光と影(3)
沖縄の表と裏。
光と影。
外の顔とウチの顔。
観光客の目を避けるようにして 鬱蒼としげる森の中にある御嶽。
地図にも載ってないその場所に足を踏み入れたことがある。
沖縄には御嶽(うたき)と呼ばれる
神社に相当する、神聖な祈りの場がある。
地元の信仰の要になっている場所なので
むやみやたらに足を踏み入れることは禁止されている。
畏敬の念を持って 入ることが可能な場所までは 参詣することができる。
神社のような鳥居がある御嶽もあるし
ともすると一見 ここから先に何か特別なものがある場所なのか
わからないような御嶽もある。
ただ、段差がわずかにあるだけの 石垣に囲まれた
空っぽの空間があるだけの御嶽もある。
沖縄には 御嶽の他に
石敢當と呼ばれる 一見 単なる石が道端に置いてあることがある。
隠されるようにして佇む御嶽と 石敢當に 共通して 言えることは
地元の人以外には
そこに含まれた 隠された意味合いまでは わからないということだ。
わからないその意味合いが 覚醒された脳に
ダイレクトに映像として届けられた経験があった。
普段使わない脳のある部分が開かれて
繊細で特別なシグナルを受け入れたからなのか。
津波によって打ち上げられた背の高さを遥かにこえる巨石を祀った
御嶽があった。
そして湾になった岸辺の対岸をみるとそこにも御嶽があった。
突然に そこに石と石を繋いだ
見えもしない結界が可視化できた気がした。
あぁこの島には 結界がある。
この石敢當と御嶽によって 結界が作られているだと。
島の夜の闇は 人間以外のあらゆる存在の可能性を
認めざるを得ないほどに濃密だ。
民家の細い路地を歩いていると 一寸先が 暗闇で見えない。
そこに妖怪や 認知することのできない何かが潜んでいる気配が
妙に濃厚にするのだ。
島の人たちは
そういう 得体の知れない何かから 自分達を守るために 御嶽と石敢當を
要となる場所、場所に置いて 結界を張っている。
昔からそうして
身を脅かす何か得体の知れない怖ろしいものから
自分達を守ってきたのだ。
おわりに。
昼の太陽は 目を刺すほどに眩しいのに
夜の闇は 身震いするほど濃厚だ。
表の顔は 朗らかで人懐っこいのに
裏の顔は 厳しい自然と共に生き
世界の裏側とも繋がっているような 沖縄の人々。
私たちの過ごした沖縄での時間は
目に映り 手で触れることのできる表側の世界と
そして 全く同じ景色であるのに
目に見えない 裏側の世界が存在していることを
深く認知する時間だった。
今でも忘れられないひとつの景色がある。
真っ暗な夜の浜辺に浮かび上がる無数の小さな青緑色の光
足を踏み出すたびに 浜辺に 足の裏の形に沿った光が浮かび上がる。
ただ真っ暗な空間で そこだけが ポッと浮かび上がる。
そしてひとたび 海に入り 手で水を掻くと
描いた軌道に沿って 光の線が す~っと浮かび上がるのだ。
泳いでいる自分の身体の周りが 発光体によって 包まれる。
まるでティンカーベルの 光の粉 そのものが
真っ暗な海の中で 浮かび上がるのだ。
夜光虫。
沖縄の海で生息する 刺激を受けて発光する虫の仕業。
神の悪戯か。それともそれ以外としたら何なのか。
覚醒した私たちの目には あまりにも美しく
この世のものとは思われない情景だった。
光の帯がそのものが 命を持って動き出す。
溢れ出る光の束が 自分自身を優しく包み込む。
発光体と同化した自分の身体が そのまま粒子になって
消えて無くなっていくようだった。
生ぬるく優しい海の水は どこまでもどこまでも続いていて
光を追った仲間が そのまま沖に出て行ってしまわないか
少しだけ目の片隅に入れながら 泳いでいた。
皆 服を脱ぎ捨てて泳いだ。
そんな風にして 私たちは 沖縄の自然の中に抱かれていた。
消えて無くなっていく記憶の片隅に
発光体と化した私たちの身体が無数に浮いていて
真っ暗な中にそこだけ 命のかけらが輝いていて
いつまでも いつまでも 波間に 漂っていた。
そんなあまりにも美しい情景を 最後に書き記して
沖縄の記憶に蓋をする。
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