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コートを忘れる

 2011年2月の日記です。
 
 見かけは万事にそつが無いように見える(?)が、
実は結構いい加減で、ケアレスミスが多く、忘れ物もままある。
先ずはプロローグ・・・
 
 先週の金曜から福山に出張し、夜、前夜祭でワインを飲んだ。
ところが、翌日のゴルフは、諸般の事情により、急遽中止となった。
何のために福山まで来たのか、とも思ったが、
男子ツアー最終戦の日本シリーズも土曜のプレーが中止とのことで、
やむを得ないと、一応納得する。
 
 朝食後、新幹線にて帰宅しようとホテルをチェックアウトし、
駅で指定券の変更を行い、改札を通りベンチに座ったところで、
はっと気が付いた。
前日東京は寒かったので、コートを着てきたのだが、
それを部屋に忘れてきた。
時計を見ると新幹線の予定時刻まで12分程度しかない。
 
 なんとか間に合うだろうと、改札に行き、事情を話して外に出て、
ホテルまで走る。
ホテルフロントで鍵を受け取り、部屋に入ると確かにコートは
クローゼットに掛かっていた。
直ぐに手に持ち、フロントに鍵を返し、駅に急ぎ、
改札を通過した時は、新幹線の時刻まであと2分だった。
 
 無事にコートを着て大宮の家に戻ったのだが、
エジプトに出張した時もコートを忘れた事を思い出した。
で、これからが本題・・・
 
 13年前の1月下旬、成田を出て、ヨーロッパ経由で、
アレクサンドリアに入り、1日だけ仕事をして、翌日はカイロに移動、
ピラミッド、スフィンクスを見て、ホテルに一泊。


次の日はカイロ博物館などの観光で1日使い、
更に次の日は朝早い飛行機でルクソールに飛び、王家の墓などを見て、
その日の夜、カイロに戻った。
これでも一応出張なのだ、念の為。
 
 次の日の早朝、帰国すべく、ホテルからタクシーで空港に向かった。
15分ほどで空港に着き、ルフトハンザのカウンターに行く。
フランクフルトまでルフトハンザで行き、JALで成田に向かう予定だ。
手続き後、ルフトハンザのエグゼクティブルーム
(つまり待合室)に入り、ワインを呑み始めた時、
コートをホテルの部屋に忘れた事に気が付いた。
 
 日本では真冬だから、自宅から成田まではコートが必要だったが、
常夏のエジプトでは必要ない。
部屋のクローゼットに掛けっぱなしにしていた。
飛行機の搭乗時間まではまだ1時間以上ある。
 
 直ぐに受付カウンターに行き、事情を話して電話を借り、
ホテルに電話して、コートを忘れたと告げる。
求めに応じて、部屋番号、コートの特徴などを話すと、
少し待たされて、確かに部屋にあったとの事。
大丈夫だ、出発までまだ1時間以上あるようだから、届ける、
空港の何処に行けばいいのかと聞く。
話しを聞いていたルフトハンザの職員に電話で場所を説明してもらい、
一件落着。
コート一枚の事とは言へ、日本は真冬、明日からでもコートが必須だ。
ほっとして続きのワインを飲む。
 
 ところが、いつまでたっても、コートは届かない。
搭乗時刻になり、他の乗客が全て乗ってしまっても未だ届かないので、
やはり、ここはエジプト、期待するのが間違いだったと、反省しつつ
搭乗口に向かうと、ルフトハンザの職員(40歳くらいのおばさん)が、
その辺の紙切れを差し出し、これに日本の電話番号を書いてくれ、
ルフトハンザは毎日成田に飛んでいるので、
コートを手荷物で届ける、と言う。
 
 小さな紙切れに慌てて自宅の電話番号と名前を書いたが、
これはだめだなと、諦めの心境だ。
フランクフルトからはJALで帰るから手荷物の権利はないし、
あの紙切れ1枚に書いたものが、尊重されるとはとても思えない。
 
 コートは諦めてフランクフルト経由で成田に着き、横浜の自宅に戻った。
と、久々に顔を見た家内が、コートを忘れたでしょ、と言う。
聞けば、成田のルフトハンザから電話があり、
コートが届いたので、送ります、住所を教えて下さい。
ただし成田からの宅急便代はそちら様のご負担ですと。
 
 流石にルフトハンザ、他の航空会社ではまず届かなかっただろうし、
最後の宅急便代を請求するのは如何にもドイツらしい。
次にヨーロッパに行くときはルフトハンザにしようか。


ルフトハンザ航空

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