分水の桜
2008年4月初めに父が亡くなった。亡くなるまでの1カ月ほど、土日毎に、新幹線で川崎の病院に見舞いに通っていたが、葬儀を終えて新潟に戻り、ホッとすると同時に寂しさもあり複雑な気分だった。次の土曜日、監視人殿とともに越後平野の「分水」に桜を見に行った。以下、その時の日記です。
分水は越後平野の中ほど、信濃川の一部を運河によって、日本海にショートカットさせているところだ。川の水量を調整する可動堰と固定堰があり、信濃川の水量の半分を運河に導き、西の日本海に直接流している。残りが元の信濃川に戻され、更に80キロほど北上して、新潟市で日本海に注がれる。運河に流す水量を調整することで、下流の水害を防ぎ、且つ、農業用水を安定して供給しており、新潟米、コシヒカリはこの水で生産されている。
工事は明治20年に始められ、度重なる大規模な地すべり、陥没といった事故の末、昭和の始めに完成したが、以後も大規模な補修工事を繰り返し、今に至る。長い年月と膨大な費用をかけ、多くの人命を失った・・・と、資料館に書いてある。ということで、町の名はそのものずばり、分水。
4月初め、その分水に桜を見に行った。新潟駅でおにぎりとお茶を買って、越後線に乗り、2時間ほどかけて、分水に着いた時は13時過ぎ。駅で時刻表を見ると、帰りは16時18分、それを逃すと次は夜になる。寂れた田舎町を、ぶらぶらと信濃川沿いの土手まで歩く。
土手に上ると向こう側に田圃が広がり、ちらほらと田植えの準備をしているひとが見える。更にその向こうを信濃川が流れている。土手のこちら側の穏やかな斜面の途中に、幅10メートルほどの平地が土手と平行に延び、その両側が見事な満開の桜だ。白い花びらに緑がかったおしべをつけ、やや地味なところがつつましい。20メートルほどの間隔で一直線に植えられ、果てしなく続いている。木は100年も経ったであろうかと思われる、古木だ。
頭上まで花で覆われて、のんびりと歩く。花の間から穏やかな日差しが漏れ、ひんやりした柔らかな風が頬に当る。足元は草が生い茂り、靴を沈めながら歩くと、時折、草の間から、蛙が飛び出だし、雉のつがいがばたばたと羽音を発して飛び立つ。その度に隣を歩く監視人殿が、キャッと騒いで飛びつく。可愛いものだ。
暫く歩くが、何処まで行っても同じで、誰もいない。適当なところにビニールを敷いて、 おにぎりを食べる。ビールを買うのを忘れたと思いながらお茶を飲む。土手の傾斜地のところどころに、白や黄色の水仙が自生している。