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盲腸炎

 昭和28年、吉祥寺の某財閥系S大学付属小学校に入学した。
普通は、そのまま大学まで行けるから
両親は私に保険を掛けたつもりだったのだろう。
因みに、安倍元首相はそのまま大学まで行ったようだ。
 
 学校の敷地はだだっ広く、緑が多い。
学校の門から小学校の校舎まで徒歩で10分ほどかかる。
入学直後、歩道沿いの満開の桜の下は一面の花絨毯
フワフワした柔らかい感触を今でも覚えている。
 
 しかしながら朝の通学では
満員電車で押しつぶされそうになるし、子供の足で片道30分歩く。
おまけに内に籠る性格故か、先生には嫌われ、
級友にも無視されているような気がして
出来ればあの学校には通いたくなかったが、
小学生に選択権があろうはずはなく、
兎も角、我慢して何も言わずに毎日通っていた。
 
 ある冬の日、朝起きると、お腹が痛い。
母におなかが痛いと言うと、いつものH内科医院に連れて行かれた。
先生は私を仰向けに寝かせて、
お腹のあっちこっちを指で押して、痛いかと訊く。
はっきりと痛いところはないが、
それでも少しだけも痛みを感じたときは痛いと答えると、
もしかしたら盲腸炎かもしれない、との事。
痛いと答えたところが、右下腹だったかららしい。
 
 その日は、薬を貰って家に帰ったが、翌朝、まだお腹がおかしい。
で、又、H医院に行くと、再度手で触診して、やはり盲腸炎だろうとの事。
耳たぶから血液を採取すると、白血球が1万を超えており、
あっと言う間に、手術の運びとなった。
 
 H内科医院の隣に同じような旧い木造のK外科医院があり、
盲腸程度の手術はそこでやるとの事で、直ちに入院、手術だ。
K先生は40歳前後と思われ、H先生より一回りほど若い。
 
 手術中、先生のほかには、看護婦兼務の奥様が1人だけだった。
下腹部に部分麻酔が施され、
何かしているなと思っているうちに手術は終了、
先生が手術台から抱き上げて病室まで運んでくれた。
経過は順調で、何の問題も無く、1週間ほどで退院した。
 
 考えてみると、本当に盲腸炎だったかどうかは怪しい。
本当は腹痛と言うほどのものでもなかったし、多少痛かったとしても、
学校に行きたくないが故の条件反射だったような気もする。
白血球は盲腸に限らず、喉の多少の腫れでも上がるだろうし、
幼い子供にとっては1万強でもそう異常とは思えない。
 
 後に除去した虫垂を見せられたが、形は崩れておらず、
特に異常があるようには見えなかった。
手術を行ったK先生が現物を見てどう思ったかは、
定かでないが、内科医のH先生が盲腸炎だと言うし、
開腹したので、そのまま切除した・・・のかもしれない。

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