい 2
昨日に続き、文芸春秋11月号の記事、作家の平野啓一郎氏と東大教授の上田泰己氏の対談「芸術も科学も難問こそおもしろい」から、両者の発言を抜粋して対談内容を紹介します。
昨日のテーマは、生成AIは意識を創造できるか、脳と夢の関係、などだったが、今日は遺伝子操作、文学の危険な領域などについてです。
遺伝子操作の是非
平野:科学や技術の発展とともに生命論理の問題が必ず議論されます。・・・遺伝子を操作することで難病を治療できるならば、・・・賛成する人は多いと思いますが、「この遺伝子を操作すれば優秀な人が生れる」という優生学的な考え方も出てくるでしょう。そのあたりの論理的な議論は自然科学の場では十分になされているのでしょうか?
上田:PGS(着床前遺伝子検査)やPRS(遺伝子リスクをスコア化して、病期を予測する手法)などで身長などの属性の予測を試みると、今の技術ならその人の40%ぐらいの属性が予測できるそうです。技術として出来る出来ないの問題と、やるべきかやるべきではないという問題は分けて考えなければならないとおもっています。
PGSによって、その人に将来が不利だという結果が出た時、その人自身に何らかの治療をすべきなのか、社会を変えてその人が生きやすい環境にすべきなのか。人を変えるのか環境をかえるのか。・・・僕はまだそれに対する答えを出せていません。
ただ、新薬の開発やVRなど、科学技術によって使えるツールを増やしていくことには賛成です。
私の精髄小脳変性症は一応、遺伝性ではなく孤発性とされているが、昨今遺伝子解析が進み、実は遺伝性である可能性が高いそうだ。
難問に挑むのが醍醐味
上田:・・・僕は「意識」といった科学と芸術の境界にある領域に面白さを感じて研究を進めてきたことに改めて気づかされました。
平野:僕は科学技術をけっこう信頼している方なんです。科学、特に医学によって人間の精神と身体が救われていることは、たくさんあると思います。そういった現在の科学技術や社会構造と距離があるところに日本の小説や映画の弱点があるのではないかと指摘する人もいます。
憲法学者の木村草太さんが、「万引き家族」や「ひよこ」を観ていて、「いい映画だ」と思う一方で、どうも釈然としない理由は、あれだけ困った状態にあるにもかかわらず、行政や民間団体のよる支援が描かれていないことかもしれない。困ったことがあれば身内で抱え込むのではなく、もっと社会に聞いていかないといけないはずなのに・・・「行政なんかあてにならない」「身内で抱え込むしかないのだ」という風潮を受け入れてしまっている・・・と疑問を呈していました。・・・
社会の構造や制度をアップデートしていくために、僕は文系の人間なのですが、常に科学や技術に関心を寄せてきました。
上田:平野さんには、かなり実験科学的なところがあると思います。・・・小説において、実験やシミュレーションをしている感覚があるのではないでしょうか?
平野:解決不能な難問に挑戦するのが、小説を書くことが醍醐味だと考えています。論理的に解決できる話はわざわざ物語にする必要はない。性的マイノリティーを差別してはいけないとか、環境に配慮しないといけないとか、そういった文句のつけようがないテーマは着眼や事例に工夫がない限り、「そんなことは、もう知っている」と思われてしまう。
文学の危険な領域
上田:平野さんの中で作家としてこれはあつかったら危険かもしれないな、と思う問題はありますか?
平野:例えば、尊厳死の問題でしょうか。
オランダなどの積極的安楽死が認められている国では、例えば父親が・・・安楽死の時が近づいたら父に感謝を告げ、家族で投薬を見守る。死のタイミングを自ら決定できるからこそ、家族に囲まれながら亡くなることができる。死のタイミングを偶然に任せていると、・・・事故に巻き込まれて初めて会った救急医に看取られることになるかもしれない。・・・自分で自分の死のタイミングを決めることを一概に否定できないんじゃないかと思うんです。
トレードオフにこそ本質がある
上田:どちらが正しいか一概に決められない問題は科学の分野にもたくさんあります。例えば、いま老化を制御する研究が進められています。でも、老化の起源を進化的に辿ってみると、ある細胞から別の機能を持つ細胞を生み出す生物から老化が始まります。生命の大元にあるメカニズムにすでに「老化」の現象が埋め込まれているのかもしれないのです。生きることと老いることは切っても切り離せない関係にある。
何かを得ると、別の何かを失う。量子力学の世界では、位置と運動量は同時に決定できないことが真理として示されました。そんな相容れないトレードオフにこそ、生命の本質があるような気がします。
平野:そんな解決不能な難問が・・・あるおかげで、文学にもまだ当分書くべきことが残されています。
何かを得ると何かを失う、生きることは老化する事、納得する対談だった。