浅川マキ
毎月の文芸春秋に、内館牧子さんが、「ムーンサルトは寝て待て」と称して2000字程度の随筆を連載している。11月号は第16回「昭和歌謡の底力」、面白そうだ。
以下、少々抜粋すると・・・・
この9月、五木寛之さんのもとに数学者の藤原正彦さん、政治学者で音楽評論家の片山杜秀さん、歌手のジュディ・オングさん、エッセイストの酒井順子さん、そして私の5人が集まった。・‥自分にとって外せない、これだけは遺したい昭和歌謡について、勝手な意見をガンガンいうためだ。濃い座談は3時間を超えた。
内館牧子さんは昭和23年生まれだから、私の1年下、子供がひしめく同じ団塊世代だ。高校時代は「若者たち」(1966年 ザ・ブロードサード・フォー)が流行り、大学時代にピッタリ来たのが「小さな日記」だったそうだ。就職したころは、「遠くへ行きたい」(1962年 ジェリー藤尾)を聞くと泣けてくる。「神田川」(1973年 南こうせつとかぐや姫)では、貧しくとも好きな人との暮しは、何も怖くないと本気で思ったとか。
この辺りの歌は私もよく聞いた。もちろん世はそんなに単純なものではなく、嘘っぽいと思うものの、歌う方もそれを分かっているわけで、心惹かれるものがあった。
話を内館牧子さんに戻すと、その頃、浅川マキさんに魅せられ、女友達と何度も深夜のコンサートに出かけたそうだ。
以下、コンサート部分を抜粋する・・・
いつでもどこでも超満員。黒ずくめの服、タバコを離さず、アングラの匂いをさせたマキは、自作や寺山修司が提供した歌を、やや蓮っ葉に歌う。そこには結婚だの社会の要求だのに応える気もなく、自分の人生を思ったように生きている女性がいた。友人幾人かに聞くと「夜が明けたら」(1969)も「かもめ」も「ちっちゃな時から」(共に1970)もすべて今でも歌えると言った。
浅川マキさんは、全く知らなかった。思い起せば、当時は就職して技術者としてスタートしたばかりで知らないことだらけ、時間があれば専門書を読むのに夢中だった。で、先日改めてyoutubeで浅川マキを検索して聴いてみると、成程と納得する。あの頃この歌を知らなかったのは幸運だった。
夜が明けたら 浅川マキ
Maki Asakawa 浅川マキ 「 かもめ(歌詞付) 」
浅川マキ ちっちゃな時から(1970年)