村八分
例えば、会社を解雇されても生きていける術があるなら、会社の理不尽な要求に屈せず、堂々と抗い、正論を口にできるという人も少なからずいるだろう。
その会社以外にも生きていく場所があるから。
しかし、これが国家というレベルにまでエリアを広げるとどうなるか。
この国でよく目にする言葉があるでしょう。
「嫌なら(日本から)出ていけ」。
日本のあり方に対して批判的言動をとった人に対して、この言葉をぶつける人々が少なからず現れる。大なり小なり。
このような国家的レベルで村八分という私的制裁をやられた日には、本当に、亡命でもするよりほかなくなるんだよな。
自分を貫くって簡単なことではない。
若い頃から、どうすれば自分を貫けるかって考えてきた。
でも、考えるだけ。生き抜く術を身に着けようというところまでは考えが到っても、それを実践するまでにいたらず、結果、ずるずると時だけが過ぎていき、今に至る。
社会に見咎められるような言動をとることもなく、目立たぬように、ひっそりと息を潜めて生きている。
自分ひとりのことならそれでもいいんだけどね。
堂々とものを言えないのって、生きる屍だ。
中学生の頃、自分の中から自分がなくなっていき、どんどんと透明な存在になっていくのが自覚できて、辛かった。
時々、勝手に涙が流れてきた。
ふと、昔のことを思い出した。