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聖剣前のワラビーさん

 それは風の噂だった。このブリテン島のどこかにあるという伝説の剣。その剣は錆びることも、刃こぼれすることもなく、永遠の輝きを放ち続ける聖なる剣。だが、それは誰も引き抜くことはできない。選ばれし“未来の王”となる者のみが、永遠なる剣を引き抜ける。暗く深い森の奥、そのまた奥に、その剣は未来の王をただ待ち続ける…
「っていう噂話しさ!」
 おとぎ話を語る口調だった男は急にいつもの口調に戻した。
「ぁんだよ、噂かよー! つまんねーの!」
 赤髪の少年は駄駄を捏ねるように手にしていたフォークをぶらぶらさせる。目の前にある籠には、焼きたてのパンが山のように乗せられており、その隣の皿には大小不揃いに切られた野菜が盛り付けられている。男は笑いながらフォークを机に置いた。
「なーに言ってんだ! そんな剣があるわけねーだろってんだ。こんな根も葉もない噂話に踊らされた力自慢たちが、泣きながら帰ってくるの毎日見てるだろ? アーサー」
「まぁ、そうだけどさぁ…でもちょっと試したいよなー俺もなー」
 アーサーは籠からパンをひとつ取ると、小さく千切り口の中へ放り込んだ。
「お前なぁ、帰ってきた奴らは揃いも揃って『あんなの無理だ』って言ってるだろ? お前みたいなガキが見つけられても無理無理」
 男は呆れながらパンにかじりついた。
「でも逆にそう言うってことは、伝説の剣自体はあるって事だろ? せめて見てみたいよなー。錆びない! 刃こぼれしない! 引き抜けないっていう剣!」
 アーサーは勢いよく机のうえに足を乗せ、木製のフォークを高らかに掲げる。
―と、同時に男の強く握り締められた拳が振り下ろされる。
「いってぇ! 何すんだよオヤジ!」
「机のうえに乗るなって何回言えばわかるんだゴラァ!」
 オヤジの口から大粒のツバが飛び散り、アーサーの顔にかかる。
「そーゆーオヤジこそ食い物ある場所でツバ撒き散らすなよバーカ!」
 ひとしきり罵声が飛び交った後、アーサーは自室で着々と旅に出る準備を始めていた。
「まあ、食料はこのくらい持っておけば十分か。あとは飲み物と何かあった時ように武器になるものを用意しておこう」
 アーサーはオヤジの部屋からこっそり持ち出していたナイフをベルトの隙間に差し込み、食料などを適当に詰め込んだ袋を担いでこっそりと家を抜け出した。
 アーサーは人目につかないように注意しながら、傷だらけになった力自慢が帰ってくる村の門へと足を進める。
「もし俺が剣を引き抜けちゃったらどうしようかなぁ〜? ぐへへ…」
 アーサーはまだ村から出ていないにも関わらず、顔はニヤニヤしっぱなしだった。すれ違う人達はみんな不気味がりながら横をすり抜ける。
「ねーねー、あのおにいちゃん、さっきから変な顔してるよー」
 小さな女の子がアーサーのことを指差しながら、母親に訴えかける。
「しっ! 見ちゃいけません! あと指差しちゃいけません」
 母親は子供の目を優しく手で覆い、アーサーの方へ伸ばされた腕を下ろす。
「いやぁ…困っちゃうなぁ…いきなり王様になってくれって言われもぉ…ぐふふっ」
 アーサーの脳内では既に伝説の剣を引き抜き、どこかの国の王様に次期国王になってほしいと懇願されている所まで話が進んでいるようだ。
 この世の全ての神すらも吐き気を催すアーサーの妄想は終わり知ることはないようで、ニヤニヤしながら妄想に勤しみ歩く。
 そしていつの間にかあーさーは村の外を出て、伝説の剣があるらしい森の入り口まで来ていた。
「いやぁ…花嫁多すぎて困っちゃうなぁ…ぐへっ…ぐへへっ…むふふのふ♡ おや?」
 アーサーは花嫁達との脳内ラヴストーリーをクイックセーブし、道端で倒れている屈強な男のそばに駆け寄った。
「どうしたんですか!? うわ…痣だらけだ…」 
「ぅう…」
「名前は? 言えますか?」
 アーサーが尋ねると、男は呼吸を整えながらゆっくりと名乗る。
「タピオ=カタイッコだ…かはっ」
 タピオ=カタイッコは口から血を吐き出す。
「タピオカ=タイッコさん? 変な名前ですね」
アーサーは苦しそうにするタピオ=カタイッコの手を強く握る。アーサーの心配する表情を見て、タピオ=カタイッコは目蓋を閉じて語り出す。
「ははっ…伝説の剣をなんとか見つけ…獣に襲われ足の骨も折られ、何とかここまで這いずって来たが…もう、進めそうにない。少年、村まででいい、肩を貸してくれない……か?」
 タピオ=カタイッコが再び目を開くと、そこにアーサーの姿はなかった。
「うせやろ…」
 アーサーはタピオ=カタイッコを残し、食料を詰め込んだ袋をブンブン振りましながら森の奥へと進んで行く。


「ぉお! オヤジ! 見ろよ見ろよ! シャッキーン! どーだぁ? ん〜? そうそう! 伝説ぅ? ああ! ニチャァ…」
 アーサーの気色悪いセリフが暗い森に響き渡る。アーサーの脳内では国王となった自分がオヤジに聖剣を見せびらかしているようだ。
 そんなアーサーの煩悩で歪みきった脳内指輪物語を消し去るほどの眩い光が、アーサーと森の木々を照らす。
 アーサーの瞳に映るもの、それは未来の王をただ待ち、永遠の光を放つ聖剣−エクスキャリヴァ。
「噂じゃ…なかったんだ…俺は伝説に辿りついた…」
 アーサーの頭の中に、今までの妄想が駆け巡る。脳内では険しい道のりだった。出会いと別れ、努力と友情、そして勝利。様々な妄想を経て今、アーサーは聖剣の前に立つ。
(そうだ…俺一人じゃ、ここまで来れなかった。俺の隣には、いつもコイツらがいてくれる。俺は、一人じゃない!)
「いくぜ!」
 アーサーが聖剣に手を伸ばしたその刹那、小さな影が聖剣から放たれる光を遮り、アーサーの見る景色が揺らぐ。アーサーは瞬きも許されないほんのわずかな時間の中、気づく。何か強い衝撃が自身の腹部を襲った事。そして自分の足が地面を離れて浮いていることを。
 アーサーは辺りの木々をへし折りながら吹っ飛んでいく。時に風穴を開けながら。
 薄れゆく意識の中で、あの日答えられなかった質問を思い出した。
―アーサーはさ、どんな大人になりたいの?
(俺は…正義のみk)
「いわせねぇよ?」
「ハッ!」
 アーサーは頬を襲う激痛で意識を取り戻す。熱く痛む頬をさすりながら、ゆっくりと起き上がる。
「あいたたっ…」
 辺りを見渡すと木々は薙ぎ倒され、巨木には大きな穴が開いていた。さらに、ウサギなどの森に住む生き物は何か鋭い刃物のようなもので切り刻まれている。
「これは酷い」
 アーサーは立ち上がると、視界の隅で何かがもぞもぞ動いているのに気がついた。
 そこに居たのは黒毛の二つの後ろ足で立つウサギのような生き物だった。
「お前は…?」
 黒毛の生物はつぶらな瞳で答える。
「神だ」
「神だったのか」
「人間のくせに神を見下ろすのか?」
 神を名乗る生き物は左前足をペロペロと舐めながら毛繕いを始める。
「それはスマンかった」
 アーサーは片膝を突き、頭を下げる。
「頭が高いわぁ!」
 自称神の獣は跳躍すると、大きく発達した足がアーサーの後頭部へと振り落とされる。
「ギャン!」
「お前、身長はいくつだ」
 黒毛のもふもふした生物はアーサーの前を行ったり来たり飛び跳ねながら聞く。
「172センチです」
 アーサーは両膝を地面につけ、背筋を伸ばしながらその生物を見下ろす。
「俺は57センチや…つまり、お前がいくら膝を突こうが、俺の方が小さいわけだな」
「は、はぁ…」
 アーサーは気の抜けた返事をする。
「ままっ、ええわ、許しちゃる」
「あ、ありがとうございます?」
 小さい黒毛の生き物はそういうと森の奥へと消えて行った。
「なんだったんだ、あの毛玉。って、そんなことより早く聖剣を引っこ抜いて国王にならなきゃ!」
 アーサーは手についた土をパンパンと払い、輝きを放つ森の奥へと再び進んで行く。今までの妄想をクイックロードし、脳内物語を再び描き進めながら。
「ぐへへっ…国王になったら自分の子供たちを立派な騎士に育てて俺を守る騎士たちにしたいなぁ…13人くらいでいいかなぁ?ぬふふっ…」
 妄想をしていると時間の流れは早く感じるもので、アーサーは気がつくと再び聖剣の前に立っていた。
 こほん、と小さく咳払いをすると妄想をクイックロードする。
「噂じゃ…なかったんだ…俺は伝説に辿りついた…」
 アーサーの頭の中に、今までの妄想が駆け巡る。険しい道のりだった気がする。よくわからない出会いと別れ、努力と友情、そして勝利。様々な妄想を経て今、アーサーは聖剣の前に立つ。
(そうだ…俺一人じゃ、ここまで来れなかった。俺の隣には、いつもコイツらがいてくれる。俺は、一人じゃない!)
「いくぜ!」
 アーサーの伸ばそうとした腕が止まる。暑くもないのに背中に尋常ではない量の汗が噴き出す。汗と汗がくっつき、大きな雫となって背中を滑り落ちるのがはっきりとわかる。殺気、というのだろうか。肌に感じる空気がなぜかピリついているように感じる。心が、いや脳が腕を聖剣に伸ばすことを拒んでいるように思える。聖剣に恐怖しているのかと思う。
 しかし、アーサーは直感する。自身の身体が拒んでいるのは聖剣ではなく、自分の足元にある存在。つい数時間前に襲われた衝撃を繰り出したソレに身体が恐怖しているのを。
 存在しない仲間の声が脳内に響く。
(恐れることはない、さぁ、俺たちの代わりに聖剣を……)
(行って!アーサー!)
(俺たちの屍を超えていけ!)
 そんな仲間たちの言葉が、アーサーの恐怖に竦んだ身体に鞭を打ち、少しずつ腕に力を込める。
(行っけぇぇえええーーー!)
「行っけぇぇえええーーー!」
 仲間の声とアーサーの声が重なる。アーサーは地面を強く蹴り、腕を精一杯伸ばして聖剣を目指す。しかし、アーサーの伸ばした手は再び虚しく空を掴む。
「えっ…」
 アーサーの視界はぐらつき、森の木々から溢れる光に包まれた。その後、顎に襲いかかるのは、激痛。吹き飛びそうな意識の中で、殺気を確かに感じた。
(殺される…俺、殺される!)
 自らの死を感じたアーサーだったが、不意にその殺気が消えた。その瞬間、アーサーの身体を支える両足の力が抜け、尻もちをついた。
「俺…生きてるのか? くっ…ハーハッハッハッハ! なぜだか知らんが俺は生きているぞ!」
 アーサーは地面に生えた雑草を乱雑に毟り取っては放り投げる。
「笑えよアーサー」
「ハッ!?」
 数時間前に聞いた声が、通常ならば耳の鼓膜を通して情報が脳に伝わり、そこから信号が出て身体が動くはずなのだが、この時のアーサーの脳は信号をキャッチした直後にフリーズしたのだ。つまり脳が思考することを放棄した。
「ひぇっ…」
 思考を放棄する直前の脳が唯一出した情報、それがこの情けない一言だった。
「そういえば、お前の名前をまだ聞いてなかったな、名乗れ」
再起動した脳が質問の答える司令を出す。
「アーサーです」
「ほう、アーサーいうのか、俺はワラビーや」
 あ、名乗って頂けるんですね、と思ったアーサーだったがふと疑問が浮かんでくる。ワラビーなんて神様いたっけ?
「えっと、ワラビー」
 せっかく名乗って頂いたのに、そう呼ばないのは失礼だと思ったアーサーは疑問に答えてもらおうと尋ねる。
「おい」
 大きな耳がピクリと動き、前足の甲を毛繕いするのを中断すると、可愛いうさぎのような見た目からドスの効いた声が返ってくる。
「ワラビーさんやろ」
「はい! ワラビーさん! ワラビーさんってなんなんですか!?」
 アーサーは無条件反射でなぜか右手を上げながら質問する。
 すると、ワラビーさんはどこから出したのかワラビーさんそっくりの絵が描いてある看板を地面に刺して見せる。
「ワラビーっていうのはフクロネズミ目(有袋類)カンガルー科に属する生き物や。有袋類は体に子供を育てる袋を持った生き物のことだ」
 ワラビーさんは前足で顔を擦りながら話を続ける。
「まぁ、カンガルーとかワラルーよりも小さいやつの総称みたいなもんで、細かく定義とかはされちゃいないけどな。ここまででわからないアーサーくんはいるかな?」
 なんだか学校に来たみたいだなぁと思いながらアーサーは手をあげる。
「はい、結局ワラビーさんってなんなんですか?」
「神や」
「えっとワラビーの?」
「神や」
「神だったのか…」
 あれ?これ何回目のやりとりだっけ?なんてことを考えていたが、アーサーは自分が聖剣の為にここまで来たことを思い出した。
「そうだった! 剣!」
 アーサーはワラビーさんの横をすり抜けて眩い光を纏う聖剣の元へ向かう。聖剣まであと一歩のところで、右足が前に進まない。何かが足に絡まっている感覚だった。アーサーは何かの絡まった足を振って、払おうとするがなかなか離れない。
 仕方なくアーサーは両手で取ろうとすると、そこにはワラビーさんがアーサーの右足を掴んでいた。
「How’s it going?」
 アーサーの右足にぶら下がるワラビーさんはにっこりと微笑む。その可愛らしい笑顔はアーサーの心に恐怖を植え付ける。
「あいむべりーべりーそーそー、はうあばうとゆー?」
 アーサーの額からは、嫌な汗が滝のように流れて止まらない。
「I’m very very well, thank you!」
 右足に力が込められるのを感じると、思わずアーサーの口の端が緩む。
(あ〜、おわった)
 ワラビーさんは自分の倍以上あるアーサーを軽々と持ち上げて、ぐるんぐるんと回し始める。森の木々がワラビーさんの生み出す回転エネルギーに揺れざわめき、木の葉だけでなく、森に住む鳥や動物たちも巻き込んで小さな竜巻を作り出したその瞬間、ワラビーさんはアーサーの右足から手を離す。その瞬間、アーサーは並進運動に則り遥か彼方に再び投げ飛ばされた。
「イェア゛ア゛アアー!」
 ワラビーさんが叫び、アーサーの飛距離がグングンと伸びて行く。
 アーサーは青い空を横切りながら、夢を見た。それは亡き母の夢だ。

「アーサー、夢はおっきく持つのよ…」
 病弱な母はよくベッドの上で窓から空を眺めていた。
「うん! 僕は大きくなったら魔王になるんだ! そして世界を僕のものにするんだ!」
 無邪気なあの時の自分が笑いながら答える。
「大きな夢ね、いつかアーサーの世界を一緒に歩きたいわ…ゲホッゲホッ!」
 母が苦しそうに両手で口を覆い、咳き込み始める。
「お母さん! 苦しいの? 今お薬持ってくる!」
「お母さんの夢はね、あの青い空を飛ぶこと、かな」
 母は今にも消えてしまいそうな笑みを見せる。
「だったら僕がお母さんの分まで飛ぶよ! あの大きな空をさ!」

(お母さん、俺、今空を飛んで居ます。夢、叶えましたよ)
 白く霞む視界に、母の面影を見る。
(あぁ、お母さん…そこにいるんだね…もうすぐそっちに…)
 アーサーはその手を母へと伸ばそうとする。すると母は両手を前に伸ばしてクロスさせる。
「むーーーーりーーーーーーー!」
「はっ!」
 アーサーは森の抜けたところにある花畑で目を覚ました。花が落ちた衝撃を和らげてくれたのか、幸いなことに目立った外傷はない。
「やぁ、お目覚めかな?」
 爽やかな声が聴こえてくるが、見渡しても人影はない。
「そうか、夢だったのか」
アーサーはホっと胸を撫で下ろし、花畑に身を投げ出す。バフッと音を立てながら花びらを撒き散らす。
「やぁ、キミがアーサーくんかな?」
耳元で囁く爽やかな声にトゥンクと胸をときめかせながら起き上ると、アーサーは爽やかな声を発した持ち主を探そうと起き上がる。
「あれ? 気のせいだったのかな?」
アーサーは残念そうに溜息をつくと、自分の脛をポンポンと叩く触感に気が付いた。
「やぁ!」
 目の前には毛に覆われたふさふさのウサギに酷似した生き物がいた。アーサーは自身の脳がフリーズするのを感じた。記憶というものは脳の海馬という場所で保持されたりされるという。
 そして脳は積極的に記憶を失おうとするらしいが、今さっき起こったこと、しかも痛みという肉体が経験した記憶はそう簡単には消えたりはしない。
 いわゆるトラウマというやつだ。自身を遥か上空へとフッ飛ばし、木々を薙ぎ倒した記憶が過り、身体が恐怖を感じている。つまり皆さん、お分りですね。
「ファッ!? ウーン…」
「ちょっ! ちょっとキミ!? 大丈夫かい!?」
 辺りの冷たさにアーサーは目を覚ます。目の前には光の粒子が真っ暗な世界に散りばめられている。木々のざわめきは少しだけ恐怖を煽るような気がする。
「あ、そっか」
 アーサーは既に夜になっていることに気が付いた。空は闇色の一色に染められ、キラキラと輝く星々。風が恐ろしく感じるのも、夜だから。
「やぁ、『おはよう』。いや、この場合は『おそよう』と、言うべきかな?」
 白い毛並みの獣が爽やかな笑顔で語りかけて来る。
「うーん…」
「それはさっきもやったからやめてくれるかな?」
 爽やかな表情の奥に、何か黒いものを感じ取ったアーサーは無条件反射で返事する。
「あっ、サーセン」
「さて、自己紹介をさせてもらおうかな? 僕の名はキュートでプリチーで爽やかで、美しくて実に優雅で、トレンドで1位になる程有名な最高の魔術師マーリンだ!」
「すいません、名前の後半聞きそびれました。もう一度お願いします、キュートでプリチーで爽やかな何とかさん」
「いや、そこは名前じゃないからね? キミは天然物の天然なのか、それとも養殖物のアホなのかな? マーリンでいいよ」
白いワラビーは溜息をつきながら言う。
「えっとマーリン、それでえっと用は?」
 アーサーの問いにマーリンは若干呆れ気味に答える。
「はぁ、まっいいか。アーサーくん、キミはこの森の奥深くで眠る永久なる光を放つ剣。キミにはそれを手にする資格がある。その剣を引き抜く勇気がある。未来の王となるキミを、あの剣は待っている」
「つまり、それって…」
 マーリンはフッと微笑むと両手を軽快にたたく。
「コングラチュレーションズ! コングラチュレーション! キミは未来の王様だ!」
 何もない場所から紙吹雪が舞い落ちる。恐怖を煽る夜のざわめきが祝福にさえ聞えて来る。
「お、俺が…王様!?」
 アーサーは必死に驚く演技をする。
(ま、当然だよな! 知ってた知ってた)
 アーサーの口の端が吊り上り、堪えていたはずの笑いが込み上げて来る。
(ダメだ…まだ笑うな、笑っちゃいけない…)
 そう思わないようにするということは、そう意識してしまうのと同じようなことで、笑い声が口から零れ出す。
「そっか…くくっ…俺が未来の王、か…待っていたんだよ俺は! 俺が村人Aでその生涯を終えていいのか? 否! 俺はずっと考えていたんだ! どこかで村人Aが王となる神がかったシナリオがそれとなく、さりげなく用意されているんだってね!」
(あれぇ? 僕はきっとなにかを間違えてしまった気がするぞぅ!)
 マーリンは表面上、ニコニコと頬笑み新たなる未来の王の誕生を喜んでいるように見えるがこの男、何も考えていないのである。
「しかしだ、キミも会っただろう? あの聖剣の前に佇むあの獣を」
アーサーはマーリンの言う獣が何なのかをすぐに理解した。海馬に保持される恐怖の記憶に震えだす。
「ガタガタガタガタガタガタ…わかるぜ?」
アーサーは唇を真っ青にし、ガタガタと震えながら返事する。しかし、その姿は最高にダサかった。
「うんうん、散々痛めつけられていたからねぇ。経験者だから分るだろうけど、今まで腕試しに来たやつらは皆あいつに返り討ちにされていたのさ」
マーリンはケラケラと笑いながら語る。
「いや、あれは笑って済ませていい問題じゃないですよ!?」
アーサーは被害者代表で抗議するが、地面に転がる小枝をくるくると空をかき回しながら言う。
「まぁ僕にはアイツをどうしようもできないんだなぁコレがさ」
「試練…ってことですか?」
 アーサーは珍しく真剣な表情でマーリンに問いかける。その問いから真剣さが伝わったのか、マーリンの眉間にもシワが寄る。そして一呼吸開けるとマーリンは口を開く。
「べつに?」
 マーリンのその一言がその場を凍らせた。
「?????」
 マーリンは小枝をポキポキとへし折っては短い枝の方を捨て続ける。
「正直、誰が王になろうがなるまいが僕には関係ない。ただ、そういう未来が見えたよーって教えて上げるのが僕のやるべきこと。ホントは教えてあげなくたっていいんだけどね」
 つまらなそうな表情をしたままマーリンは新しく小枝を拾い上げると、へし折り始める。
「面白そうだって思ったからそうするだけ。物語は面白そうなほうがいいだろ? 小枝をポキポキへし折るワラビーの図を、そりゃ最初の頃は面白いかもしれないさ。でも、これだっていつかは飽きる、だろ? 事実、僕はたった今へし折り始めたこの動作に飽きて、意味のない作業と化している」
 小枝を落とすと、今度は徐に毛繕いをし始める。
「でもあのワラビーには迷惑してるんだ。王になるはずの奴がなれなかったりしたからね」
「え? 僕以外にも未来の王がいたんですか?」
アーサーの問いにワラビーはピタリと毛繕いを止め、アーサーを見つめる。
「キミは実に馬鹿だね? 想像力がたりないよ? キミは王候補の仕方ないからコイツにするか的なポジションだ」
「えぇ…」
 アーサーは何とも表現しにくい表情をしていた。気持ちを代弁するならば、『未来の王になれることは素直に嬉しいが、もうアイツしかいないからアイツでいいかって投げやりで選ばれてどんな顔で喜べばいいのだろう?』と言う感じだろう。
「将来悲劇を齎す村娘だったり、亡国の聖女となるはずだった淑女、歴史に名は残せずとも美しい人生を送るはずだった男、安寧の世を作りだすはずだった少年なんてのもいた。まぁ、そんなもしもの可能性の芽を摘む害獣、それがまさにアイツさ」
 マーリンの言葉から沸々と怒りの感情が感じられた。アーサーは呼吸をするのも忘れ、マーリンの話に夢中になっていた。
「これだと僕が大嘘付き認定されちゃうじゃないか! プンプンだぞぅ!」
「は?」
この世に生を得て15年。アーサーは初めて他人への殺意という感情を理解した。と同時に今までのこのシリアスな語りはなんだったのかとアーサーは疑問に思った。
「と、言うわけでワラビー殲滅作戦を考えよー!」
 マーリンはウッキウキでそう語るが、マーリンもワラビーの姿をしているじゃないかとアーサーは言えなかった。言ってしまったら、大事ななにかが壊れるような気がして。
 それが何なのか、アーサーには分らない。でもそれはアイデンティティだとか、コンセプトとか、そんな感じの目には見えない何かだ。自分が重く考えすぎているだけなのだろうとは思うが、ここまで築いた何かを自分の手で壊してしまいそうになる。
 目に見えない内なる何かとアーサーは戦いながら、楽しげに物騒なことを話すマーリンと朝方まで作戦会議が続くのだった。


 森の奥深くに輝く剣を前に、一匹が佇む。可愛らしい見た目の雄(彼)は朝日を遮る二つの影に口が緩む。
「フッ…逃げなかったことだけは褒めてやるアーサー」
 アーサーの拳に力が籠る。決意、それは必ずや聖剣を引き抜き、未来の王となる誓い。
「あの時の俺とは違う」
 アーサーは聖剣の前にいる雄(彼)をにらみ付ける。物を寄せ付けない覇気がアーサーから放たれる。同時に木々は揺れ、小鳥たちが逃げるように飛び立つ。
「あはっ! 腐っても王ってことか、アーサーくん! 恐ろしくすばらしい覇気だ、僕じゃないとおしっこ漏らしちゃうね!」
 マーリンは楽しそうに言う。マーリンの空気を読まない台詞に耳を持たず、アーサーは言葉を続ける。
「マーリン、語れ」
「は?」
 突然のことにマーリンは聞き返す。
「いくつもの可能性を摘んできた愚かな獣を、最弱候補の王子が倒し、選ばれし未来の王として君臨する反逆の物語をだ」
「違うな」
 ワラビーさんが言葉を遮る。
「いくつもの可能性を摘み続けた小さき獣に、王となる夢は無残に喰われ、何も変える事の出来ない惨めな物語だ」
 二つの覇気が森の中心でぶつかり合う。少しでも気を緩めれば、相手の覇気に押されてしまうと思う余裕すらアーサーには無かった。
「お前に剣は似合わない。鍬でも握ってるのがお似合いだ」
「黙れっ!」
 アーサーは地を強く蹴り、ワラビーさんへと跳ぶ。向かってくるワラビーさんも、跳躍の構えをとり、大きく発達した後ろ足で地を強く蹴る。
「くっ!」
 ワラビーさんの発達された足から繰り出される蹴りにアーサーは片腕でのガードが不可能だと察知すると両腕でガードの姿勢を取る。しかし、ワラビーさんはそのガードを打ち破るために身体を捻り、回し蹴りを喰らわせる。
「っ!」
 アーサーの防御の姿勢はあっという間に崩されてしまう。
「ほう、成長したようだな」
「くっ!」
 フッ飛ばされそうになりながら、どうにかして一撃を加えようとアーサーは頭を勢いよく振りかぶり頭突きする。
「何がお前をそこまで強くした?」
 ワラビーさんはアーサーの頭突きをヒラリと回避する。ワラビーさんが着地したその硬直の隙を逃さず、頭突きのかわされた勢いのまま拳を握りしめ突っ込んでいく。
「情熱、決意、覇気、気品、優雅さ、勤勉さ! そして何より! 覚悟が足りない!」
勢いを乗せて振り下ろされた拳はワラビーにクリーンヒットする。
「遅い」
「何っ!?」
 アーサーの背後からワラビーさんの声が聞こえて来る。振り返る間もなくアーサーの顔にワラビーさんの蹴りがヒットし、木々をなぎ倒しながら飛んでいく。
(確かに拳は当たってたはず! 手ごたえは確かにあったなのになぜっ!?)
 飛ばされながら、アーサーは拳の隙間に挟まる毛の存在に気が付いた。その毛は白かった。
(盾にしたっ! 野郎! 俺の頭突きを避けた時にマーリンの傍に着地したんだ! そして挑発し、キメ台詞を考える一瞬で入れ変わったんだ!)
 巨木に打ちつけられたアーサーは何とか身体を起こす。すると、視界の遥か向こうから何かが飛んでくるのが見えたアーサーはキャッチする姿勢を取った次の瞬間、ズドンと重い衝撃がアーサーを襲った。
 アーサーの手にはぴくぴくと泡を吹きながら痙攣するマーリンの姿があった。
「何十年間、ただ傍観…『約束』果たせず何も得ず。終いにゃ終いにゃダメ王子。脳内ハーレムキモ王子。予言も阻まれ息絶える。実に無意味じゃありゃせんか? 実に無念じゃありゃせんか?」
 覇気を放ちながらやってくるワラビーさんを見て、アーサーのマーリンを抱える腕が震える。
「アイツ、マーリンを馬鹿にしやがった…」
「あ?」
「乗るな! アーサーくん! ゴフッ! それにまだ死んでないからっ! 僕無敵能力あるしっ!」
 吐血しながらマーリンが腕の中で叫ぶ。
「マーリンは俺に作戦くれた! マーリン俺にツッコミ不在の怖さをくれた!」
「えっ、キミそんなこと思ってたの?」
 ワラビーさんは首の骨を鳴らしながらジリジリと間合いを詰めてくる。
「生き物、本気で生きなきゃ生きる価値なし!」
 ワラビーさんはアーサーがマーリンを抱えている為、意識が両腕に来ていることを察知し跳躍すると、アーサーの足を掴み投げ飛ばす。
「ふはははーっ! 引っかかったな阿呆め! これが俺の聖剣接触方法だーっ!」
「しまった!」
 ワラビーさんが投げ飛ばした方向、それは聖剣の方角だったことに気付く。
(アーサーめっ! わざと足に隙を見せたな! しかもご丁寧にあの方向に投げ飛ばしやすいように立っていた!)
「自らのあり過ぎる力を後悔するがいい!!」
 アーサーは吹き飛ばされながら高笑いをあげる。
「くっ!」
 ワラビーは全ての力を両足に蓄積させ、一気に解放し地面を蹴り上げる。
(間に合えっ! どうなっても知らんぞー! 自分!)
 アーサーは地面に不時着すると、マーリンを投げ捨てワラビーさんが到着する前にと、突き刺さる剣の柄を持つ。
「させるかぁぁああ!!」
 草木を弾丸のように貫き飛んでくるワラビーさんにアーサーは笑う。
「今頃来てももう手遅れよ! 未来を創造若き反逆の王が、輝かしいハーレムを築くのだぁあ!」
 アーサーは両手に力を込めて引き抜く。

パキィィイイインッ!!

「あ…」
「あぁ…」
「あぁ~…」
 騒がしかった森に、儚い音が静かに響いた。

「いやぁ、まさか聖剣が壊れるとはねぇ~。確かに錆びない、刃零れしないとは言ってたけど『壊れない』とは言ってなかったからねぇ」
 マーリンは『傑作傑作』と実に愉快そうに刃だけの聖剣にもたれ掛り青草をかじる。その隣りでアーサーは粉々になっても光を放ち続ける聖剣の破片と柄を眺めては溜息をつく。
「これ、そもそも抜いたって言えんの?」
「さぁ? 前例ないしね。聖剣の柄だけもつ英雄なんて…キミが歴史上初の聖剣の柄だけもつ英雄かもよ? クスクス…」
 マーリンは必死に笑いを堪えようと小さな前足を口元に持って行き抑えるが、全然抑えられていない。
「ワラビーさんもすぐにフラっといなくなっちゃったしなぁ」
 そう、聖剣が目の前で折れ、砕けたのを見たワラビーさんは寂しそうな表情をして去って行った。
 その時、雄(彼)は確かに言った。
「お前がナンバーワンだ」
 アーサーはズキズキと痛む頬を擦りながら静寂の訪れた森で、晴天の空を見上げる。
 ワラビーさんがどこに行ったのか、それは誰も知る由が無い。しかし、アーサーは確信している。
 いつかの時代、この広い世界のどこかで、雄(彼)は聖剣と共にこの空を見上げているのだろうと。



 ――2020年 パリ ルーヴル美術館
「あのぉ~…すいませんが、ここは立ち入り禁止なんですけどぉ」
 若い女性従業員が展示品の前の佇む黒い毛の塊に申し訳なさそうに話しかける。
「あと一歩近づいてみろ、お前を殺す」
「ひぇっ…」
 女性従業員が溜息をつきながら立ち去ろうとすると黒い毛玉は問いかける。
「お前の名は何と言う?」
「ア―シァ…です」
 ウサギのような容姿をした黒毛の生物は名前を聞くと大きな耳がピクリと動き、僅かに口元が緩む。
「懐かしい響きだ…」
 大きな黒真珠のような瞳に窓から覗きこむ青空が反射する。人間の言葉を話す生き物に、従業員は恐る恐る尋ねる。
「あなたは…?」
「ワラビーさんや」

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