新潟時代2.社長室
2000年4月1日、N社の事務所、管理センターに初出社する。会社の主力は自動車や携帯電話向けの精密部品の生産販売、広い敷地内に5工場が点在している。道路から少し入ったところに管理センターがあり、事務技術系社員が勤務している。初出社すると総務室長が管理センター内を一通り案内して最後に2階の奥の部屋に入って、ここが社長室ですとのこと。こんな奥まった部屋に閉じこもっていては仕事にならないので、直ぐに1階の大部屋中央の窓際に社長の机を配置してもらった。
会社は元々、親会社直轄の新潟製造所としてマンガンを精錬する電気炉を動かしていたが、10年ほど前にマンガン精錬を止めて電気炉を休止した。その後、10万坪の広大な土地と200人の社員を維持するために別会社として新たな事業を立ち上げて今に至る。新潟では名前の知られた名門企業だが、事業の収支は芳しくない。親会社は利益を期待すると言うよりは、何とか収支トントンにして土地と社員を維持することを求めている。
社長席を確保した1階の大部屋には30人ほどが勤務しているが、各自の机にパソコンがなく、社内ネットワークも整備されていない。当時はまだ全員がパソコンを使う時代ではなかったが、世の趨勢は直ぐに全員がパソコンを使って、情報を社内ランでつなぐことになると目に見えていたので、直ぐに検討して費用を確認した。この会社にとっては少なくない負担のようで、経理は何か言っていたが、押し通して社内ランを導入した。経理等の日々の情報は常時パソコンで確認できるので、細かい会議は全て廃止した。
会社の年間の売り上げは約40億円、殆ど収支トントン、経理上なんとか黒字という事にしている程度。月に一度、前月の営業成績を確認するために経営会議をするが、若干の赤字の月が多い。その時その時に小手先で何かをしても、殆ど何も変わらない。抜本的に何かを変えない限り浮かばれないことが明白だ。
普段、社長の仕事は何もない。当面は、事務所の各人の動きを見て各人の能力、性格等を把握し、現場を回って各工場の様子を見て、キーマンの話しを聞き、現場の把握に努めた。暫くは、組織の簡素化と具体的な事業戦略を考える日々だった。
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