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表現とは何ぞや?


表現するのにもじもじしてたらダメなのは分かってる。「自分」を覆い隠してたら表現になるわけない。

でも「さらけ出す」のも変だって思ってた。

あたりまえに表現できる人はよく「さらけ出せ!」って言う。

でもぼくはそれが嫌。

無理してる感がキツい。
自分がしててもキツいし、人がしてるのを見るのもキツい。

無理してる感じを表現するってのがイイっていうのもよく分かるんだけど。

僕が好きな表現、惹きつけられる表現のものって基本的に無理してない。
いいなあって感じるものは大体無理が無いように見える。自然にそうなってる感じ。


覆い隠しちゃいけないならさらけ出すしかないよな…
でもそう思うとそれじゃ意味ないんだよな…

じゃあ表現て何のためにするんだ?


こんなふうに考えてなかば表現することをあきらめてたんですけど。


でもふと気がついた。


自分を知るために表現するんだなと。


ん?いや違うな。


自分を知ったから表現するんだ。



表現すると「自分」が表出するわけです。
良い部分も、悪い部分も。当然覆い隠したい部分も。

まあそれがツラいわけですけど。
今回の気付きで大きいと思ったのは、そのツラい理由が、見ている「自分」と表現したものに表出した「自分」を同一視してしまっているからだ、ということ。

しかしこれが時間が経つとちゃんと分離してくる。


分離するとちゃんと見える。

自分一人だけでは自分は見えない。
自分と「離れた」ものだから見える。


その「離れた自分」がちゃんと見えるとなんか嬉しいのです。


自分を認めることができたらなのか?
それとも知見、知覚、認識を広げることができた喜び?
どっちもあるような気もするけど、とにかくなんか嬉しい。清々しい。
しかもすごい冷静。


「離れた自分」はそもそも今の自分じゃないんだから正確な理解にはならないだろうけど、もしかしたら表現者が繰り返し表現に努めるのはそうやって「今の自分」に追いつこうとする行為なのかも…


これが分かってたらそんなに無理して「さらけ出」さなくても表現できるような。

こういったことなら表現にモチベーションはけっこう持てそう。

まあ、結局表現してみなきゃ始まらないことに変わりはないんですけど。

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