分水の桜
以下、新潟時代の日記を続けます。
12月から3月まで新潟は、長く厳しい暗黒の冬、
であるが故に、春の新緑は命の息吹を感じ、目に眩しい。
2005年頃、越後平野の「分水」に桜を見に行った時の日記です。
分水は越後平野の中ほど、
信濃川の一部を運河によって、
日本海にショートカットさせているところだ。
川の水量を調整する可動堰と固定堰があり、
信濃川の水量の半分を運河に導き、
西の日本海に直接流している。
残りが元の信濃川に戻され、更に80キロほど北上して、
新潟市で日本海に注がれる。
運河に流す水量を調整することで、下流の水害を防ぎ、
且つ、農業用水を安定して供給しており、
新潟米、コシヒカリはこの水で生産されている。
工事は明治20年に始められ、
度重なる大規模な地すべり、陥没といった事故の末、
昭和の始めに完成したが、
以後も大規模な補修工事を繰り返し、今に至る。
長い年月と膨大な費用をかけ、
多くの人命を失った・・・と、資料館に書いてある。
ということで、町の名はそのものずばり、分水。
4月初め、その分水に桜を見に行った。
新潟駅でおにぎりとお茶を買って、越後線に乗り、
2時間ほどかけて、分水に着いた時は13時過ぎ。
駅で時刻表を見て、帰りは16時18分と決める。
それを逃すと次は夜になる。
寂れた田舎町を、ぶらぶらと信濃川沿いの土手まで歩く。
土手の向こう側は田圃が広がり、所々で田植えの準備をしている。
更に向こうに信濃川が流れている。
土手のこちら側の穏やかな斜面の途中に、
幅10メートルほどの平地が土手と平行に延び、
その両側が見事な満開の桜だ。
白い花びらに緑がかったおしべをつけ、
やや地味なところがつつましい。
20メートルほどの間隔で一直線に植えられ、
果てしなく続いている。
木は100年も経ったであろうかと思われる、古木だ。
頭上まで花で覆われて、のんびりと歩く。
花の間から穏やかな日差しが漏れ、
ひんやりした柔らかな風が頬に当る。
足元は草が生い茂り、靴を沈めながら歩くと、
時折、蛙が飛び出し、
雉のつがいが、ばたばたと羽音を発して飛び立つ。
その度に隣を歩く監視人殿が、キャッと騒いで飛びつく。
暫く歩くが、何処まで行っても同じで、誰もいない。
適当なところにビニールを敷き、 おにぎりを食べる。
ビールを買うのを忘れたと思いながらお茶を飲む。
土手の傾斜地のところどころに、
白や黄色の水仙が自生している。
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