ninguru
駆け抜けた刹那の色彩の輝き
自称本オタクの私が 手当たり次第読む本の中で 特に気に入った本の感想を並べてみました。 本を読んでいる瞬間が何よりの娯楽。
流れていく思考をとどめておくために 文字に変換していく作業の 軌跡。
楽しい思い出をひとつも手に入れることができず ズタボロになっていたタイ一人旅。 薄汚れて どす黒く くすんだ旅日記。 最後のページだけやっと明るい色を塗ることができた そんな 一人旅だった。
壁画を作成しました。 だいたい大まかなアウトラインの枠を三個作り その中に 自由気ままに 頭の中のイメージをのせていきます。 失敗の許されない 下描きなしの一発勝負!
沖縄の表と裏。 光と影。 外の顔とウチの顔。 観光客の目を避けるようにして 鬱蒼としげる森の中にある御嶽。 地図にも載ってないその場所に足を踏み入れたことがある。 沖縄には御嶽(うたき)と呼ばれる 神社に相当する、神聖な祈りの場がある。 地元の信仰の要になっている場所なので むやみやたらに足を踏み入れることは禁止されている。 畏敬の念を持って 入ることが可能な場所までは 参詣することができる。 神社のような鳥居がある御嶽もあるし ともすると一見 ここから先に何か特別なも
ストリッパーの彼女たちが東京に帰ってしまった後には 入れ替わり立ち替わり 誰かが寝泊まりして行った。 そこで生活する人たちの顔が変わっていく度に 遊び方のニュアンスも 変わっていった。 誰かがどこかで手に入れてくる 聞いたこともないようなものを 仲間たちといつも共有した。 一人ではやりたくないっていう 心理も働いたのかもしれない。 そこにいる仲間たちと一緒にだったら 怖くないって思いもどこかにあったかもしれない。 円座に座った 10人ぐらいの仲間の顔の前 至近距離を まる
私の沖縄は 常に瞳孔が開き切った 濃密な時の記憶。 目に映るものが全て 鮮やかでなまめかしく 湿度を伴って 命を宿し 揺れ動き 空間の壁を隔てることなく 我が身に一心に向かってくるような そんな沖縄だった なぜ急にそんな思い出が フラッシュバックしてきたのだろう この強烈な暑さにやられた脳が あの頃の私たちを 記憶の底から 浮かび上がらせてきたのだろうか。 大学を卒業したその春 迷うことなく ここから一番遠いところに旅立とうと思った。 学生をやっていたから 海外に発つ資
バリ島で舞踊を習っている友達の大先生が亡くなられたということで 友達が参列したお葬式の様子を見せてもらいました。 (動画は友達が実際に葬儀に参列して撮ったものをお借りしました) 動画を見ながら 思考はバリ島のあの喧騒の中に戻って 様々なことが蘇ってきたので 記してみることにしました。 この動画 舞踊のとても有名な大先生のお葬式ということで 多くのお弟子さん、そして村の人々が参列した とても規模の大きな葬式であった。 (王族でもないのに、この規模はあり得ないと地元の人も言うく
この本読んでると勝手に関西弁がこっちにまで移ってまうな。 結局最後には ティシュを一枚抜き取って 目から溢れてしまった涙を 拭く羽目になったんやけれど そういうのも わざとらしい演出みたいで 恥ずかしくて 絶対にバレないように静かに ティシュを抜き取って さりげなく頬を拭って 何食わぬ顔で 終了の合図をよこした 洗濯機のもとに行くためと さも正当な理由があって部屋を出るのだというそぶりで その場を離れる。 二度目の洗濯機を回すために 薄手の白いウインドブレーカーを ネ
ブックオフに行くと だいたい無差別に いくつかの本をピックアップしてレジに持っていくんだけれど その中には 少し読んだだけで興ざめして やめてしまうものもあるのに この本は 異質な存在を放っていた。 冒頭から あまりにグロテスクな死体描写に 思わず文体から意味を拾い上げて頭の中で 形として結び合わせる作業をやめてしまいたくなった。 にもかかわらず なんだか そのグロテスクな描写から まるで目がそらせないまま 瞬きさえも忘れて見入ってしまうような そん
友達にオススメされて 以前から狙っていた本が ブックオフの100円均一ワゴンに入っていたのを 発見した時は 思わず小躍りになって たぶん 「わ!」とか声をあげていたかもしれない。 周りにいた人たちを うっすら上目遣いで見まわしてみる。 私の興奮は誰にも伝わることなく ニヤリをかみしめながら レジまでの道程を歩く。 嬉しい気持ち わくわくした気持ち そういった 漠然とした気持ちの高揚感を 目に見える形で まるで触ることができるような実在感を持って 自分自
美しい装丁の本が私の元に届いた。 肌触りを確かめながら ページを開き 鼻を近づけ匂いを嗅ぐ。 鼻の奥から胸いっぱいに広がった空気は 印刷したての真新しいインクの匂いがする。 私の読む本は 古本屋の棚にぎっしりと並べられている ぺらりとした紙質の文庫本が多く その店に並ぶ前にもかつて すでにどこかで長い時間を浪費してきたために 印刷したての匂いを 嗅ぐことは ほとんどない。 だから こうして 真新しいインクの匂いを嗅いだのは 本当に久しぶりで そっと首の
最近 旅の記憶を文字に変換する作業をしようとしているが いかんせん 文字だけだと信ぴょう性がないために 写真欲しいなってところで 旅の写真を ごそごそと探してみるが 肝心な 旅の写真は 神隠しにでもあったのか 忽然と姿を消してしまっている。 代わりに どうでもいい過去の思い出写真が出てくるものだから 必要な写真が出てこなくて 悶々としているところに さらに 追い打ちをかけて どうでもいいスナップショットを握りしめながら こんな写真なんぞ 要らんのだわ!と 一人愚痴る日々。
これほどまでに優しく慈悲に溢れた物語が かつてあったかな、 あったかもしれないけれど どれほど前にそのような本にであったのか と思い出すのが困難なほどの 以前読んだ趣深い本の存在も忘れさせてしまうほどの 心に染みわたる本だった。 手あたり次第適当なチョイスで本を選んで読んでいるけれど こうして 本のページをめくる手を休めることなく 延々と集中力を切らすことなく 終いまで 我を忘れて没頭できる本には なかなか出会うことがない。 柔らかく穏やかに しかしがっし
バンコク、カオサンロードに戻った私は、 なんというか 10戦10敗を期したボクサーの気分で 完全に戦意消失して どこに行く気も失せてしまった。 手にしている往復チケットが示す 帰る日にちが訪れる日まで ただ漠然と時間が過ぎるのを カウントダウンする日々を過ごすことにした。 朝を寝過ごし 昼頃に起き上がった私は ネチっと暑い空気を身体にまとわせたまま 人々の営みがとっくに始まっている街に降り立ち 朝ご飯とも昼ごはんともつかぬものを求めて屋台をさまよう。 そうなって初めて 腐
病院に入院して点滴を受け ほぼ健康体に回復した私は 考えた。 ここで敗北を期して とぼとぼとバンコクに戻るか。 とぼとぼと言っても チェンマイからバンコクまで700kmもあるのだから (時間にして長距離バスで10~13時間) そう簡単なことじゃない。 せっかくそれほどの時間と労力をかけて ここまで来たのに チェンマイのこと何も知らないまま 食中毒にだけなって バンコクに戻るのは ひじょ~に もったいないのではないか。 ま。ここは 誰もが通る「東南アジアの洗礼」を受けたと思っ
大都市バンコクは まるで「東京砂漠」のようだった。 人で溢れてかえっているのに、いや 人に溢れているからこそ感じる「孤独」を感じ 敗北感に全身ずぶ濡れになりながら 一縷の望みをかけて タイ第二の都市 北部のチェンマイを目指すことする。 チェンマイはさすが「北方のバラ」とも称される美しい古都 だけあって 町も整然と美しく整備されていた。 バンコクの雑然とした感じとは 雰囲気が異なっている。 いつもどこかで交通渋滞が起き、クラクションが鳴りやまないバンコクと違い 空気がしんと
オーストラリア一人旅を 終えた 大学三年生の夏休み。(1999年) 私は 東南アジア旅 デビューを果たす。 それまで オーストラリアやアメリカなど 日本と同じような 整然とした国には行ったことはあったけれど 東南アジアに足を踏み入れたのは この時が初めてだった。 バンコク行の飛行機に乗るときはもう 緊張で挙動不審のようになっていた。そろそろ到着か、なんて時には、冷や汗も垂れてきたほど。 「東南アジア あるある」の噂を大量に知識として 仕入れていたからだった。 空港内での両替
モノクロで輪郭をとり終えたので その後に、ブラウン系の色合いを のせていきます。 少し色が入ると モノクロだけの時よりも 優しく 柔らかに緩和される感じです。
左、真ん中を終えて、一番右の枠を描いています。 寒くなってきたので 目立つ黄色の ウインドブレーカーを着て(笑) 車が結構通りすぎます。