同人誌の価値
同人誌というインディーズの価値について考えた。
同人誌の存在価値って意味でなく、買う側(自分)が何に価値を感じて買っているのかについて。
本屋に行けばプロが描いたクオリティの高いものが200ページ弱500円前後で買えるというのに、何故同人誌は少ないページ数でかつ多くはアマチュアが描いたものなのにほぼ同額を払ってまで求めるのか。
地方からコミケ旅行で買ってた頃の価値
その頃は、多分「お土産」って感覚に近かったと思う。
地方には大きいイベントはなく、まもた委託ショップも通販も無かったので「そこでしか買えない」というレア感が強かった。
あと「旅行だから」というテンションの上がり方と、コミケという異様な空間が金銭感覚を麻痺させて財布の紐が緩んでたからだと思う。
その時は「この本が欲しい」だけでなく、「同人誌を大量に買い込む自分に酔っていただけ」でもあった。
上京して同人誌即売会が身近になってからの価値
コミケに行くことが「旅行」ではなくなり、サンクリやコミ1、各種オンリーイベ等があり、かつ秋葉原等にある同人誌を取り扱う店が身近になったことで「本当に欲しい本」しか買わなくなっていった。
その本に求めた「価値」は「その人が描いた本だから」だった。
殆どが「プロ」の小遣い稼ぎ用同人誌で、それをインディーズと言っていいのかはわからないけど、ペラ本にフルプライス並の価格や、転売ヤーからプレ値で有り難がって買っていたのは「その人の描いたものを所有したかったから」と、値段が目に入らない程の価値があった。
本として面白いかどうかという内容はどうでもよく、「その作者の作品である」というコレクター精神で買ってた。
同人誌に魅力を感じなくなってからの価値
ほぼ現在のこと。
昔はそれなりにお金を突っ込んだ趣味ではあったけど、今はあまり魅力を感じていない。
となると、20ページ前後に500円を払うという行為を冷静に考えてしまい難しくなった。
結果、イベントに足を運んでも、1冊も買わずに空気だけ味わって帰ってくるなんてこともザラにあるようになった。
それでもごく稀に買うことがあり、その理由について考えると
「商業誌に無いもの」
ってのを求めてた。
商業誌は商品足り得る内容、ページ数の規定、締切による時間的制約、等々という条件があり、TPOもあり、と、描きたいままを100%描くことはまずできないようなもんで、勿論それは商売である以上当たり前のことなんだけど、同人は趣味だからそれらの制約がなく自由に作られた本が存在したりしてる。
描きたいものを描きたいまま描きたいように描いた漫画、編集者を通しておらず自分だけのGoサインで世に出した漫画って、よっぽどの天才でなければお金を払って読みたいレベルに至らないものが多々あるけど、それをそのまま読みたいという需要は自分含めて確かに存在する。
ダイヤの原石というか、商業の手垢がついてない無垢な素材というか、そういった粗さだったり青さだったりを感じつつでも熱いリビドーが迸る的なものもあれば、商業誌ではとても出せないようなアウトな内容だけどでもそれが描きたかったという情熱が篭ったものなど、同人でしか見ることができない「作品」。
それこそが「インディーズの価値」なのかな、と。
んで自分に置き換えれば、もし今同人誌を描くなら、読んで貰うための構成や演出はするけど、内容だけは100%自分の我で描くだろうな、と思った。
同人誌への魅力を失って、初めて本の「内容」で同人誌の価値を感じた気がする…
というお話。