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カイロの忘れ物

 鉄鋼大手の本社勤務50歳の頃・・・・
 会社では技術者上がりの管理者として、諸々に気を使って真面目に勤務していたが、個人的にはケアレスミスが多く、忘れ物もままある。

  2008年の1月下旬、エジプトに出張した。名目は仕事だが、実態は殆ど観光旅行、国会なら野党に追及されそうだが、税金を使っているわけではないから問題ないのだ。名目はともあれ、長年行きたかったエジプトだ。事前に旅行書を読み漁り準備は怠りない。
 
 ヨーロッパ経由で地中海沿いのアレクサンドリアに行き、某社を表敬訪問して出張の任務は完了。翌日カイロに移動、ピラミッド、スフィンクスを見学、個人旅行者に群がる現地人の多さには辟易だが、それはそれで、何となく現代のエジプトらしい。2日目はカイロ博物館に一日浸る。3日目、朝早い便でルクソールに飛び、王家の谷を見学し、夜カイロに戻った。
 
 次の日の早朝、帰国すべく、ホテルからタクシーで空港に向かった。15分ほどで空港に着き、ルフトハンザのカウンターでフランクフルトまでの搭乗手続きをする。フランクフルトからはJALで成田に向かう予定だ。手続き後、エグゼクティブルーム(待合室)に入り、ワインを呑み始めた時、コートをホテルの部屋に忘れた事に気が付いた。
 
 日本は真冬だから、自宅から成田までコートが必要だったが、常夏のエジプトでは必要ない。ホテルの部屋のクローゼットに掛けっぱなしにしていた。搭乗開始時刻まで、まだ1時間以上ある。
 
 直ぐにエグゼクティブルームの受付カウンターに行き、事情を話して電話を借りて、ホテルに電話し、コートを忘れたと告げる。相手の求めに応じて、部屋番号、コートの特徴などを話すと、少し待たされて、確かに部屋にあったとの事。登場時刻を告げると、大丈夫だ、出発までには充分に間に合うから、届ける、空港の何処に行けばいいのかと聞く。ルフトハンザの職員に電話を替わり、場所を説明してもらう。コート一枚の事とは言へ、日本は真冬だ、なければ困る。一件落着、ほっとして再びワインを飲む。
 
 ところが、いつまでたっても、コートが来ない。搭乗時刻になり、他の乗客が全て乗ってしまっても来ない。やはり、ここはエジプト、期待するのが間違いだったと、搭乗口に向かうと、ルフトハンザの職員(40歳くらいのおばさん)が、その辺の紙切れを差し出し、これに日本の電話番号を書いてくれ、ルフトハンザは毎日成田に飛んでいるので、コートを手荷物で届ける、と言う。
 
 小さな紙切れに慌てて自宅の電話番号と名前を書いたが、これはだめだなと、諦めの心境だ。フランクフルトからはJALだから手荷物の権利はないし、紙切れ一枚に書いたものが、尊重されるとはとても思えない。何と言ってもここはエジプトだ。
 
 コートは諦めてフランクフルト経由で成田に着き、横浜の自宅に戻ると、久々に顔を見た妻が、コートを忘れたでしょ、と言う。聞けば、成田のルフトハンザから電話があり、コートが届いたので、送ります、住所を教えて下さい。ただし成田からの宅急便代はそちら様のご負担です、との事。流石にルフトハンザ、宅急便代の請求もあわせて、如何にもドイツらしい。
 
 当時はコート1着で一冬を過ごしていたわけで、それで特に違和感なく、問題もなかった。断捨離を進めて、あの頃に戻ろうか、と思わぬでもない。

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