グンペイからシンエヴァを読み解く
(※今回はネタバレを含むため、観賞後にご覧ください。)
前回のグンペイ考察では、アスカは過去と未来を完全な形でつなぐことに挑戦していたという旨のことを書いてみた。
では、このエヴァンゲリオンの世界において、過去と未来が完全な形でつながるとは、どういうことだろうか。
そもそもエヴァンゲリオンが何なのかといえば、「監督が影響を受けてきたものの再構築」である。
これは当たり前の話で、庵野監督に限らず、創作物は基本的に自分の頭の中にインプットされた要素を材料にして生み出される。
エヴァンゲリオンの場合はそれがわかりやすい形で現れており、それがむしろエンターテイメントになっている。たとえば怪物が日本を目指して、毎回一体ずつ現れるという構造は、ウルトラマンがベースであろう。ただしエヴァとして再構築するにあたっては、なぜ怪獣が都合よく日本にばかり来るのか、なぜ律儀に一体ずつ来るのか、そもそも怪獣とは何なのかといったことに対し、それを説明するための重厚で周到な設定が補助線として加えられている。ウルトラマンに限らず様々な作品から要素が引用されたコラージュになっており、それぞれパーツがどの作品からの引用なのかということを探るのもマニア的な楽しみ方の一つだ。ちなみに世界をやりなおすという重要なモチーフは宇宙戦艦ヤマトの作り直し問題(登場人物が死ぬ話が公開された後で生き残るバージョンが作り直され続編につながる)に起源があると感じている。
作中の大きな対立構造
さて、この作品が持つ補助線の中で一番太いものが「人類補完計画」である。この設定はとても面白い。
もし神様がいるとしたら、神様がこの世に準備したのは種の多様性である。実際の世界がそうなっている。生命が何十億年ものあいだとってきた大自然の戦略である。
であればその真逆は種の単一化となる。
この構造に着目して人類が神と戦う壮大なストーリーを構築するとすれば、「種の多様性」をもたらす神に対して、人類はその真逆の「種の単一化」を目論むことになり、それがエヴァの人類補完計画となる。
これはごく平たく言ってしまえばカオス(自然)対オーダー(非自然)の対立である。さらにいえばこれは自由と抑圧の対立とも言え、物語の王道的な対立構造であるが、そう単純なものに見せなかったのはエヴァのうまいところである。
種の多様性の方をもう少しだけ定義づける。
いろいろな種類の生物がいれば、環境が変化してもどれかは生き残る。種の多様性は、生き物が総体として繁栄を続けるためのストラテジーである。その総体を司る意思があるかどうかは神のみぞ知るだが、これが自然の摂理である。
一つの種族の中でもその種族を存続させるために多様性を持たせる仕組みがある。それがDNAの交換を伴う世代交代である。DNAになるべく多様性を持たせるように行動するのが、多様性の世界での正義である。例えばお父さんの靴下を臭いと感じるのは思春期の女子に特有の能力で、隣のお父さんの靴下は臭いと感じないという実験結果があるそうだ。人は自然と近親婚を避けるようになっている。
碇ゲンドウのアルゴリズム
ここまで種の多様性を定義づければあとはシンプルな話である。
主人公シンジの対立軸となる碇ゲンドウは、ストーリーとしては種の多様性と真逆のことを行なっていく。
碇ゲンドウの思考ルール1
多様性があることが許せない。すでに多様化しているものは統一してしまうようにがんばる。これが人類補完計画。
碇ゲンドウの思考ルール2
世代交代という概念がない。だから子供の存在を認めない。妻の死も受け入れられない。
上記の基本ルールのを合わせたものとして、碇ゲンドウの行動のモチベーションも定義される。何が何でもユイと再会したい、そしてユイと結合して世代交代はせずにいきなり完全体になるぞという意思であり、それがゼーレの人類補完計画と並走していく。
TV版の時はシンジくんがいつまでも大人になれないという描写が目立ったが、いつまでも大人になれないのはむしろ世代交代が受け入れられない碇ゲンドウだったということが見えてくる。
グンペイのパズルを解くような一気消し
話をグンペイにもどす。グンペイが象徴していた、過去と未来が完全な形でつながるとは、どういうことか。
ここからドミノ倒しのようにパズルがつながっていく。
エヴァンゲリオンのループ世界をゲームと見なした時に、それぞれのキャラクターの勝利条件を設定し、その達成状況をみていく。
シンジくん:
まず、主人公のシンジくんは今回こそゲームでいうところの真エンディングに到達しなくてはならない。
シンジくんの勝利条件とは、世代交代であり、自然の摂理に沿った多様性の獲得である。そのためには父に自分を認めさせるか倒して越え、近親者ではない相手と結ばれる必要がある。
内容はよく覚えていないがなんやかんやで父に勝った。多様性の観点から結ばれる相手は母のクローンの綾波ではダメで、となるとアスカかマリか全くの別人となる。主要登場人物の中では一番遠そうなマリとくっつくのが丸い。漫画版ではアスカのようなので、近親者でさえなければ多様性的にはどっちでもよい。北上ミドリでも問題ないが、マリの役割を考えると彼女が適役である。(よく調べればアスカが何らかの近親者という設定があった可能性もあるかもしれない。)
碇ゲンドウ:
碇ゲンドウの敗北条件は、単一化に失敗し、父としてシンジに敗れ、世代交代を認めること。
ここはわかりやすく、ゲンドウがシンジを見て「そこにいたのか、ユイ」とはっきり言わせられている。世代交代で妻のDNAがシンジに受け継がれているということを認めたセリフととれる。
ゲンドウは敗北ではあるが、最後にはオーダー側からカオス側に来ることができたので、カオス陣営としては勝利者であると言える。
碇ユイ:
お母さんなのでゲンドウよりシンジが大事。子孫を残すことが勝利条件。
シト達からシンジを守り、ゲンドウからもシンジを守ってシンジを解放。大勝利。
綾波シリーズ:
クローンでつくられた綾波シリーズはゲンドウの行動のトバッチリであり居場所がない。居場所を見つけることが勝利条件だ。第三村というコミュニティの中ではそっくりさんとしてあるがままを受け入れられ、ごく自然な人間の営みを一通り経験できたのでヨシ。第三村はクローンの綾波が何体来てもそっくりさんとして受け入れてくれる居場所となるだろう。最後はカオルくんとくっつているようだ。シンジ以外なら誰とくっついても勝利であるが、特にカオルくんとくっつくと幸せになる可能性が高い(理由は後述)。
それにしてもそっくりさんという呼び名はなんかヒドイ。
敷波シリーズ・アスカ:
作品に出てきた通りで考えると、TV版のアスカがオリジナルで、映画版のアスカはクローン。世界線が違うのであれば、破のアスカは敷波だけどオリジナルと考えてよいのか、そのあたりはよくわからない。
細かい話はさておき、アスカは親の愛情が得られず、それが結果で承認欲求が非常に強いというような設定を持つキャラだ。
となるとは世代交代的な観点からは、親の愛情を得ることで子供時代をまっとうし、大人になることが勝利条件だ。自分を認めてくれるお父さんがわりのケンケンと会えてよかったという話でやや強引ながら勝利。
映画版の世界線だと、単にシンジ不在の間にケンケンとくっついたか、シトと同化して人ではないため誰かとくっつかなくてよくなったか。
ミサト&カジ:
カジが用意したノアの方舟ヴンターはまさに多様性の象徴。子供が立派に育ったので世代交代に成功。勝利。
カオルくん:
アダムとゲンドウか誰かの遺伝子を掛け合わせて作った人工のシトらしい。
アダムがベースとすればカオス陣営か。作中の言葉を鵜呑みにすれば勝利条件はシンジの幸せ。どうなればシンジの勝利になるかをずっと探ってきての今回。
最後に綾波とくっついているのは、ユイとゲンドウの遺伝子同士の再会ということか。お幸せに。
ゼーレ:
ゼーレの勝利条件は人類補完計画の成功。メンバー達は先行して魂をコンピューターにアップロード済みらしい。
オーダー陣営なので負けることが作品のハッピーエンド。
マリ:
ループ世界に追加投入されたキャラなので、おそらく勝利条件は収集がつかなくなった世界をひっかき回して強引にでも着地させること。任務遂行で勝利。
その他:
いろいろあってたぶん全員勝利。
それぞれが個別に勝利するのではなく、グンペイのパズルモードのように、全てのピースが連鎖しあってこれまでの課題と決着をつけながら、エンディングに向かっていったところに爽快感があるのである。思わず考察を書きたくなるような爽快感である。
正直ラストシーンはよくわからないが大勢に影響なし
ラストシーンの平和な日常風景である新世紀?は「いつからの続きなのか」ということがハッキリしない。綾波やカオルくんは単なるそっくりさんで別人なのか。大人になったシンジくんは多重な世界線の記憶をもっているのか。現在の世界線でどれくらいまでの過去があったことになっているのか。壮大な夢オチという捉え方すらできるのか。いろいろわからないが、世代交代ができて大自然の勝利ということなのでそれ以外はもう細かい話だ。
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