2018.4.5にみた夢
今日は不老不死のお嬢さんの娘になる夢だった。
『不滅の桜』
私の母は物心つく頃には居なくなっていて、今ではもうなんとか朧気に母を覚えている程度だった。
私もすでに子育てを終えるような年齢になり、年老いた父と親孝行として思い出の地を巡り、母との昔話を聞いていた。
気候の良い春の事だった。
年を取らない母を始めは快く迎え入れる者も、いつしか気味悪く思うのだという。迫害され続けた母は「仕方ない」が口癖になっていた。そして、困った顔で笑うのだ。
父はそんな母を助ける為に奮闘したようだが肝心の父の努力の部分は教えてくれなかった。
そこは、何でもない、ただの街の中にある手すりにもならない小さく短い赤い桟橋。埋め立てられた小川の両脇にはソメイヨシノが植えられていて、朱く真新しく塗られた桟橋も合わせて無理やり昔の風景を遺してあると言った風だった。
絵になると言えば絵になるのだろうが、切り取る額から外れればただの道路。
けれど、その絵は父のかけがえのないものらしく、暫く優しい景色の中で佇んでいた。
その桜雨の降る桟橋で母と再会した。
母は私より若く、驚いた顔は十代にも見えるようだった。しかし私には一目で母と解った。
理屈等は話しようがない。
母だ。
その隣には仲良さそうに壮年の男性が立っていた。
さっきまですり足に近い歩みだった父が二人に駆け寄っていった。
「お前、まだ彼女と一緒にいるのか」
父が男に向かって言う。
「当たり前だ。そのために外道だろうと不老不死の法を手に入れたんだからな」
男が父に向かって言う。
母とヒトとして伴に歩む幸せを望んだ父と、母とバケモノとして共に歩む幸せを望んだ男は、私を置いて青春時代の続きのような邂逅を楽しんでいた。
二人が花見をしに来たと知った父が「もう何回も一緒に見たんだろう」と花見に混ぜろと言い、男性が「お前だって(家族だった時に)何回も見ただろう」と対等に言い返していたのが印象的だった。
三人はとても幸せそうに笑う。私が生きた年月より長い時間、別れや苦悩があったはずなのに。
桜がはらはらと散り続けている中で目が覚めた。