ビートルズストーリーの真の終焉 〜”Now and Then”はビートルズの終活である〜
2023年11月、ザ・ビートルズ最後の新曲として『ナウ・アンド・ゼン』がリリースされました。
ジョン・レノンが生前残したデモテープからジョンのボーカルを最新技術で抽出して、存命のポール・マッカートニー、リンゴ・スターがそのサウンドに肉付けをして(ジョンともう1人、現在鬼籍に入っているジョージ・ハリスンのギターの演奏も生前に録音、音源にも収録されている)完成させた音源です。
このシングルはそういったドラマ性も相まって大変な話題を呼び、マスメディアでも取り沙汰されました。作品の評価は賛否両論といった感じで、否定的な意見も幾つか散見された印象です。私自身もどちらかというと、この楽曲自体はビートルズが元々持つ個性も、また現代的な新しいアプローチも希薄だと感じていました。しかしこの『ナウ・アンド・ゼン』を評価する際には、楽曲そのもの以外に、このシングルがいまこの時代にリリースされたという現象を客観的に捉え、考えていくことで、我々がこれから訪れる未来とどう向き合うべきかを想像することが重要であると私は思っています。これに対する私の考えを記していきたいと思います。
・2017年以降のアルバム50周年エディションシリーズを振り返る
前提として、これまでのビートルズの作品群は強力かつ普遍的な魅力があることには間違いありません。
私自身も10代の頃からその魅力に取り憑かれ、常に憧れ続けてきました。
ビートルズに限らずですが、偉大なアーティストはその活動を終えても、その時代時代で作品が再評価される機会に恵まれます。
記憶に新しい近年のビートルズ再評価ムーブメントは、2017年から始まった過去音源のリミックス/リイシュー活動でしょう。
2017年はビートルズ・ディスコグラフィーの中でも屈指の名盤『Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のリリースから50年という節目の年でした。
そこで同年5月、このアルバムの楽曲を全てビートルズのプロデューサーであったジョージ・マーティンの実子ジャイルズ・マーティンがリミックスしリリース。現代的な再解釈を我々に提示しました。
そこから翌年2018年には『The Beatles (White Album)』、2019年には『Abbey Road』が年一作ペースで50周年作として、同様にジャイルズ・マーティンのリミックスでリリースされシリーズ化していき、2021年には『Let It Be』、2022年は『Revolver』が同じ形でリリースされていきました。
このシリーズはファン/評論家から一定の評価を得ました。特に2018年の『The Beatles』以降は非常に良作で、音質の向上は勿論、現代的な感覚でサウンドが再構築された、大変興味深く楽しめる作品になっていると思います。
恐らくビートルズのディスコグラフィーの中で『The Beatles』以降のアルバムはより現代的な録音技術を用いてレコーディングしているので、リミックスする際の自由度も比較的高く、より制約の無い編集が可能であることがその所以であると考えます。
さらに2022年にリリースされた『Revolver』では、「デミックス」という最新技術が用いられており、これは複数の楽器や声が収録された一つのトラック・マスターテープから、特定の音だけを抜き取れる技術で、比較的古典的な録音技術を用いてレコーディングされているこのアルバムの楽曲も、より緻密なミックスが可能になり、その完成度の高さは我々に衝撃を与えました。
・2023年版『赤盤/青盤』そして『Now and Then』
そして2023年、『Now and Then』がリリースされることになるのですが、その前に同時期にリリースされた『The Beatles / 1962-1966』と『The Beatles / 1967-1970』所謂『赤盤/青盤』の50周年エディションについて触れていこうと思います。
2023年の『赤盤/青盤』も前述した「デミックス」を用いて、より制約から解き放たれたミックスをジャイルズ・マーティンが行いました。
特に『赤盤』の方は、2トラックで制作された初期楽曲も収録されており、最新技術でこれらの楽曲がどのような新しい様相を見せるのかと、ファンは期待に胸を膨らませていました。
しかしこの『赤盤/青盤』特に『赤盤』は2017年『Sgt~』から2022年『Revolver』までの作品のような、現代的な新しい音楽体験ができる作品とは感じ難いものでした。
たしかに各音の分離が良くなり各楽器の音がそれぞれクリアに聴きやすくなったというサプライズはありましたが、分離が良くなった分全体の馬力は弱まった印象。そもそも『赤盤』に収録されているような音数が少ない初期作は、楽曲を構成する音数が少ないので、ミックスをやり直すとしても素材が少ない分、新しい解釈は提示しづらいのではないかと思いました。
また、デミックスも1966年作の『Revolver』では活かし切れましたが、『赤盤』に収録されているようなより古い音源には対応し切れなかった点もあるのではないかとも推測します。
これにより、ビートルズの過去のアーカイブ作品を現代的な技術と感覚を用いて再解釈/再定義するといった表現は、2017年『Sgt~』から2022年『Revolver』までの作品では、一定の魅力と、現代に放たれる意義はあったものの、こと初期作品に関してはそういった技術や感覚が通用しないとも言えると思われます。
そして、『Now and Then』についても、そのサウンドは少々魅力に欠けると私は感じました。
ビートルズの新曲という触れ込みですが、いまいちビートルズらしさを感じない。全体的な音像としては現代的というよりも、ポール・マッカートニーの近年の作品のそれに近い印象。このサウンドを聴くに、恐らく『Now and Then』の制作はポール自身やその周辺人物たちがイニシアチブをとって行われていると推測します。
リンゴ・スターはソロ活動を60年代末に始めてから今日まで、基本的に自身の作家性を強く打ち出すタイプでは無いので、自然と楽曲を構成する要素としてはかなりポール的な要素が大きくなったのでは無いでしょうか?これはジョージ・ハリスンが健在だった頃に『Now and Then』と同様の手法で制作した『Free As a Bird』『Real Love』との大きく異なる点だと思います。未発表音源としてのサプライズ性は希薄と言えるでしょう。
・『Now and Then』はビートルズの終活である
では何故、Now and Thenが今この世に放たれたか?
その真意を我々が知る術は限られています。しかし今を生きる我々がこの作品と同時代に出会ってしまった以上、その意義を見出す必要はあるでしょう。まぁこれは私個人が一ビートルズファンとして、この作品はただ企業に利益を生み出す為だけに作られた商品では無く、人類に対する何らかのメッセージがきっとある筈だという、希望的観測であるということも否めませんが…。
私はここで、「『Now and Then』はビートルズの終活である」ということを提唱したいと思います。それはこれからを生きるビートルマニア達が、『Now and Then』越しに見える残酷な現実を受け止める必要がある、ということでもある。
残酷な現実とは何か?それは1962年から始まったビートルズの物語が真の終焉を迎え、「ビートルズがいない世界」そして「ビートルズを必要としない世界」と向き合うという事です。
ビートルズの4人のメンバーも今では2人だけになり、残された2人も既に高齢です。
この2人が今後もクリエイティビティに富んだ素晴らしい作品を発表することもあるでしょう。しかし高齢であることを鑑みると、体力的な限界がある事は想像し得ると思います。
ビートルズというアーティストの存在があまりに巨大過ぎて、その影に隠れがちな情報は少なくないのではないかと思います。
しかし時が進むごとに、この世界からビートルズを構成していた物理的な要素は失われていき、そんな世界でも容赦なく美しい音楽は生まれ続けているのです。
『Now and Then』は、そんなフィジカル的な意味で弱体化した今のビートルズの生々し過ぎる現実なのであると私は考えます。
ビートルズがこれまで我々にもたらしてくれた夢…いや我々が彼らの音楽から受けた衝撃は夢などではなく間違いなく現実です。そういったビートルズから我々へのヒントの提示はもう間も無く終焉を迎え、我々はビートルズのいない世界と向き合わざるを得なくなる。
だから今度は、我々が「ビートルズがいない世界」「ビートルズが必要とされない世界」で何かを表現・提示し、新たな物語を紡いでいかなければいけない。勿論このようなことをポールとリンゴが意識しながらこのプロジェクトを進めたなんて思いませんが、これが私が私なりに、『Now and Then』という作品から受け取ったビートルズからのメッセージです。
・まとめ
冒頭で記載した通り、ビートルズの魅力は普遍的です。それも果てしなく。
彼らの音楽は我々にとって完全食のような存在で、それだけ摂取していれば充分なエネルギーが賄える。
しかしジョージ・ハリスンも歌っているように”All Things Must Pass”全ての物は移り変わっていく…それは決して恐れる事ではなく、今日より明日はいい日になるはずだとあなたは既に気づいているはず。
なぜなら『未来への希望』をずっと我々に向けて歌い続けていたのは、紛れもなくビートルズの4人なのだから。
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