みんぱく創設50周年記念特別展 「吟遊詩人の世界」@国立民族学博物館_20241104
めちゃくちゃに天気の良い、雲一つない晴天の秋空(というにはやや暑い気もしたけれど)のもと国立民族学博物館で開催されていた「吟遊詩人の世界」展へ。
とてもエキサイティングな展示だった。ヒップホップ、瞽女唄、グリオ、アズマリ、シャーマンなど辺境の吟遊詩人たちの歌声が、仕切りのない空間で一斉に響き渡り、ぶつかりこだまする空間は世界探しても此処だけではないだろうか。あらゆるプリミティブな歌のよろこびがみちみちていた。研究者がフィールドワークを通し、聞き、触れ、眼差した音/歌世界に鑑賞者が至近距離で触れ、追体験し、歌う身体に憑依するような素晴らしい展示だった。
展示を見ながらちまちまとメモを取っていたので、それをもとに以下にセクションごとの感想を書き連ねていく。
モンゴル高原
◯モンゴルの高原にはトーリチと呼ばれる吟遊詩人とシャーマンがいて、方や英雄叙事詩を歌い継ぎ、方や歌によって精霊を召喚する。両者ともに韻を踏むのだが、この韻を踏むというのはただの音楽的な快楽だけでなく、遊牧の民からすれば一種の記憶術という大変合理的なテクノロジーであったという。『天幕のジャードゥーガル』でチンギス・ハーンの息子トルイが文書を后のために奪うが、当のトルイは特に興味もないしわからない、というシーンを思い出した。
◯トーリチの英雄叙事詩は「求婚」「奪還」で構成されているようで、宗教性がないというか、神話感がないのもとてもリアリスティックな印象を受けた。
◯トプショールという2本弦・2音の楽器はちょっとベースみたい。
◯シャーマンは韻を踏むことで召喚した精霊の人格や物語を手に入れていくというのはとてもおもしろく、ここでも韻を踏むというテクノロジーの優れた脳の拡張機能に触れる一端であった。ただ、シャーマンもチベット仏教による排斥運動でなかなかに厳しい立場にあったそうな。
◯韻を踏むという遊牧の民が編み出したテクノロジーが、現代のモンゴルのラッパーが発信するカウンターカルチャーに息づいているのがまた面白い。言語の中に潜んだ精霊が韻の波に乗り、時空を超え、語り部に力を与えていくような、そんなダイナミックで広大な言葉の歴史の広がりを感じた。普段好きで聴いているヒップホップがより身近でありながらストイックで深遠なものに思えてきた。
◯ラップ、ことわざ、祝詞、けんか歌ダイラルツァー、精霊の召喚歌まで至るところで韻を踏む。アルファベットラップやるラッパーから食堂のおばちゃんまで韻踏む。こんなに韻を踏む文化が広く浸透した言語圏もないのではないか。
マリ帝国
◯グリオという言葉の達人とも王族の助言者ともされる声の匠が語る、スンジャタ・ケイタの物語『スンジャタ叙事詩』。なんとフランス語で文字化されているということで本が展示されていた。平家物語みたいだ…
◯コラという楽器は横に弦が張られていて、ギターのようでもあるけれど、ハープのようでもある(そしてその両者の原型とも言われている)。
◯ステージ衣装がとてもきらびやかで、間近で見ると、生地にもパターンがあり、素晴らしいデザインだった。
志人
◯吟遊詩人の世界展の現代日本代表選手としてピックアップされていたのが志人というのは、一端のヒップホップ好きとしてはなんだか勝手に誇らしい気持ちになる。だって、あの志人ですよ、みなさん? https://youtu.be/gbd232U-Ba8?si=rAcna5WmCYAm2glM
◯透かす韻の図と書いて「透韻図」。言葉を音レベルに分解し星座を繋いでいったその軌跡は、文字になり姿を見せる以前の、あらゆる生命が持つ、言葉として音にして大気に吐かれる前の詩魂を呼び戻す、志人独自のシャーマニズムを垣間見たように思えたのは私だけではないはずである。
◯ベッドルームスタジオが展示されていて、ターンテーブルやアンプの横に虫食い丸太、トチノキの捏鉢、鹿骨笛、淡竹笛などが置かれてるだけで嬉しくなった。というか、志人のスタジオとか見ていいんだ!とテンション上がりました。めちゃくちゃミーハー心が満たされる。
瞽女
◯本展で最も印象に残ったものが、米入れ、わらじ、風呂敷、ゴザ、簪、バチ、長着物、ケロリン、熊肝、咳止め…と並んだ、瞽女の旅支度を並べた展示だった。どんな場所に行くときでも、恥ずかしくないようにきちっとした格好を心がけ、鼈甲の簪をさし、髷を結った盲人たちの生の記録に心打たれる。決して楽な生業ではない筈だけど、目に見えない世界の体現者として、(長い歴史からすれば)つい最近まで続いていたムラとの豊かな交歓に郷愁を覚えつつ、その伝道師が高速化した情報社会などにより絶えてしまった現在に一抹の寂しさも感じた。そして、彼女たちを「障害があるのに健気な人達」に決してしない、かわいそうではない自立した見えない世界の表現者として、健常者・障害者の壁を取っ払う優れた芸能者として立ち上がらせた広瀬浩二郎教授の気概にも胸を打たれた。身体全体を「耳」にして世界を感受し、歌を磨いた瞽女が旅した足音が響き、その足先で感じ取った冬の冷たさや砂の感触が遠い現代で展示の前に立つ私にも感じられる展示だった。
◯説経節や浄瑠璃を再構成し、時には義太夫節や長唄など訪問先のリクエストに応じて行った、記録媒体にも乏しい時代のレパートリーの豊富さに舌を巻く。
◯人々の暮らしを音で満たし、相互扶助として受け取る「瞽女の百人米」があった時代の村と瞽女の交感にはなにか心がほぐれるものがあった。
◯目に見えない世界の豊かさを伝え、人間の心の拡張性のある豊かさ、見える人が見ていない心象風景を瞽女が紡ぎ出し、見える人がそこでまた新しい景色を再発見する。そんな循環を垣間見る。
ネパール
◯サーランギ。弦はヤギの腸だったり、ヒッピーとの交流で海外にも伝来する過程でギターに近づいて金属弦だったり、色々あるみたい。ヒマラヤオオトカゲの革、とメモしてあるけど、何に使われているんだろう(忘れた)。全体的にメロというよりベースラインに近い印象を受けた。
◯ちょっとよさこいみたいな振り付けだった。
◯なんか聴いたことあるよなあ、と不勉強な私は一生懸命考えて、無印良品でカレーを探してるときに聞こえてくる音楽だ…!とひらめきかけたが、それはいいのか…?
◯もうこれに関しては、ここにグダグダ書くよりも、下記リンクから国立民族学博物館藤井知昭民博名誉教授が率い収集し蓄積した素晴らしすぎるデータベースがありますので、そちらを聴いてもらったほうがよい。
◯ネパールのサーランギ音楽
https://ifm.minpaku.ac.jp/saranginepal/
エチオピア
◯アズマリによる即興で詩を作って投げかけ、コール&レスポンスで徴収が言った言葉を復唱し歌にして、を繰り返すパファーマンスが楽しかった。うちにも来てもらいたい。展示の動画では際どい隣国disが垂れ流しになっててウケた。
ベンガルのバウル
◯一弦琴と太鼓と鈴を一人で踊りながら歌う。結構マルチタスク…
◯絵語りで生計を立てている、ポト絵紙芝居のプリミティブな伝統芸も面白かった。コロナウイルスのポト絵なんてものも。
展示を終えて…
刺激的な展示で1時間半近く居座ったためか、その後の常設展もシャーマニズムのことが気になり、自然とイタコの動画を見入ったり、韓国のムーダンの衣装を発見したり、モンゴルのシャーマンの服につける依代を見てテンションが上ったりした。
みんぱく、毎回来るたびに思うけど、1日じゃ足りないよ!
<おまけ①>
本展の資料については河出書房新社から発行されている『吟遊詩人の世界』がとても詳細で、しかも展示見られた映像と同じものが見られるVimeoのリンクまで張られている充実ぶり。本展示を鑑賞していなくても全然楽しめるので、オススメ。
書籍リンク
<おまけ②>
万博記念公園で久しぶりに太陽の塔を仰ぎ見たましたが、改めて見るとわけわからん建造物でした。
<おまけ③>
本文には描かなかったが、展示鑑賞中「なんか見たことある人がおるな…いや知り合いとかではないけど、何かしらの書籍で繰り返し近影を見たような…『イラク水滸伝』で散々見かけたあの高野秀行にめちゃくちゃ似てるんだけど…」とチラチラ見やったものの、「いや他人の空似だけの可能性も大いにあるぞ…」とその場はなんとなくスルーしたが、なんとあとでTwitterを確認するとマジの高野秀行先生で、同日同タイミングでいらしていたようであった。
こういうときに勇気を出して「『イラク水滸伝』面白かったです!!サインしてください」とミーハー心全開で握手してもらえばよかった……という後悔がハンパないです。
もう少し図々しい人間になることを今後の目標にします…
<おまけ④>
今回はお土産で『季刊 民族学 No.188 シン・シャーマニズム論』を購入しました。早速帰りの阪急電車でパラパラ捲って読んでいたが、島村一平による「ドラミングからライミングへ モンゴル・シャーマニズムの「韻の表意性」(p28-39)」という論考で面白い記述を発見。
シャーマンは精霊の声を聞いていない(忘我になりシャーマン自身の意識がない)という証言が占める中、Jという30代の女性シャーマンによる「精霊とは人間の姿をした先祖霊とかではなく、言葉そのものなんじゃないかしら(p34)」という証言にはかなりハッとする気づきがあり、刺激的な展示を見てきたあとであったこともあり、脳がカッカと発熱した。
頭韻を踏んでライムを唱えていくうちに意識的に操作していない言語が立ち現れていく。その「精霊」を呼び出す装置が「韻」であるとすれば…?
なにそれ!!めちゃくちゃおもしろいやん!!
<おまけ⑤>
帰りに阪急で梅田駅に戻り、程よく小腹が空いていたため、KITTENにでけた「赤白 ブラッスリー」でスパークリングワインとトリュフの何やいろいろを食べました。
3000円ちょっとで高級志向なフレンチとワインをガブガブ飲んで気持ちよく酔えるのは素晴らしい。オススメ。
下の写真はバケットにチーズとトリュフが乗っかってて、それをカルボナーラみたいなソースにかけるみたいなやつやったと思います。あんましっかり覚えてません。もう食うな、お前。
<おしまい>
【参考文献】
国立民族学博物館『吟遊詩人の世界』河出書房新社
大阪同和・人権問題企業連絡会ホームページ - 「瞽女(ごぜ)のいた風景」障がいのある女性の自立のかたち(その2) |わたしの歴史人物探訪