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Brian Eno “Ambient Kyoto” 京都中央信用金庫 旧厚生センター 京都レポート②

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今回の京都旅行の本丸は、Brian Enoの音楽と視覚芸術のインスタレーション、”Ambient Kyoto”であった。

環境音楽を作り始めた僕は、このインスタレーションが開催されるという報を受け、これはしたり、とチケットを購入。

会場は京都駅近くの京都中央信用金庫 旧厚生センター。



今回の作品は5つ。

Ⅰ 77Million Paintings
Ⅱ The Ship
Ⅲ Light Boxes
Ⅳ Face to Face
Ⅴ The Lighthouse

これらについて一つずつ、語っていきたいと思う。
なお、Ⅰ〜Ⅴまであるが、順番はめちゃくちゃになってしまった。許されたし。


まず、

漠然とした今回のインスタレーションの印象を述べると、人類や文明、地球はたまた宇宙のもつ可能性の果てしなさを訴える、とても前向きで、希望に満ちたエネルギーを感じるものだった。

政治や環境問題などを訴えるアクティビストとしての問題提起も、Enoの作品で表現されることはあるが、今回はより大きな、そしてポジティブなテーマであったと思う(ちなみに、このインスタレーションの収益の一部は、Enoが設立した気候変動問題の解決を目的とした慈善団体”EarthPercent”に寄付される)。

恐らく彼の根幹には、60,70年代ロックの、未来へ突き進むパワフルな精神性が宿っているのだろう。

Ⅴ The Lighthouse


The Lighthouseは、会場の廊下や階段など、あらゆる場所にスピーカーが設置されていて、そこから流れ続けるオーディオ作品。作品と作品の間をシームレスに繋げる機能を持っている。

驚いたのがトイレにまでその音楽が流れていて、作品のコンセプトが徹底されていることが伺える。

Ⅳ Face to Face


今回のインスタレーションの象徴的存在だったのが、Face to Face。

実在する21人の人物の顔を、それぞれ1枚の静止画に収め、特殊なソフトウェアを使い、画像は1つの顔から別の顔へと、ピクセル単位でゆっくり変化していく。
そうすることによって一人一人の顔の間に、「新しい人間」が誕生し続ける作品。

これが、暫く経つと↓


こんな風に変わっていく。


『人間の顔』という素材が見事に躍動し、非常に生命力に満ちた生き生きとした空間が生まれていた。

Ⅲ Light Boxes

写真だとわかりにくいか


Light BoxesはFace to Faceと類似した作品で、こちらは作品の表面下にあるボックスが照らされ、光の色がゆっくり変化する。
Face to Faceの有機的な『人間の顔』よりも、技術的で無機質な『箱』と『光』で構成されている。

いや、自分が撮るのが下手すぎるのか…


人類が作った文明的な技術は、自然や人間以外の生命を脅かし、その結果、今我々人類自身が窮地に立たされている。
しかしこれから、人類の手で、自然との共生を目指した技術革新をする事で、もしかしたら文明には新しい可能性が生まれるのではないか。技術革新と環境破壊は必ずしもセットではなく、我々の力で共生へ向かっていけるのではないか。

さしずめ、このLigh Boxesは、物事に速く見切りをつけがちな、現代に生きる我々へのメッセージかもしれない。

Ⅱ The Ship


The Shipは、多数のスピーカーから個別の音が鳴ることで、場所によって違う音が聴こえ、移動することでそれぞれのスピーカーから出る音を鑑賞者がミックスできる作品。

一点に座って鑑賞していると、様々な場所からそれぞれの音が聴こえてくる。大きな音、小さな音。耳触りのいいソフトな音や、硬質でソリッドな音。短い音、長い音…森の中を彷彿とさせるような空間だった。

Fenderのアンプ・スピーカー。
この他にジャズ・コーラスやツイン・リバーブもあった。


これらの音群は、シンセサイザーで作られた人工的なものだが、そのアーキテクチャは、極限まで非人工的な、自然界に近しいものではないか。

傲慢さとパラノイアの間を揺れ動き続ける人間のコンセプトを出発点としているらしいが、そんな我々人類も、所詮母なる地球の前では1つの現象に過ぎないという、そういった意味では最も残酷な側面を持った作品かもしれない。

Ⅰ 77 Million Paintings


そして、恐らくもっとも広いスペースで展開されていた77 Million Paintings。

こちらも音と光が絶え間なく変化する、どの瞬間もが唯一無二となる空間芸術。
コンセプトは他の作品と類似しているが、この作品はとりわけサウンドがコンパクトな印象。

しかし、よく観察してみると、多量の音素材が使われていることに気づく。環境音楽と聞くと、ミニマルで素朴な音像をイメージする人は多いと思うが、少なくともEnoの楽曲は、その音像を作るために、大量の素材を用意してアウトプットしているのだろう。

プロフェッショナルとしての彼の気概のようなものを作品から感じれたのは、感動もあり、戦慄したのも事実である。

そして帰路につく

このような大規模なインスタレーションを体験したのは初めてだったが、瞬間的な感動(それももちろんあったのだが)ではない部分の価値をこれほど感じ、何より『楽しめた』のは非常に興味深く、驚きだった。

明日からの自分に少しだけワクワクできる、そんな稀有な体験をしたい人は、足を運んでみるといいと思う。

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