考えることは不幸だ。

突然ですが、
自己紹介でも書いたように、私はYouTubeが大好きです。
ジャンルや見るチャンネルは(おそらく)偏っていますが、ながら見を含めるとかなりの時間をYouTubeに捧げていると言っても過言ではありません。

何が好きなのか、どんなチャンネルが好きなのか、は今日のところはいったん置いといて。

そのYouTubeを観ているときに、突然流れてきたショート動画が“レペゼン地球”のDJふぉいさんの切り抜きでした。
その中のひとことが忘れられずに今に至るわけで。

『うつ病になった俺の友達が言ってたことばを教えちゃる、「考えることは不幸になる」ってあいつ言いよった』


前後に文脈があるのですが割愛させて頂き。
(ご興味ある方は是非調べてみてください。)

ここしばらく、この『考えることは不幸だ』ということについてずっと考えていたのです。


というのも、昨日の投稿で書いたように、ヒカルさんは『とにかく考えろ、頭を使え、思考を止めるな』と言っていた。

一方で『考えると不幸になる』と言うひとがいる。


なぜこんな矛盾がうまれているのか、すごく気になってその答えを自分なりに見つけました。

いち個人の考えなので『ふぅーん。』と優しい気持ちで読み流していただけたらありがたいです。
(ただの私見だから、怒らないでね?笑)




●考えることが不幸なのではなく、答えがでないことが不幸だ


まず浮かんだのがこれです。
考えること自体は大切なことだし、そもそも考えることはことばを持つ人間にだけ唯一与えられた力なので自然なことで、むしろ放棄してはいけないと思うのです。

(あ、ことばと思考についても今度書いてみようかな。)

それなら、ふぉいさんのお友達の彼はなぜ不幸になってしまったんだろう?って考えてみたのです。

たくさん勉強して、知識を増やした。
色々な考え方やものの見方を自分なりに広げた。
それなのにどうして不幸になるんだろう?と。

そこでわたしが思ったのが、『もしかして、考えるだけで答えにたどり着けなかったこと、難しすぎることが多かったんじゃないか?』ということ。

まず私の性格からして、難しすぎることに関しては『あ、無理だこれ。やーめぴ☆』とすぐに撤退するのが定番で、全く手を出さないようにしています。
その瞬間は『また分からないことに出会ったなぁ…頭悪いな自分…』と数秒思いますが、そこでポケモンの技ようにいちにのポカン!で忘れるわけです。

つまり、あとを引かない。
だから不幸にならない。
私はね。

でも、これを『分からない…どうすればいいの…?』と考え続けるのはとても辛いと思うんです。
だって、難しいんだもん。

だからきっと、すごく真面目で一生懸命で、何事にもとてもストイックな人は“難しいから考えるのをやめる、逃げる、そこは自分の領域じゃないと放棄する”ことが出来なくて不幸になってしまうのかもしれない、と。

でも、どうも思い当たる節があるわけです。
考えれば考えるほど、その思考の深みにハマる。
辛いんですと相談したら『何も考えるな』と、私自身人生の中で何度も何度も、ずっと言われてきました。

なんでだろう?
どうして考えなきゃいけないはずなのに、せっかく人間として生まれて考えることを許されてるのに、考えちゃいけないんだろう?


で、よくよく振り返ってみたわけです。
どんな時に自分が不幸になっているのか。
(今で言う“バッド入っちゃう”ってやつですね。笑)

結果、“考えたのに答えを出せない時”じゃないか?と思ったのです。

アハ体験ってよく言うじゃないですか。
あれって、考えるからこそできる体験で、脳の活性化にもとても良いとかなんとか。

じゃあやっぱり考えることは不幸じゃないし、むしろちょっぴりハッピーになれる。
矛盾だ。おかしい。

でも、その、ちょっとだけハッピーになる瞬間を迎えないまま終える思考がたまっていくとしんどくなってく。
分からない、答えが見つからない、何を選べばいいか決められない。
こんな宙ぶらりんな状態、そりゃ積み重なるとしんどいよな、と。

だから、考えること自体が不幸なんじゃない、答えを見つけられない、答えにたどり着くまで考えられないことが不幸に繋がってしまうんだろうな、と。


これは我ながらよく考えたなぁ~、と、自分ではとても納得していています。
(たまに自画自賛モード入ります、すみません。笑)



●“考える”の捉え方の違い

ふぉいさんのお友達さんとヒカルさんの“考える”は、同じ言葉だけど意味が違ったのかもしれない、とふと思ったのです。

お友達さんの考えるは、インプットしたことについてどういうことだろう?それって本当にできるのかな?なんでだろう?とぐるぐる思考を巡らすことだったんじゃないかと何となく思ったんです。
(あくまで想像ですし、自分が似た思考回路だからそうかもしれない、と仮定してみました。)

一方でヒカルさん。
ヒカルさんにとって考えることはただ“思考する”ことではなく“自分なりの答えを見つけだすこと”なのです。

つまり、上でツラツラと書いてきたように、正しくなくてもなんでもいいから答えを見つけるまで、その問題が解決するまで考え抜くことがヒカルさんにとっての“考える”なんです。

先程も言いましたが、無理、難しい!と感じたことは“ぽーい☆”と投げ出せちゃうのが私です。
でも、仕事の悩みやどうしてもモヤモヤすること、解決したい問題が出てきた時、解決に至れないままモヤモヤすることがとても多いことに気が付きました。

あ、アハ体験してないじゃん、って。

いつも上手くはいかなくても、どうにかこうにか答えにたどり着ければとうやら少し幸せに近付けそうな気がしてきました。


こうしてじっくり分析してみると、考えるって深いですね。
ひとつひとつのことをじっくり考える。
ことばで表現する。

難しいけど楽しいです。
ゆるゆる続けていきたいと思います。


それでは!

きゅー。

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