オモロナイ オモロナイ オモロナイ!バンコク!(1)
オーストラリア一人旅を 終えた 大学三年生の夏休み。(1999年)
私は 東南アジア旅 デビューを果たす。
それまで オーストラリアやアメリカなど
日本と同じような 整然とした国には行ったことはあったけれど
東南アジアに足を踏み入れたのは この時が初めてだった。
バンコク行の飛行機に乗るときはもう 緊張で挙動不審のようになっていた。そろそろ到着か、なんて時には、冷や汗も垂れてきたほど。
「東南アジア あるある」の噂を大量に知識として
仕入れていたからだった。
空港内での両替からすでに ボッタクリに遭うだの
空港出てからの タクシーの客引きが猛烈すぎて
不穏なタクシーに乗せてもらうと 目的地までの道程を
延々と引き伸ばされて 挙句、知らない土地で降ろされるだの。
そんな 日本ではあり得ないことだらけの噂で
旅に出たばっかりの私の頭の中は占領されていた。
ガクガク・ブルブル。
この私にどんな洗礼が待ち受けているのであろう・・・・。
空港に降り立って 数歩 歩いただけなのに
今まで感じたことのない 雰囲気を身体全体で感じていた。
生まれて初めて嗅ぐような匂いが
あれこれ全部詰めあわされて圧縮されたような大気。
ねっとりと重く 肌にまとわりつくような空気。
そして 空港から出た野外の 異様な暗さ。
今のバンコク空港がどうなってるかはわからないが
あの当時の東南アジアの空港は
少し ぎょっとするほどの 薄暗さだった。
オレンジ色の淡い光には 深い闇を降参させるほどの 威力はなかった。
物の影の 影自体の色が濃いのだ。
その暗闇の中に沈み込むようにして
現地の男たちは立っている。
汗に汚れたシャツを着た男たちが一斉に声をかけてくる。
「タクシータクシー」
ぼおっとしている、あるいは迷っているような様子を少しでも
見せようものなら
いつの間にか私の荷物を勝手に持っていこうとするから
気が抜けない。
盗むつもりではなく、勝手に荷物を持っていって
ポーター料金を要求する手だ。
さらにひいきのドライバーと組んでいる場合もある。
迷っている様子を見せない
立ち止まらない。
「友達が来てるから大丈夫、タクシーいらない」と
周りに聞こえるような大声で英語を叫びながら
雑踏を少し離れたところまで猛烈に歩いて行く。
少し雑踏を離れると
追ってくるタクシーの呼び声はなくなり
そこでおもむろに自分から 道端に停めてあるタクシーに声をかけて
街まで安全に乗せて行ってくれそうな 善良そうなドライバーを見つける。
幾人かのドライバーに声をかけると
自分の目的地までの料金の相場がだいたいわかるので
そうなってくるともう、あとは
車のぼろさ具合とドライバーの善良そうな雰囲気を天秤にかけながら
ひとつの車を選び 目的地まで乗せて行ってもらうことになる。
現在のタイのタクシーはもっと 快適でわかりやすく
安全にお客を運んでくれるのかもしれない。
私の降り立った 1999年は まだそんな渾沌とした時代だった。
タイに降り立ったその日の目的地は
バンコク市内のカオサンロードだった。
町の中心地にあり
世界中のバックパッカーでごった返しているストリート。
安宿が軒を連ね、さらに安くておいしい屋台が軒を連ねている。
カオサンロードを旅の中継地点として さらに奥地に旅立つ旅行者も多いので、旅行会社もひしめき合っている。
今でこそ、旅行者は個々が インターネット上でエアチケットを予約して
空港に行けば 電子システムで 紙のチケットなど必要のない時代だが、
あの時代は、個人でチケットを飛行機会社から直接買えない時代だった。
旅をしたければ、旅行代理店に行き、店員と 安い日、目的地などを相談して 紙のチケットを発給してもらっていた。
不便な時代だった。
が あの時代そうやって 旅行代理店も 生き残っていたのだと思う。
古いビルに入ると いくつもの代理店が
年季の入ったぼろい机をひとつ並べ
それをカウンター代わりにして 所狭しと営業していた。
バックパッカーはその古びた怪しげなビルに足を踏み入れるところから
もう 次の旅が始まっていた。
そういうところからひとつひとつ階段を昇るようにして
旅を始めていった。次の見知らぬ国に想いを馳せながら。
カオサンロードは びっくりするほど安い宿が軒を連ねている。
平均的な 個室(バス・シャワー付き)で 300円ほどで泊まることができた。 平均的な宿はこんな雰囲気。
オーストラリアの安宿のようなドミトリー式ではなく 個々が独立していて
安全が保たれる。エアコン付きは少し値段が上がるようだが
普通は 扇風機がぐんぐんと回っている。
カオサンロードの安宿に泊まりながら
バンコクの名所はなんとなく巡ってみた。
が。まぁ、正直な感想。
全然 おもろない。
おもろなさすぎる。
たった一人で周り歩く街は 特別に心躍ることもなく
排気ガス立ち込めた交通量半端ない 市内をバスでまわってみても
な~んもオモロナイ。心まったくオドラナイ。
なんかなぁ、想像してたんと違うくない?
「タイは一度は行っとけ!」って 誰か言ってな。
ほんとか?どこを見てそう言ってんだろう。と疑問が頭を巡る。
寺院に関しても正直に言わせてもらうと
どこもかしこもキンキラキン!豪華絢爛!眩しいほど。
全くといっていいほど 落ち着かない雰囲気。
日本の寺院のような 1000年以上もそこに堂々と鎮座し
寺の柱も壁も かつての色が剥げてしまって
木肌の 薄黒くくすんでしまったような
時間の経過を感じさせる 凛とした姿が 好きなのだ。
そういう場所に行くと 自然と心がしんと静まり返り
その大木の生きた時間の悠久の流れに想いを馳せることができる。
タイのお寺では 心 静まるどころではなかった。
昼間 ココロオドラナイ 状態で歩き回り
夕方 ゲストハウスに戻ってきても やることがない。
誰もいない個室に戻っても やることといえば
日本から持参した本をひたすら読むことくらい。
一人旅の良さは、各地で友達を作ることにあるんでしょうに。
友達がんばって作りなさいよ。
という声が聞こえてくるのだが
そう思うほどに簡単なことではないのだ、タイの一人旅は。
なぜかというと
だいたいタイに来ているのはカップルが多い。
タイにはリゾート地も多く、甘い時間を過ごすために来ているのだろう。
さらに すでに友達と連れ立ってきているグループも多い。
そんな外国人のグループがわざわざ
一人でいる日本人に声をかけることなどほとんどない。
なのでカオサンロードの安宿に滞在中の私は
慢性的に一人ぼっちで
昼も夜も 誰にも聞いてもらえない愚痴を言ったり
持ってきた本を読み終えてしまって
カオサンロードの古本屋で売って
まだ読んでない新しい古本を仕入れてくる、そんな生活だった。
1週間ほど なんもオモロナイ市内観光をして 飽き飽きし始めていたころ
ふと気が付いた。
もしかして。ここが大都会で みんな忙しいものだから
友達になってくれる人がいないのかも。
田舎の方に行けば もっと現地の人もフレンドリーで
旅人同士も 壁がなく 親しくしてくれるかもしれない。
よし。チェンマイに行こう。
そんな流れで タイ北部の町
チェンマイ行の長距離バスチケットを購入して
私はチェンマイに行くことにした。
(つづく)
次のストーリ https://note.com/ninguru/n/n7e012559d2f5
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?